幸せの資格 その2
予想に反してすぐに追いついた二人はアスファルトの上に間山が倒れ伏しているのを見た。その男の前にセーラー服を着た少女が守るように立っている。それに対面するのは一人の幼い少女だった。その少女は先ほどの女を抱きしめている。女は気を失っているのか目をつむっていた。ピンク色の髪をゆらしながら少女はさなえとナツコのほうを見た。
「おやおやおや、入れ食いだなっ。影、影、影。ぜんぶ喰ったらオレはどうなっちまうんだろう」
さなえは自分の背にナツコを隠した。セーラー服の少女が振り返って二人に言った。
「され。じゃまだ」
「そいつ、『歪み』なんだけどわかってる?」
「分かっている。お前、どこの所属だ?」
「もとは『学園』だけど」とさなえがそう答えたとき、ナツコの悲鳴が響いた。
「やめて!」
咄嗟にナツコはさなえの前に出ようとするがさなえはそれを止める。そしてさなえが見たのは、『歪み』の少女が蛇のように女を丸呑みするところだった。いっさい咀嚼せずに女を食べ終えた少女は満足そうに喉を鳴らしてから、ポケットから棒つきキャンデーをとりだし舐めだした。飴をひとかじりしてからじろりと三人を睥睨する。
「ママを傷つけたくないからな。オレのお腹の中で眠っててもらうよ」
そう言って欠けた棒つきキャンディーをセーラー服の少女に向けた。
「とくにおめえはすこし骨が折れそうだからな。ずいぶんとなかよしじゃないか。ええ? どうしちまったんだ同志。人間ごときにてめえの存在を託すなんてよ」
「貴様と話す言葉は無い」と黒髪の少女は言った。
「あっそ。オレもねえわ」
次の瞬間には鈍い音が響いていた。セーラー服の少女が林の中へと蹴り飛ばされていたのだ。呆然とするナツコとさなえを置き去りにして『歪み』は笑い声を上げながら追撃する。さなえはそれを阻止しようと『距離』を縮めようとした。だが、閃光がさなえを止めた。轟音が起こる。それは雷鳴に似たものだった。木々から火が上がった。黒煙が夕暮れの空に流れていく。空に一筋光が走った。それを見たさなえはナツコと倒れている男を掴み、その場から『距離』を取った。
三人が展望台に一瞬で戻ると雷が先ほどいた場所にいくつも落ちていた。耳をつんざくような音が響き続ける。そのおかげか男が目を覚ました。
「みつこさんっ! ん、あれ?」
「あ」
「みつこさん、どこ?」
そう尋ねられたナツコは返事に窮した。さなえが代わりに応えた。
「あっちだよ」と黒煙の上がる方向を指示する。音は止んでいた。
「は? どうなってんだ。みつこさん!」と男は駆け出したが、さなえに腕を取られる。
「ちょっとまってね。たぶんお兄さんが行くと死んじゃうよ」
「なんだって言うんだ。みつこさんがあんなぐったりしてたんだぞ。あそこに居たままなら助けにいかないと俺が、俺でなくなってしまう!」
「だろうね、でも犬死することになる。あっちじゃ怪獣大戦争中だ」
「はあ? あ、おい、スザク! 出て来い! いるんだろ! 桔梗も居たんだから」
男が周囲を見回しながらそう言うと、唐突に一人の男が三人の前に現れた。黒い燕尾服を着た男だった。スザクと呼ばれた若い男は恭しくお辞儀をした。
「誠一坊ちゃんいかがいたしましたか」
「状況を説明しろ。みつこさんは無事か?」
「あの女が無事かは判断しかねます。現在、桔梗が対象と交戦中です」
「あの女というのはやめろ。沢田みつこさんだ。なんでもいいから絶対に助けろ。いや、俺も今から行く」と誠一はさなえの手を振りほどいて歩き出した。執事のような男が誠一を制止する。
「坊ちゃん、向こうはそこの少女が言うように危険な場所です」
「ならお前が安全を確保しろ。どけよ。俺は行く」
「坊ちゃん、あの女にはそれほどの価値が無いのです。貴方や私がその身を賭けるほどの価値は」
「スザク、至高命令だ。そこをどけ」
スザクと言われた男はため息をつく。それから指を鳴らした。すると誠一が消えた。残った三人は沈黙を共有する。先に口を開いたのはさなえだった。
「とすると君も歪曲者か」
「歪曲者。久しぶりに聞いた単語ですね。なればお嬢さん方は『学園』出身ですかな?」
「私はね。君たちはあの男の執事とメイドと言ったところか。間山って名前思い出したよ。間山警備保障だろ。昔は裏で『歪み』を勝手に討伐してたところだ。だがこうなってしまったいまじゃ国とも深く関わってるんだろう?」
さなえはスザクを警戒するように睨んだ。
「さて、我々にはわからないことです。わたくしたちはただ間宮家に仕えている者にすぎません。先ほどは主の危機を救ってくださりまことにありがとうございます」
「慇懃無礼だな。こっちがあの人に危害を加える気だったら殺す気だったろ」
「それは当然のことでございましょう」
「あ、あの。あの人は、大丈夫なんですか?」とナツコは執事に聴いた。
「桔梗ならば大丈夫でしょう。引き際は心得ております」
「いや、その人じゃなくて、えっとみつこさんのほうです」
スザクはじっとナツコを見た。
「あの女の知り合いですか?」
「いえ、さっき会ったばかりですけど。でも、あの、その泣いてたので」
「そうですか。気にする必要はありません。どうぞおかえりください。あとはわたくしどもが処理いたしますので」
「はいそうですか、で帰れるわけがないんだよね」とさなえは言って指を鳴らした。その手にくたびれた花束が現れる。「こいつを二人に返さないといけないからさ」
「……いいえ。お気になさらずに。そんなもの捨てておいてもかまわないものですから」
「そんなわけないじゃん! あの人、一瞬手に取ろうとしたんだよ。でも、取らなかったんだ。きっとなんかあるんだよ」とナツコが抗弁する。
「なにかやましいことを思い出したんでしょう。坊ちゃんには相応しくない女性ですから」
「どうしてそんなふうにいえるの?」
「黙れ、小娘。貴様に説明する必要はないということだ。貴様らがこれ以上駄々をこねるならば強制的に退去させる」
ナツコはその言葉の圧にたじろいだ。
「退去するのはキミだ」
さなえはすばやくスザクの肩を叩いた。そして、二人から『距離』をとらせた。ナツコはスザクが消えたことに驚きながらさなえを見た。
「どこにやったん?」
「ちょっと隣町くらいのとこさ。なに死なないよ。彼も歪曲者だろうしね。そしてなにより間宮のとこにいる人間だ。柔じゃないしすぐ帰ってくる。だから、すこし工夫をしよう」
さなえはそう言って空に向かって手を挙げた。世界が強く歪曲していく。さなえが手を下げたとき雷鳴が完全に消えた。膝に手をつき、荒い息を繰り返す。
「なにしたの?」
「この公園は世界から『距離』をとった。簡単に言えば私の許可なしにこの中に入れないし、出られない。あの都市伝説を倒したからね。だいぶ歪ませられるようになったんだ。ただ展開できる時間はだいぶ短い。ふぅ。行ってくる」
さなえはそう言ってナツコに花束を渡し、対象二人へと距離を縮めた。
燃える木々の中でさなえが見たのは、黒髪の少女の死に際であった。片腕は折れているのか力なくたれている。刀で身体を支え辛うじて立っているようだ。それに対峙するピンクの髪をもつ『歪み』はつまらなさそうにアメを舐めていた。
「こんなもんかよ。あの騒動以来強そうなのによわっちぃやつが増えやがった。仮初の関係で満足しやがって。てめえごときを喰らっても腹の足しにもならんわ。あーつまらんつまらん。さっさと帰ってママに慰めてもらいたいんだがなあ?」
『歪み』に睨まれたさなえは、死にそうな少女を歪曲で自分の近くに寄せた。
「彼女とは十分遊んだろ?」
「お前、『学園』のやろーだよな?」と半分かけた棒つきキャンディーをさなえに突きつけて、『歪み』が言った。
「もう学園はなくなった」
「俺たちの間では『空間』を操るやつが『蓋』になることを拒否してぶっ壊れたって言われてるぜ。おかげで起こったあの騒動は『拒絶』のクソやろーが一枚噛んでたみたいで死ぬほどイラつくが、あの『巣』からママたちがこうして外に出てきてくれたのはありがたいことだ。で、お前が拒否したやつだろ」
「なに言ってるかさっぱりだな」
「びんびんにわかるぜ。お前のその歪み、すべての道理を捻じ曲げてしまうような歪み。どう見てもやつがお前の中にいる。同志よ、なぜそんなちんけな器にいるんだ。ともにバラバラになってしまったママを探すんだろ?」
「もう一度言おう。なにいってるかさっぱりだ」
さなえはそう言って死に掛けている少女を公園への外へと追い出した。間宮の仲間が彼女を救助するだろうと思ってのことだった。見知らぬ少女であったが見捨てるには目覚めが悪い。なによりこの目の前の『歪み』に食われてしまうのはもっと悪い予感がした。
「その辺の雑魚どもは使命を忘れちまってる。ママの復活、それが俺たちの究極目的だ。んだから、お前がこのママを俺から引き離そうとしているのならば戦うしかない」
少女の形をした『歪み』は腕を組んだままさなえを睨む。
「まだ引き離せそうで安心したよ。距離がゼロでない限りわたしのテリトリーだ」とさなえは答えた。
「ハハハッ、やってみろ!」
その言葉とともに『歪み』はさなえに接近し殴りかかった。そのピンクの髪がなびく。さなえの右頬を抉り取ろうとした『歪み』のこぶしがひしゃげた。さなえはすばやく『歪み』の腹部に触れようとする。それを察知したのか少女はさなえから大きく距離をとった。自分のつぶれた手を『歪み』は観察する。
「カベを殴ったみたいだ」
「やさしく触れれば痛くはしないさ」
それを聞いたツインテールの少女はつぶれていないほうの手を自分の口元へと持っていく。嗚咽のような笑いを漏らしながらその小さな身体を揺らした。笑いを止めると清々しそうな顔でさなえを見た。
「ああ、お前は本物だ。一切の対話もなしでその領域にいたった。さすが世界の蓋だよ。ところで俺は礼儀というのが好きだ。人間が自分はただの動物でないと見栄を張るのを見つめるのが大好きだ。このナリになって世界を回り、人間を眺めてきて、人間を喰らってきて、俺は、よりふかくママへの回帰を願うようになった。お前たちに生物学上の親がいるように俺たちもこの地に来る前、ママの胎にあった。ママはすべてを喰らえと命じて俺をこの地へと産んだ。だから俺の名は『暴食』という。蓋よ、俺と戦おう」
さなえがその名を聞いたときには、また『歪み』のこぶしが右頬に突きつけられていた。さなえの身を守る『膜』が自動的にそれと距離をとる。しかし、その距離が先ほどより近づいていることにさなえは気がついた。さなえは『暴食』を見る。二つのこぶしがつぶれてもなおその顔は笑顔であった。
「なんかい喰らえば、この隙間はなくなるのか楽しみだぜ」
さなえは後ろへと距離をとり、追撃を避ける。ぐちゃぐちゃになっていたはずの手が治っていた。さなえの思考が一瞬その事実へと引き寄せられる。そのわずかな隙間に『暴食』はさなえの腹部へと前蹴りを放つ。その蹴りはほぼ無防備なさなえに直撃し、わずかに後ろへとよろけさせた。さなえの『膜』はまだ正常に機能している。『暴食』の右足は返ってきた衝撃に耐え切れず、骨が折れ皮膚の外へと露出した。その負ったダメージを気にすることもなく、『暴食』は鮮血を撒き散らしながらさらに一歩さなえへと踏み込み、大きく振りかぶったこぶしでさなえの右頬を抉り取ろうとする。それと同時にさなえは『暴食』の右肩のあたりに触れようとした。すべては同時に起こり、同時に結果が出た。
さなえは『暴食』からの衝撃に耐え切れず吹き飛び、『暴食』はさなえの歪曲によってその胴体と右腕の距離をとられた。片腕になった『暴食』は大声で笑った。
「まだまだこれからだろう!?」
その右足は綺麗に治っている。さなえはよろめきながら立ち上がる。
「次は左だ」
「やってみろ!!」




