二千百二十九 SANA編 「想定できると思う」
四月二十六日。火曜日。雨。
今日は鷲崎さんの誕生日だけど、喜緑さんのところで祝うそうなので、千早ちゃんがケーキを焼いて結人くんに持ち帰ってもらってた。
その様子を見てなおさら思う。僕たちは、僕たちの家族の命の価値を、見ず知らずの赤の他人に決められたくなんてない。たとえ、『責任能力』を持ってなくてもね。
沙奈子も玲緒奈も僕の子供だし『人間』だ。『責任能力があるから人間』なんじゃなくて、『人間から生まれたんだからそれでもう無条件に人間』なんだよ。
それに、『法律や社会規範を理解できるから人間』だって言うなら、法律や社会規範という概念が生まれる以前は人間は人間じゃなかったって言うの?。人間じゃなかったって言うなら何だったの?。違うよね?。法律や社会規範という概念が生まれる以前から人間は人間だったはずだよね?。
むしろ、
『人間だから他の誰かに勝手に命の価値を決められて命を奪われたりしたら嫌だから、法律を作って他者を害することを禁じた』
ってことじゃないの?。最初に人間が存在して、その後に法律や社会規範ができたんだよね?。違うの?。違うって言うならどう違うのか説明してよ?。人間が人間になったのはいつで、法律や社会規範という概念が生まれたのはいつ?。
『野生の猿とかにもルールや掟はある!』
って言うかもしれないけど、それは『法律』じゃないよね?。そんなものは法律とは言わないよね?。そして今の法律は、法は、
『人間には誰しも人権があって、それを他者が勝手に侵してはいけない』
ってことになってるよね?。なのにどうして、その法を無視して他者の命の価値を勝手に決めようとするの?。『法律や社会規範を理解できるのが人間だ』って言うなら、他者の命の価値を勝手に決めようとする人こそが法律も社会規範も理解してないじゃないか。
僕は親として、沙奈子や玲緒奈に対してそれをしっかりと教えていかなきゃいけないと思ってる。他の人のことをちゃんと人間として接しないといけないと教えなきゃと思ってる。
そして、相手が人間だからこそ、自分の思い通りになってくれるわけじゃないってことを教えなきゃいけないと思ってる。相手が、何もかも自分にとって都合よくいてくれると考えるのは、それは決して相手を人間として見做してるわけじゃないからね。自分が他の誰かの都合に合わせて生きることができるわけじゃないって考えたら分かるはずだよ。
そうすれば、相手が自分を騙そうとしてるかもしれないとか、いいように利用しようとしてるかもしれないということも、想定できると思うけどな。『自分に都合よくいてくれるわけじゃない』からね。
相手を人間として見做すというのは、決して『お人好しになる』ということじゃないはずなんだ。




