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僕に突然扶養家族ができた訳  作者: 太凡洋人
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二千百四十二 SANA編 「そういう親だった」

五月九日。月曜日。曇り。




ゴールデンウイークも終わり、高校に進学したテンションもそろそろ冷めてくる頃だと思う。『五月病』とか言われるものが世間じゃ出てくる頃なのかな。とは言え、昔ほどは『五月病』という言葉自体をあまり聞かなくなった気がする。それよりは、


『ゴールデンウイークが終わってつらい』


って感じなのかな。だけど沙奈子たちは、そこまで学校に通うのがつらいとも思ってない感じだな。何しろ授業で分からないことがほとんどないから。それで逆に退屈に感じることはあるとしても、みんなで登校するから気分的には楽みたいだ。ただ、一真かずまくんだけは、通ってた中学校が違って家も離れてるから、登校は一緒じゃないけど。


でも、一真くん自身、


「なんか気が楽になったかな」


と言ってくれてるらしい。学校に来たら沙奈子たちがいるから。


半面、琴美ことみちゃんは、学校には友達と言える子がいないらしい。表情らしい表情もなくて愛想もよくないから無理もないかもしれないけれど……。


沙奈子にとっての千早ちはやちゃんや大希ひろきくんみたいな存在と出逢えることがどれだけの幸運だったのかというのも、すごく思い知らされる。


これはやっぱり、子供当人の努力だけの問題じゃないよ。いくら愛想よくしてたって、千早ちゃんや大希くんみたいな子じゃなかったら、今の沙奈子はいなかったと思う。ましてや星谷ひかりたにさんのような人に出逢える子供が、どれほどいるって言うんだろう。


それよりは間違いなく、


『国や行政からの子供に対する支援を台無しにする親の下に生まれる子供』


の方が多そうな気がするんだけどな。


少なくとも、沙奈子みたいな出逢いができる子供の話を聞いて、『そんなの現実にいるわけないだろ!』って感じる人は多いんじゃないのかな? そう感じるということは、


『今の親の下に生まれたことを幸せだと感じてる人は実は多くない』


ということのような気もするんだけどな。


『今の親の下に生まれることができて自分は良かった。親には感謝してる』と思える人が世の中の大半だったら、親子の確執とか嫁姑問題とか、


『年老いた親を高齢者施設に預けてほとんど面会にも来ない子供』


とか、そんなに多くないんじゃないのかな?。


口先だけで体裁を取り繕って親への感謝の言葉を並べてたって、普段の振る舞いが伴ってなければなんの意味もないし、『体裁を取り繕わなきゃいけない』時点で『そういう親だった』って自分で言ってるようなものだよね。


僕自身が『親』として、自分の子供にそんな形で体裁を取り繕わせること自体が恥ずかしいと感じるよ。



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