第25話 おばあちゃんの昔話③
そう言って、おばあさんが取り出したのは、小さな木箱だった。
その箱を、おばあさんの皺だらけの手が開ける。
「蓄音機っていうのよ」
おばあさんは、箱の側面についているスイッチを押してから、エルモの方へ突き出した。
「なにか話してみてください」
「え? えーと、こんにちは!」
おばあさんは再びスイッチを押してから、その隣についていた別のスイッチを押した。
すると、箱からエルモの声が飛び出してくる。
『え? えーと、こんにちは!』
「わー! すごーい! 箱から私の声がする!」
おばあさんはニコニコしながら、解説をする。
「すごいでしょう? これを売って歩いてたんです」
ジョナサンは、デビーがそわそわしていることに気がついた。近くで見たいのだろう。だが、船から身を乗り出してもおばあさんたちのところまでは少し遠い。陸に上がれないデビーには、近づいて間近で見ることができない。
「高い高いしてやろうか?」
「急になに?」
「もっと見たいんじゃないか?」
「別にいいわよ。ここからでも音は聞こえてるし。あなたこそ、近くで見てくれば?」
「そうだな。じゃあ俺ちょっと行ってくる」
ジョナサンがその場を立つと、デビーは「あっ」と小さく声を上げて、反射的に伸ばしかけた手を引っ込めて、ゲフンゲフンと咳払いした。
うらやましいんだなー、とジョナサンは内心でニヤニヤした。
「んー? どうかしたのかなー?」
「別に? ずるいとか思ってないわよ?」
「ほんとかー?」
「もう! 下僕のくせに生意気よ! 躾直しが必要かしら!?」
そう言って、デビーは指を鳴らす構えをとった。
「わー! やめろやめろ! カモメの刑は勘弁してくれ! 悪かったよ!」
ジョナサンが謝ると、デビーはフンッと胸をそらした。
「ほら、早く行きなさいよ! それでよく見て、しっかり私に報告しなさい! いいわね!」
「おう、任せろ」
ジョナサンは、クラフトとエルモの横にしゃがみ、おばあさんの手元を見る。箱の中には、細かい歯車がたくさんと、金属質な円盤が詰め込まれていた。
「この円盤に音を刻み込んで、保存するんです」
大男が不思議そうに言った。
「おばあちゃんは、これをどう使って争いを止めたの?」
「ああ、いけないいけない。忘れるところでした。そうね、早く続きを話さないと」
おばあさんは、再び記憶を探りながら昔語りを始めた。
「あなたはデビー・ジョーンズって知ってるかしら?」
「うん、知ってるよ」
「ええ。その宗教国家では、デビー・ジョーンズを崇拝していたの。泥棒が死ぬ間際にデビー・ジョーンズの名を叫んだから、それがわかったんです」
「変わった国だなあ。そんなの崇拝するなんて。すっごく怖い悪魔なんでしょう?」
「ええ、そうですよ。悪い子はデビー・ジョーンズ・ロッカーに引きずり込まれて、帰ってこられなくなってしまう」
「もう、やめてよおばあちゃん。ボクもうそんなの信じるような歳じゃないよ」
「うふふ、そうね。ともあれ、デビー・ジョーンズには申し訳ないけどね、ちょっと利用させてもらうことにしたんです」
「利用?」
「書状には「降伏しないようであれば、三日後に攻撃を仕掛ける」って宣告が記されていたんです。だから、それまでに迎え撃つ準備をしなければいけません」
「三日後! 大変だ!」
「私は、村の人にデビー・ジョーンズについて聞きました。どんな容姿なのか、どんな声なのか、どんな伝承が残っているか……。いろんなことを聞いて、作戦を立てたんです」
「どんな作戦?」
「ふふ。順番に話しますよ」
「うん。わかった」
「って言っても、そんなに難しいことはしてないんですよ。軍隊の人たちをびっくりさせただけ」
「それだけで軍隊を止められるの?」
「止められましたよ。ちょっとハラハラしましたけどね。まず、村の人に頼んで、カニをたくさん集めてもらいました。捕まえられるだけ捕まえて、生きたまま麻袋に詰めました」
「カニ? なにに使うの?」
「それは聞いてのお楽しみです。それから、あなたのおばさんに変装をしてもらいました。あの当時、おばさんはまだ幼い子供でしたから、伝承にあるデビー・ジョーンズのような姿に化けていれば、雰囲気と演技さえなんとかなればそれらしく見えたんです」
「へー! でも、デビー・ジョーンズって黒髪でしょ? おばさんとは全然違う」
「ええ、よく知ってますね。おばさんは綺麗な小麦色の髪をしていたので、デビー・ジョーンズに化けるには黒い髪のカツラが必要でした。私は村中の黒髪の女性に頼んで、ひと房ずつ髪を譲ってもらって、急ごしらえのカツラを作りました。瞳の色もデビー・ジョーンズとおばさんとでは違っていましたが、前髪を長く作ってごまかしました」
「うんうん。それから?」
「行軍ルートを先読みして、一番海に近い場所を探して、そこで待ち伏せすることにしたんです。海に面した断崖に張り付いている道でね、結構怖い場所でした。足を踏み外せば、荒い波が岩礁を洗う磯に落っこちてしまう。そんなに高い崖ではないけど、落っこちるのは勘弁してほしい、ってところでしたね」
「わかった! おばさんがデビー・ジョーンズのフリをして「帰れ!」って言ったんだ!」
「ええ、そうです。正解。でも、それじゃあちょっと弱い。この少女が海の悪魔だという確固たる証拠を見せなければ、みんな納得しないでしょう。だから私は、円盤に激しく流れる水の音とカモメの声と、それから運よく前日の夜に鳴っていた雷の音を刻んで、崖の上からは見えない死角におばさんと一緒に潜んでいました。じっと待っていると、宣告通り、隣の国の軍隊がやってきます」
「う、うん……」
「おばさんは、よく通る声で楽しげに笑いました。軍隊は、人なんかいるはずのない海の方から人の、それも少女の声がするものだから、驚いて足を止めました」
「うん、それでそれで?」
「おばさんは、できる限り威厳たっぷりに「立ち去れ。そしてあの村に御神体を返しなさい」と言いました。岩礁に腰掛けて、波をかぶって体が冷えていたでしょうに、頑張ってくれました。結構迫力あったんですよ」
「おばさん、怒ると怖いからなあ」
「でもねえ、そうホイホイと信用してくれるはずもありません。そこで私は、蓄音機を動かして、激しく流れる水の音を流しました。あの人たちには、デビー・ジョーンズの怒りにより海が騒いでいるように聞こえたんじゃないかしら?」
「えっ、でも音がするだけで、実際に海が荒れ始めたわけじゃないんでしょう?」
「そうです。でも、海を崇拝する国の人たちだけあって、海の様子には敏感です。海の方から普段はしない音がする、というだけで充分でした。軍がざわついて、統率が乱れ始めたところへ、おばさんがデビー・ジョーンズのフリをして「従わぬようなら、裁きを下す」と言いました」
「どうやって? おばさんには海をどうこうする力なんてないじゃないか」
「次に私は、カモメの声を蓄音機から流しました。不意にカモメの声が騒がしくなったところへ、おばさんは「信じぬというのなら、試しに海のものを遣わしてやろうか」と言いました」
「うん……」
「私はそこで、あらかじめ岸壁の道に置いておいた麻袋の口紐を引いて、袋の口を開けました。自由になったカニはワラワラと逃げ出し、あっちこっちへカサカサ動き回ります。袋は岩の陰に置いたので、きっとあの人たちには岩陰から突然大量のカニが現れたように見えたでしょう。」
「ああいうの、いっぱいいると怖いよね……」
「そこへ、たくさんのカニを見つけたカモメたちが、ご飯を食べようと一斉にキーキー鳴きながら集まってきました。突然自分たちの方へ飛んできたカモメに、軍隊は半ばパニックのようになってしまってね。とどめに雷が落ちる音を聴かせたら、一目散に逃げて行きました。うふふ」
「わあ、タネがわかってればなんてことないけど、すごいなあ」
「うふふ。そうでしょう? 信仰の都合上、あの人たちは海の怒りに触れるのがなによりも怖いのです。次の日には、隣の国から王が自ら、謝罪の書状と御神体を納めた箱を持ってやってきました」
「よかった。一件落着だね」
「そう、なんですけどね……」
「ん? 違うの?」
「村の人たちがね、お礼にって御神体を拝ませてくれたんです。それが、ちょっと異様でね。よそ者の私が出すぎたことを言うべきじゃないと思って、なにもしなかったんですけど、あれは、人の手元に置いていてよかったものなのかなと。人間同士で取り合いなんてしないで、海に返すべきだったんじゃないかと思うんです」
「そんなに怖かったの?」
「怖い、というのも違うんですけど……。なんて言ったらいいかしら。いけないものを見てしまったような、関わったらよくないことが起こるような、そんな気がしました」
「ど、どんな神様だったの?」
「赤ちゃんでした。赤ん坊の、干からびた古い死体です。どういうわけか、流れてきた時からいくら年月が経っても、劣化することはなかったそうです。昔、この村に流れ着いた、としか伝わっていなくて、細かいことは村の老人にもわからないんだとか」
「うわあ……。確かになんかいわくありげ……」
「その赤ちゃんの左胸……、ちょうど心臓のあたりかしら。キラッと光るものが埋め込まれていました。村の人が言うには、それは真珠なんだそうです」
「なんで死体にそんなものついてるの?」
「さあ。わかりません。ともあれ、あの神様が村に恵みをもたらしているのは事実です。私もこの目で見ましたよ。御神体が祠に納められ、村人が「村を救った恩人をもてなしたいのです」と祈願すると、ピシャッと海の方からなにかが跳ねる音がしました。音のした方を見ると、砂浜にはまるまる太った大きな魚とエビが打ち上げられていたんです。私とおばさんは、それをご馳走になってから、その村を発ちました。すごくおいしかったですよ。あのあたりの地域は、海産物が豊富でね。機会があったら行ってみるといい」
「へぇー、不思議な話だなぁ!」




