二千百八十二 SANA編 「相手の気持ちを慮る」
六月十八日。土曜日。曇り。
今日は、沙奈子たちは土曜授業で学校に行ってる。でも絵里奈と玲那は仕事が休みで、朝から玲緒奈の相手をしてくれている。散歩に行ったりして。
その間に僕は仕事を進める。本当は休日なんだけど、僕はただ休んでるよりもこうしてマイペースに仕事をしている方が楽だったりするんだよね。
そういう人も多いみたいだけど、でも、おかしいよね。
『自分は外で仕事をしてるから、家のことまではやってられない!』
とか言いながら、
『仕事をしてる方が楽』
みたいに言ってたりもする。どっちなの?。仕事が大変だから家のことなんてやってられないのか、仕事の方が楽だから家のことはやりたくないのか。後者だったらただ怠けたいだけだよね?。
怠けたい。楽をしたい。というのは人間なら誰しも思ってしまいがちなことだから別にいいんだ。ただ、仕事を理由に家のことをしたくないと言うんだったら、『仕事の方が楽』というのはおかしくないかな?って思うだけ。
そういえば、最近はますます『あだ名禁止』の流れが進んでるみたいで、それに対して批判的なことを言ってる人も多いみたいだけど、
『このあだ名をつけられた相手は嫌な気分になるかな?。どうかな?。ということを考える機会を奪うことになる』
的なことを言ってる人もいるみたいだけど、そうやって相手の気持ちを慮ることができる人は、自分が気に入らないからって頭ごなしに否定したりしないと思うし、何より、『バカじゃないの?』みたいに罵ったりしないと思うんだけどな。
そんな風に自分の気に入らないものに対してただ噛みつくようなことをする人が、本当に相手の気持ちとか考えてるの?。相手の気持ちを考えて発言してるの?。
とてもそうは思えない。
沙奈子が通ってる高校でも、小学校中学校と同じく、あだ名は基本的に禁止ってことになってるそうだ。だけど実際には、あくまで相手を揶揄したり貶したり蔑んだりするための悪意のあるあだ名を禁止するためにそういう建前にしているだけで、『やめてほしい』って生徒が思った時にしっかりと指導できるような根拠としてそうしてるだけで、そんなに四角四面な運用はしてないって。
それに、悪意で誰かを揶揄したり貶したり蔑んだりするような生徒は、禁止されてても隠れてひどいあだ名をつけたりするんじゃないの?。加えて、学校の外でお互いにニックネームで呼び合うことまでは制限できない。
そういうことをきちんと考えてるなら、自分の気に入らないやり方についても頭ごなしに貶すようなことはしないと思うんだけどな。
それは、仕事を理由に家のことをしなくていいと口にしてる人も同じかな。その態度が相手にどういう心理的な影響を与えるか、何も考えてないと感じるんだ。




