第22話 迎撃準備
遠くに目的地は見えるが、なかなか辿り着かない。
近づいてはいるはずなのだが、海図で見るとそこそこ距離がある。
「うーん、このぶんだと港に着くのは夕方ごろだな」
服を脱いでロープに引っ掛けて乾かしながら、ジョナサンは目的地の方に目を向ける。
「向こうの船との距離はどれくらいだ?」
デビーはお疲れ気味らしい。だらしなく床に横たわり、エルモに頭を撫でられている。これ以上船を進める元気はなさそうだ。
「二日ぶんくらいの距離は引き離したはずよ。しかし、想定外だったわ……。私の真似事ができるなんて……。あの女はアトラと違って体に埋め込んだわけでもないのに」
不思議そうな顔をするデビーの隣から、メアリーの声が聞こえた。
「ママ、真珠いっぱい持ってる。たくさん集めてた」
「たくさん? 私の真珠は一つだけのはずだけど」
「ああ、おふくろは真珠がたくさんついたネックレスをつけてたぜ。それのことだろ? でも、デビーが言うような大きいのはそこにはなかった」
ジョナサンたちが相談していると、せわしなく羽ばたいてラヴがやってきた。クラフトは、船尾の方で不安げに後方に目をやっている。
「ムコウモシンジュデフネヲススメレバ、スグニオイツイテクルンジャナイノカ?」
「大丈夫よ」
デビーは断言した。
「逃げながら、適当に進路の海を荒らしといたから。見ての通り海を従わせるにはそれなりに体力を使うから、あの女は結構苦労して船を進めることになるはずよ」
遠くの方に目をこらす。
確かに、後方の空の上には暗雲が立ち込めており、時折ピカッと雷が光る。
「あの女がどの程度真珠を使いこなしているかにもよるけど、そうね、港に着くのは明後日の昼あたりかしら」
「どうするんだ? なんとかして俺があの船に乗り込んで招待しないと、お前はあの船に手出しができない」
船から船に飛び移るのは無理だ。船の大きさが違いすぎて、ここからではあちらの船べりに手が届かない。
海の生き物の手を借りるのも無理だ。いつアンの手先にされるかわからない。
デビーは、顔をしかめて考えながら答える。
「一旦あの港へ行きましょう。一休みして、水や食料を補給しながら作戦を考えるの。エルモはそこで降りるといいわ。ジョナサンとクラフトは私と取引したから協力してもらうけど、あなたはそうじゃない。危ない話に首をつっこむ必要はないの」
「ダメだよ!」
エルモはデビーのほっぺをむにむにしながら言った。
「神は言いました。汝の敵も隣人の敵もぶちのめしなさい、と」
「えらく好戦的な宗派だな」
「ナルホド。ソウナノカ。ベンキョウニナル」
ジョナサンは呆れたが、クラフトは大真面目に頷いている。
「真に受けてんじゃねえよ。えーと、なんだっけ、敵を愛すべしとかそんなんじゃなかったか?」
「不思議なことに、愛することと戦うことは矛盾しないのよ。つまるところ、私はあなたたちの手助けがしたいな。お手伝いさせてよ」
エルモが言うと、デビーは「ふうん」と視線を上げた。
「私に奉仕しようって言うの? 見返りにはなにが欲しい? 海難よけのおまじない? それとも、網を投げれば必ず大漁になるようにしてあげましょうか」
「いや、別にいいけど。神が恵んでくれる以上のものを望む気はないよ。……あっ、やっぱ今のなし! 肩たたきして欲しい!」
目を輝かせるエルモに、デビーはちょっと引いた。距離をとって、ジョナサンの後ろに隠れる。
「あっ、待って逃げないで。嫌なら肩たたき券だけでいいから。お守りにするから」
「私も、あげる。肩たたき券」
虚空からメアリーの声が聞こえて、エルモは飛び上がって喜んだ。
「やったー! ありがとう! 嬉しい! おねーさん頑張るよ!」
ニコニコ笑いながら、エルモは話を続ける。
「それに、私もついてったほうがいいと思うな」
「なんでだ?」
「街の人たちに今から海賊が来るぞ、って教えてあげなきゃ。見知らぬ旅の人が言うよりも、私が神の名において告げたほうが、みんな聞いてくれるよ」
ジョナサンは、ハッとした。
海賊がどういう風に破壊と略奪をするか、その目で見て知っている。
放っておけば、これからいく港町は、あっという間に故郷の村同然に破壊されるだろう。
再びあんな風に、理不尽な暴力が人の大事なものを奪っていく。そういう奴が、我が物顔で海を支配している。
「オーケー。そうだな。手を貸してくれ。港に着いたら、街の人たちに危険が迫っていることを伝えて、おふくろを迎え撃つ準備をしよう」
できることなら、日が暮れる前に到着したい。
傾いていく太陽と競争するように、船はまっすぐ港へ進んでいく。
到着した港町は、夕焼けで橙色に染まっていた。
港では、夜の漁に出る船が準備を始めている。あかりが消えている船はおそらく漁船ではなく商船なのだろう。
見知らぬ船が停泊することは、この街ではさして珍しいことではないらしい。誰もジョナサンたちの船を気にも留めない。
桟橋に船をつけ、もやい綱を結ぶ。一同は顔を見合わせた。
船を降りると、クラフトは「あー」と軽く発声の練習をした。久しぶりに出した声は、少しかすれている。
「よし、まずはここの人に危険を伝えよう。エルモ、任せていいか?」
「任せといて。まずは、この街のリーダーを訪ねよう。その人を通して街の人たちに伝えてもらうのが一番早い」
デビーは三人を見上げて、軽く頷いた。
「そっちは頼んだわよ。私は、手はずが整うまであの女が入ってこられないように頑張ってみる」
そして、真剣な表情をしていた顔を少しほころばせて、穏やかに笑った。
「どうしたのよメアリー。お兄さんのそばが落ち着くの?」
デビーの目はジョナサンの肩のあたりを見ている。ジョナサンは、ゾクッと背筋が震えた。
「えっ。メアリー、今ここにいるのか?」
「うん」
耳元で声がして、思わず「ヒョエッ」と情けない声が出た。言われてみれば心なしか肩が重いような気がする。
「こらジョナサン。そんなに怖がることないだろう。複雑な心境かもしれないが、君の兄妹なのだから」
呆れたようにクラフトが嗜めた。
「てめえこのやろう。自分だってビビった時は俺の後ろに隠れるくせに……。まあいいか。じゃ、行ってくるぜ。留守番よろしくな」
三人は連れ立って街へ入り、通りかかった人に道を聞きつつ、この街の長の家にたどり着いた。
その頃にはすっかり日が落ちて、
街の中心の、一番大きな建物だ。白い壁が登り始めた月にうっすら照らされている。その扉を叩くと、壮年の男が顔を出した。
「夜分に失礼致します。私は旅の宣教師エルモ。この街の長であるあなたのお耳に、早急に入れなければならないことがございます」
急に丁寧な調子で喋り始めたエルモを見て、ジョナサンとクラフトは顔を見合わせた。
「これはこれは。どうなさった」
「この街を襲撃しようと企てている海賊が、こちらへ向かっています。迎撃の準備を」
「なんと、それはまことですか」
長はさっと顔を青くして、即座に家の者を呼んだ。
「自警団に使いを出せ! それから、港に海軍の船が停泊していただろう! 協力を要請しろ! 戦える者は武器を持ち、戦えない者は避難するよう街中に伝えるんだ!」
土地柄なのか、どうやら、海賊の襲撃には慣れているようだ。こんな栄えた港、自衛しなければ海賊たちのいいカモになってしまうのだろう。
トントン拍子に準備が進んだ。
若者が武器を取り、女子供は避難を済ませ、港にバリケードを築いて大砲を集め、迎え撃つ準備は万端だ。
「その女海賊とやらはいつ頃来るんだ?」
次の朝日が昇る頃、あとは迎え撃つだけ、という段階になった時、自警団の若者がジョナサンに聞いた。
人々は、絶対に街を守るぞ! と血気にはやっている。
ジョナサンは、一旦船に戻り、アンが来るであろう港から船を安全な場所へ動かしている途中だった。港から、陸地に沿って船を隠せそうな場所を探す。こんな時だというのに、海は変わらず穏やかだ。
「デビー、どうだ?」
「明日の朝ね」
「みんな! 明日の朝だそうだ!」
若者は大きな声を出して、街の衆にそれを伝える。
街の人々は、気合を入れながらそれを伝え合う。
「明日の朝!」
「ウオォォ! やるぞ!」
「明日の朝か!」
しかし、それが浸透して行くと、緊張感に包まれていた空気がだんだん緩んできた。
「結構時間あるな」
「えっ、それまでずっと待機ってことか?」
「……暇だな」
ジョナサンは、岩の多い海岸の入り江に船を隠した。ここなら、岩に隠れて街からは見えないはずだ。
「確かに暇だよなあ。ずっと張り詰めてたら疲れちまうし」
デビーは、ムゥと頬を膨らませた。
「なによー! せっかく頑張ってあの女を足止めしたのにー! それじゃ、私の頑張りが無駄みたいじゃない!」
ジョナサンは半笑いで「まあまあ」とデビーをなだめる。
「無駄じゃねえよ。頑張ってくれてありがとうな。おかげで、みんなしっかり心の準備ができたから、あんなに余裕があるんだ」
「ふ、ふふん。まあ、当然よね? 私のやることに無駄なんかあるわけないんだから!」
しかし、そうは言っても暇なものは暇である。
「誰か面白い話でも知ってる奴がいればいいんだが」
もやい綱を適当な岩に結びつけ、船が流れていかないように固定する。
ふと、誰かの気配を感じた。人がいる。
「今の、メアリーか?」
「違う」
耳元でまた声がした。いい加減慣れてきたが、やはり幽霊に取り憑かれていると思うと少し怖い。
「あそこじゃない? 二人いるわね」
デビーが指差した先には、確かに二人、人がいて、何やら言い争っている。いや、片方が一方的に声を荒げているようだ。
一人は、小さな老婆。もう一人はがたいのいい大男だ。
街の衆たちがやってきた。準備を終えて、ひとまず休憩するか、となったところで、二人の声を聞きつけたようだ。
「おばあちゃん、ここは危ないから逃げよう? この街はボクたちが守るから。そうしたら、また戻ってこよう」
大男は、体に似合わず気の弱そうな垂れ下がった眉毛をしている。大男のお願いがうまく聞き取れていないのか、おばあさんはニコニコ笑って返事をした。
「え? そうかいそうかい。昔話をして欲しいんですね?」
「違うってば! もう!」
「どれにしましょうか? 悪い魔法使いと怪物の話? それとも、妖精の国へ行った女騎士の話? 海を操る真珠の話でもいいですよ」
「もー! 違うって言ってるだろ!」
見かねて、ジョナサンは声をかけた。
「おーい! どうしたんだあんたら! 逃げ遅れたのか? まだ間に合うから早く街を出ろ!」
男がこちらに気づいた。
「おばあちゃんがここを離れたくないって言うんだ。でも、もうすぐ海賊が来るみたいだし……」
クラフトが、座り込むおばあさんの前に膝をついて尋ねた。
「おばあさん、なぜあなたはその場を離れたくないのですか?」
「私の死に場所はここがいいのです。そうでなければならない」
「さっきから、ずっとこんな調子なんだ。なんでも、若い頃の思い出の場所らしくて」
エルモがクラフトの隣にしゃがみ、説得を試みる。
「最期の時は穏やかであるべきです。海賊の凶刃に、あなたを晒したくはない」
「いいのです。お優しいお嬢さん。私はここでお迎えを待ちます。長らえたところで、すべきことなどもうありません」
強い風が吹いた。ジョナサンは、風の方角を確かめる。
陸から海の方へ向かって吹いている。アンにとっては向かい風だ。
「コホン」
クラフトが軽く咳払いをした。
「わかりました。では、僕がこの場であなたの護衛をいたします。もし海賊がやってきても、必ずや迎え撃ってみせる。少々、武術には心得があるのです」
それを聞いて、大男は慌てた。
「いやいや! 悪いですよ!」
「いえ、僕はよそ者なので自警団の方と連携が取れるわけでもありませんし、ジョナサンと違ってこの戦いでやるべきこともない。まあ、要するに手が空いているわけです。遠慮はいりません」
その代わりと言ってはなんですが、とクラフトは言葉を続ける。
「その、「海を操る真珠」と言うものについて、お話をしてもらえませんか? 今からやって来る海賊は、それを持っている。もしかしたら、対抗策のヒントになるかもしれない」
おばあさんは、ゆっくり頷いた。
「お安いごようですとも。いくらでもお話ししましょう。なにせ、長生きしてしまったもので、見聞きしたものだけはたくさんありますから」
目を細めて海を見ながら、おばあさんは口を開いた。
ぽつぽつ語るおばあさんは、所々記憶があやふやなようだけれど、大男が時折助け舟を出す。二人は交互に、補い合うように話を始めた。




