二千百五十九 SANA編 「人として誇れる姿」
五月二十六日。木曜日。曇りのち雨。
ネットはリアルの一部分だよ。リアルで誰かに取り囲まれて罵られたりしたら気分が悪いよね?。それはネットでも同じはずなんだけどな。だって、パソコンやスマホの画面の向こうにいるのは生身の人間なんだから。最近はCGとかで作ったキャラクターをアバターとして使ってたりするらしいけど、でもその向こうにいるのはAIじゃなくて生身の人間だよね?。自分が発した言葉が生身の人間に届くんだよ。どうしてそれを理解しようとしないの?。
だけどそれ以上に、『そんなことをせずにいられない状態』というのが異常だと僕はすごく感じてる。自分の家族や身近な人がそうやってどこかの誰かを罵らずにいられない状態なのがおかしいと感じるんだ。田上さんのお母さんや弟くんが他所の誰かを罵っていて、田上さんがそれについて心を痛めてるのを考えたら、本当に『まともじゃない』よ。
だけど田上さんには、お母さんや弟くんがそれをしてるのをやめさせられるだけの力はない。そもそも彼女の言葉に耳を傾ける気が二人にはないから。同時に、田上さんにはそれをしなきゃいけない責任も義務もない。なぜなら二人を育てたのは田上さんじゃないからね。本来ならお母さんが田上さんに、
『自分が気に入らないからって他所様を罵ったりするのはよくないこと』
だと教えなきゃいけない立場なのに、本人が率先してやってるんだから、子供である田上さんにはどうすることもできないだろうな。なにしろ、
『自分の子供なんだから自分に賛同するのが当たり前』
と、彼女のお母さんは思ってるそうだし。
なのに、そう思ってるお母さんは、自分の両親である田上さんの祖父母の言葉にも耳を傾けないそうだ。『自分の子供なんだから自分に賛同するのが当たり前』だというのなら、それはおかしいよね?。
本当に、
『自分の言ってること考えてること信じてることだけが正しくて、それにそぐわない考えはすべて間違ってる。悪である』
と信じ込んでるのがすごく伝わってくる。ネットで誰かを罵ってる人たちからも、それと同じ匂いが伝わってくる。そう考えているからこそそんなことができるんだなって。
『いろんな意見』があるのは当然だと僕も思う。『僕と違う意見を持つのは間違ってる』と言いたいわけじゃないんだ。ただ、自分の考えが何を招くのかを客観的に考えようとしないのは、そして『言い方』を考えないのは、人として誇れる姿なの?。と思うだけ。僕は自分の子供である沙奈子や玲那や玲緒奈がそんなことをしてたら悲しいし、沙奈子や玲那や玲緒奈に自分がそんなことをしてる姿を見せたいとは思わないよ。




