第26話 作戦会議
ジョナサンは思わずゾッとした。
話に出て来た赤ん坊の御神体は、もしかしたらかつてデビーが沈めた島で、デビーの髪からできた真珠を埋め込まれた赤ん坊の死体なのではないだろうか。
この話が本当なら、赤ん坊に埋め込まれた真珠にも、海を操る力がある。しかも、陸地に流れ着いて、人の手に渡っているものがある。
アンの首にかかっていた、真珠を連ねたネックレス。あれはまさか、全部デビーの髪から作った真珠なのではないだろうか。
「なあ、ばあさん。その話、本当か……?」
「本当ですよ。私は嘘なんて一つもついてない。さてさて、せっかくみんな集まってることだし、昔この街に出た怪物の話でもしましょうか。その怪物はものすごい力持ちでね。拳で地面を砕き、大岩を軽々と持ち上げる。銃で撃たれても全て弾き飛ばし、おまけに火を吐くんです」
「おっと、とたんに嘘くさくなったぞ?」
ジョナサンは、じっと考え込んだ。
仮に、このおばあさんの話が本当で、アンが持っている真珠のネックレスが海を操る真珠でできているとすると、もしかしたらアンが持つ海への影響力は、デビー・ジョーンズをしのぐかもしれない。
すっ、とジョナサンの頬に、老婆の手が触れた。頬を手のひらで包んで、じっとこちらを見ている。
「ん? どうしたんだ?」
「坊や、あなたに落ち着ける場所はありますか?」
心配されている。声色からそれがわかった。
「なんだよ」
「あなたのような目をした子供を、私は何人か見たことがあるんです。居場所と理解者を求めている子の目をしていますよ、あなたは」
「そうか? キリッとしてていい男だとはよく言われるけど」
まあ、確かに生まれてこのかた理解者には恵まれていなかったな、とジョナサンは思い返した。島にいた頃は掟を破りたがる異分子として煙たがられていた。唯一の味方だった村長も、ジョナサンを矯正しようと躍起になっていた。
「そういう子はね、寂しかったり、苦しかったりするせいで、ちょっとびっくりするようなことをしでかすことがある。これをあなたに譲ってあげましょう」
そう言って、おばあさんは手に持っていた蓄音機をジョナサンに差し出した。
「なんでもいいから、心の拠り所にできるような音を、ここで刻んでおきなさい。寂しくなったらそれを聞くの。……余計なお世話だったかしら?」
「いいや。そうじゃねえけど。いいのか?」
「ええ。私が持っていても一緒に棺桶に入れるくらいしか、使い道はありません。それに、作り方はいろんな人に教えたし、この子にも、他の知り合いにも配ってあります。遠慮なく持って行ってください」
ジョナサンは小さな木箱を受け取った。中身がからくり仕掛けなせいだろう。見た目よりもずっしりと重い。
「大事に使うよ。ありがとう」
「そう言ってくれると嬉しいです。海賊対策の助けにはなりましたか?」
「ああ。なんとかなりそうだ。俺たちに任せてくれ」
クラフトとエルモに「作戦会議しようぜ」と声をかけ、ジョナサンたちはデビーの待つ船に戻った。
ジョナサンとエルモは甲板に、クラフトは海岸の岩に腰を下ろして話を始める。メアリーは多分俺の肩にいるんだろうな、とジョナサンはあたりをつけた。
「警戒しなけりゃいけないのは、二つ。お袋が持ってる真珠。それから、あの船に集まってる死霊。その二つさえクリアできれば、相手はたった一人だ。どうとでもなるだろ」
「ねえ、ジョナサン。その箱見せてくれない?」
デビーがジョナサンの袖をぐいぐい引っ張った。
「話が終わるまでいい子にしてられたらな」
「私は今見たいって言ってるんだけど? 私がその箱見てる間に四人でやりなさいよ」
「いいや、ダメだ。お前抜きで作戦会議なんてありえない。頼りにしてるんだからさ」
ジョナサンが言うと、デビーはわかりやすく照れた。
「ふーん? まあ? 当然よね? なんと言ってもこの私は、大悪魔デビー・ジョーンズなんだし?」
「えらい! ちゃんと我慢できるデビーちゃんえらいぞ! さすが!」
ふふん、と胸を反らしてデビーはついでとばかりに宣言した。
「真珠の方は私に任せなさい。どれだけ海を荒らそうが、海の生き物をけしかけようが、私の手にかかればすぐに鎮められるわ」
「それなんだが、お袋がつけてたあの真珠のネックレスは、多分だけど昔お前が沈めた島で作られた海を操る真珠だ。そうじゃないか、メアリー?」
ジョナサンが問いかけると、肩のあたりから返事が聞こえる。
「うん。そう。ママはあっちこっち回って、あの真珠を集めてた。干からびた赤ちゃんを砕いて真珠を取り出したところ、見たことある」
これで、想像は確信に変わったわけだ。ジョナサンは冷や汗をかいた。
しかし、デビーは尊大な態度を崩さない。
「だからどうしたと言うの? いくつ真珠を持っていようが、人間風情がこの私にかなうとでも?」
「よし、じゃあ海のことはデビーに任せた。よろしくな」
はいはいはいーい! とエルモが手を挙げた。
「死霊の方は、私が担当するよ。除霊とかやったことないけど、多分聖書でも読み上げてれば大丈夫でしょ」
「雑だな。本当に大丈夫か?」
クラフトが不安げに言った。
ジョナサンは、アンの船の上の様子を思い返した。姿は見えなかったが、死霊たちが船を動かしていた。アンは、死霊を船員がわりに使っているようだった。
通常の海賊一味なら、下っ端たちが総出で街に繰り出して略奪を働く。その役割を幽霊がやるとなると、なかなか恐ろしいことになりそうだ。
「大丈夫。自警団の人たちに事情を話して、この街の教会の人達にも協力してもらって、武器とか盾とかは全部清めてある。清い装備を固めた人たちがガードしてるってだけで、幽霊たちは困るんじゃないかな」
不安だった二つの問題は、すぐに片付いた。
クラフトが「ううむ」とうなる。
「あのご婦人の護衛を願い出て正解だったな。本当に、僕にはできることがない」
「そんなことねーって。そうだ、相談乗ってくれよ」
「相談? それならいくらでも乗るが」
「……ちょっと聞きたいんだけど、母ちゃんってどんな感じだ? お前のおふくろさん、いい人そうだったけどさ、ああいう人がずっとそばにいるって、どんな感じなんだ?」
しん、と船の上が静かになってしまった。
風の音と波の音が、いやに大きく聞こえる。
クラフトは少し考えてから口を開いた。
「そうだな。母上の顔を見ると、少し安心する。迷った時は、母上に相談すれば、頭と気持ちがすっきりして、もう少し頑張ろうという気になってくる。母上を悲しませるわけにはいかないのだから、この船旅からも必ず無事に帰ろうという動機と意志をくれる」
「へー。すげえなあ」
だが、とクラフトは話を続ける。
「これらのことは、幼少の頃より慈しんで育ててくれた思い出があるからだ。君が、母親に対して無理に情を持とうとする必要はない。あの海賊は、仮に君が母恋しさに歩み寄ったところで、よくてそれを利用するか、最悪の場合殺してしまうだろう。血の繋がりだけが、親子の繋がりではないはずだ」
「なんだ? 心配してくれるのか?」
ジョナサンが軽く返すと、クラフトは大真面目な顔で言った。
「当然だろう。君はこれから、母親と戦うわけだ。その心中を想像することは難しいが、苦しいことだけはわかる」
「そんな大袈裟に考えなくてもいいって。あんなもん、ただ血が繋がってるだけの知らないおばさんだ」
ジョナサンは笑ってみせるが、クラフトは真面目な顔を崩さない。
「もしも家族が欲しいのであれば、うちの両親に頼んで君を養子にとってもらおうか。ずっと弟が欲しかったんだ」
「げ、俺が弟かよ」
はいはいはーい! とまたエルモが手を挙げた。
「やっぱり私のことお母さんって呼ぶ?」
「いいっていいって。ちょっと聞いてみただけだ。えーと、話を続けよう」
ジョナサンは大きく息をついた。
「おふくろはおそらく、街に着いたら真珠の力で海を荒らすだろう。それをデビーが止める。すると、海にいてもしょうがなくなるから、おふくろは上陸して来るはずだ。略奪のために船を降りたところに俺が忍び込んで、デビーを招待する。それとも、船内を漁ってアトラの真珠を見つけてから招待したほうがいいか? もろとも沈めちまうと大変だろ?」
じっくり見たわけではないが、アンはネックレス以外に真珠を身につけてはいなかった。〈魂の灯台〉は、どこか別の場所に隠してあるのだろう。
「いいえ。まずは船を沈めましょう。〈魂の灯台〉は、知っての通り光を放つ。ひとまず全部沈めてから海の底を探せば、すぐに見つかるわ」
「よし決まり! あとは船が来るのを待つだけだ! それまで休憩!」
ジョナサンは、両腕を上に挙げて思い切り伸びをした。
「じゃあ私、またおばあさんの話聞きに行って来る!」
エルモはバッと立ち上がった。おばあさんの話を聞きに集まっている街の人たちは、いつの間にやら酒やら食べ物やらを持ってきていた。
「そうだな。僕も行こう。ジョナサンはどうする?」
「うーん、俺はちょっと休憩することにする」
その場で寝転んだジョナサンに「わかった、行って来る」と声をかけて、エルモとクラフトは歩いて行った。
「ねえ、ジョナサン」
デビーがジョナサンの顔をつついた。
「ん? なんだ? ああ、蓄音機が見たいのか。待ってろ、今出すから」
「いいえ。アンの船を無事沈めた後でいいわ」
「もう我慢しなくていいんだぞ? ちゃんと一緒に作戦考えてくれたじゃないか」
「……帰って来る動機をあげる。全部終わったら帰ってきて見せなさい」
「おっ、そりゃいいや。俄然やる気が出てきたぜ」
その日、街にいた者は皆、たくさん食べて日が沈むと同時にベッドに入った。力をつけて敵襲に備えるためだ。
日が昇り、カモメが鳴き始め、何時もであれば漁船が港を出る時間を過ぎた頃、水平線に白い帆と海賊旗が現れた。
船の上空は暗雲に包まれ、雷鳴も聞こえる。
船が近づいて来るほどに、海岸に押し寄せる波が強くなっていく。
波の間に、巨大な蛸やサメ、シャチの姿ば見えた。
「あなたたち! 下がりなさい!」
それらの生き物たちは、デビーの一声で海の底へ帰って行く。荒れていた波も、すぐにおとなしくなった。
船はまっすぐ港へ向かって進み、桟橋にたどり着く。
姿の見えない者が降り立った。なにもいないのに、桟橋の板がギシギシときしむ。厳重に固められたバリケードに、姿の見えない死霊たちが攻撃を始めた。防壁が殴打され、切りつけられ、だんだんと脆くなっていく。
「ここまでは手筈通りだな」
ジョナサンは呟いた。
エルモは死霊の相手をするために自警団に協力しに行き、クラフトは約束どおりおばあさんの護衛をしている。
アンが船から降りた。悠々と桟橋を歩き、街の方へ向かっていく。
「今だな。よし、行ってくる」
「……。帰って来るわよね?」
「もちろんだ」
デビーを船に残し、ジョナサンは海岸を走る。
少し、油断していた。
アンは街へ略奪に行ったのだから、しばらくは帰ってこないだろう、と。
港へたどり着き、アンの幽霊船へと向かう。桟橋へ駆け込もうとした時、ジョナサンを呼び止める者があった。
「ジョナサン! 待って!」
振り返ると、そこにアンが立っている。
「なんだ? 今更俺が恋しくなったか?」
意趣返しのつもりで聞いた。構わずこのまま船に乗り込んで、デビーを招待してしまえば目的は達成だ。
しかし、アンははっきりとした声で答える。
「ええ、そうよジョナサン。あなたと会ってから、ここに来るまで考えたのだけど、私はあなたを放り出したことを後悔してる。一緒に海を回らない? きっと楽しいわ」
耳元でメアリーの幽霊が囁く。
「だめ。ジョナサン、早く行こう」
ジョナサンは、突っ立ったまま動かない。
「なんのつもりだよ」
ゆっくりと歩み寄り、アンはジョナサンを抱きしめた。




