二千百一 SANA編 「自分に対しては甘い人」
三月二十九日。火曜日。晴れ。
『獅子は我が子を千尋の谷に突き落とす』
そんな話を根拠に子供に厳しく当たる人があるらしいけど、それってただの『空想上の作り話』であって、『寓話』でさえないみたいだね。だいたい、ここで出てくる『獅子』というのも想像上の生き物らしいし。ライオンじゃないんだ。
だよね。ライオンが生息してるのは基本的にサバンナで、千尋と表現できそうな高い崖なんて、それぞれの縄張りにあるとは思えないし、正直、違和感はずっとあったんだ。だから『空想上の作り話』だと知った時には『やっぱり』としか思わなかった。
なにより、たとえライオンのことを指していたんだとしても、野生の動物の育て方がどうしてそのまま人間の子供の育て方の参考になるのかが分からない。そもそも、ライオンだって子供を大切に育てるらしいし。有名な『ライオンの子殺し』も、それは『子供を厳しく育てる』ってことじゃなくて、あくまで新しいボスが雌に自分の子供を生ませるためにするだけのことなんだよね?。育児とはまったくと言っていいほど関係ないじゃないか。
空想上の作り話を根拠にするのもおかしいし、野生の動物を根拠にするのもおかしいよね。人間はあくまで人間で、人間としての話をしなきゃおかしいと僕も思う。
だから僕は、人間を育てることを考える。そして山仁さんも、『人間の子供を育ててるという現実』をちゃんと見てたんだ。『想像上の生き物』でもない、『人間以外の野生の動物』でもない、『人間の子供』を見てたんだよ。
自分にとって受け止めきれないくらいのつらい現実を目の当たりにして平然としてられる方がむしろおかしいと思う。そこまでじゃなくても、『自分だけがやりたいことが見付けられていない』というのは大希くんにはとてもつらいことだったんだろうな。それは『人間だからこそ』だよ。人間以外の動物がそんなことを気にすると思うの?。自分の価値にさえ考えが及んでしまうほど意識してると思うの?。違うよね?。そうじゃないよね?。人間だからこそそれを気にしてしまうんだよね?。
だったら、人間以外の動物の、ましてや空想上の生き物の生態がどうして参考になると思うの?。そんなものを参考にせず、山仁さんはただただ大希くん自身を見てくれてたんだと思う。だから僕もそうする。
他者に対して厳しい人は、自分に甘い。
それは、毎日のように見られることだ。ネットの中でも、テレビの中でも、そして自分の身の回りでも。玲緒奈を連れて散歩に行ってるだけでも、買い物に行ってるだけでも見掛ける。『大人なのに自分に対しては甘い人』を見掛けない日はないよね。だから僕はそれを忘れないようにしたいんだ。




