二千九十四 役童編 「むしろ誤報であって」
三月二十二日。火曜日。雨。
『八人で一人を殴る蹴るをポピュラーな遊びと表現したという件』については、誰が、どういう意図をもって『ポピュラーな遊び』と表現したのか、まったく理解できない。むしろ誤報であってほしいとさえ思う。
ただ、改めて思うけど、この種の話が出てくるとよく『地域性』みたいなことが言われるというのは、
『子供がどんな風に育つかは環境に左右される』
ということを裏付けてるとしか思えない。だって、『地域によって違いがある』ってことだよね?。その地域が持つ特性みたいなものが、子供たちだけじゃなく、そこで育った人たちの精神性や人間性や性格の傾向に影響を与えてるって言ってるわけだよね?。
『地域性』なんて言葉を使っておいてそれで、『親の所為にするな』『環境の所為にするな』『社会の所為にするな』なんてどうして言えるの?。
『本人の精神性や人間性や性格の傾向が、本人だけですべて決まる』なら、『地域性』なんて言葉そのものが成立しないよね?。
その一方で、僕は、『地域性』って言葉にも懐疑的なんだ。
だって、僕たちが住んでる地域についても、よく、『陰険』『陰湿』『排他的』『傲慢』とか言われてるみたいだけど、だったらどうして、沙奈子が通ってた小学校が『イジメの疑い案件』ってだけの時点であんなに丁寧に対応してくれたの?。小学校だけじゃない。中学校もそうだし、沙奈子たちが合格した高校も、そこに通ってたイチコさんも星谷さんも波多野さんも田上さんも、イジメとかに対しては丁寧に対応してくれる学校だったって言ってたよ?。
確かに小学校や中学校ほど『優しく』はなかったらしいし、星谷さんはそこに『スクールカースト』みたいなものを作ろうとしていったんはそんな空気ができかけたらしいとしても、当の星谷さんがイチコさんに懐柔されてしまったらたちまちそんなことなかったみたいに元に戻ったって言ってた。これは、星谷さんの目論見が頓挫しただけじゃなくて、その後の学校側の対応も功を奏したらしい。
それとか、教師が女子更衣室を盗撮しようとしたっていう事件があったのも、あくまでその教師個人の問題だったみたいだし。
だから、もし、『地域性』って言葉で『そういうものだ』って誤魔化そうとしてるなら、それも『大人の側の甘え』だとしか思わない。現に、『八人で一人を殴る蹴るをポピュラーな遊びだなんて言わない』学校が存在してるんだからね。沙奈子が通ってた小学校でそれができてるのに、どうしてできない小学校があるの?。
それを『地域性』ってことで『仕方ない』と言うのなら、『環境によって人間性は大きく影響を受ける』ってことも認めなきゃおかしいよ。




