二千八十七 役童編 「卒業証書授与式」
三月十五日。火曜日。晴れ。
今日は沙奈子たちの学校の卒業式。さすがに今日だけは僕も絵里奈もそれなりの格好をしてして学校に向かう。玲緒奈は玲那に任せて。
「パパっ!。ママっ!。ぶあっぷ!!」
僕と絵里奈がいつもと違う格好をしてるのを、玲緒奈は何か訝しんでる様子だった。そんな彼女に、僕は、
「ごめんね。パパとママは、沙奈子お姉ちゃんの学校に行ってくるから。玲那お姉ちゃんと一緒にお留守番、お願い」
膝を着いて視線を合わせて、丁寧に『お願い』した。すると玲緒奈は、
「ダメっ!!」
って言いながら僕の顔をピシャンって叩いた。それに対して僕は、
「そうだね。嫌だね。でも、大丈夫。パパもママもちゃんと帰ってくるから。だから今だけ、パパとママを沙奈子お姉ちゃんに貸してあげてほしい」
改めてそうお願いする。と、彼女は、
「ぶるるるるるるるるるっ!!」
頬を膨らませて唇を震わせて、精一杯不満そうな顔をしながらも、
「うぶあっ!!」
僕の顔をもう一度叩いて、その場に座って、ぷいっと顔を逸らした。そこに玲那が来て、
「大丈夫だよ。パパもママも玲緒奈のこと大好きだから。ちゃ~んと帰ってくる。それまで玲那お姉ちゃんと一緒に待っとこうね」
って声を掛けつつ手を伸ばしたら、
「ぶううっ!」
やっぱり不満そうな声を上げながらも玲那に抱き付いてくれた。
『納得はしてないけど、今は玲那お姉ちゃんで我慢してやる!』
とでも言いたげな様子で。
本当に自分の気持ちをしっかりと表に出してくれる子だな。だからこそ分かりやすい。
「ありがとう、玲緒奈。じゃあ、いってきます」
「いってきます」
そう言いながら手を振った僕と絵里奈には、もう振り向いてはくれなかった。
こうやって玲緒奈も、何もかもが自分の思い通りに行くわけじゃないということを少しずつ学んでいってくれてるんだと思う。だけどまだ自分の感情を上手くコントロールできるだけの経験を積んでないから、こうやって拗ねたりもする。
だけど、それでいいと思うんだ。そうやって少しずつ少しずつ、学んでいくんだ。人間だから。僕や絵里奈や玲那や沙奈子が彼女を人間として扱うから、僕達の振る舞いを見て習熟していくんだ。
二回も僕の顔を叩いたように、玲緒奈だって僕たちの思い通りになってくれるわけじゃない。でもそれこそが、
『相手が自分の思い通りになってくれない時の振る舞い方』
を学ぶチャンスだと思うんだ。僕たちが態度で示すことで、玲緒奈も学んでいくんだよ。
「おはようございます!」
「おはようございます……」
いつものように千早ちゃんと結人くんが沙奈子を迎えに来てくれた。さらに、
「おはようございます」
鷲崎さんも、結人くんのために参列する。
「おはようございます」
僕と絵里奈は声を揃えて挨拶して、
「とうとう、卒業式ですね」
口にする。
「ですね~、びっくりですよ♡」
千早ちゃんが「にしし♡」って感じでマスク越しに笑って、
「本当に、結人が卒業できるんですね……」
鷲崎さんが涙ぐむ。確かに、彼女にしてみれば本当に長かった九年間だと思う。それが今日、一つの節目を迎えるんだからね。
「もう泣いてんのかよ。早えーよ、おデブ」
「デブじゃない!。私はぽっちゃり!」
いつものやり取りは健在だけど。だけど、そのやり取りそのものはこれまで通りでも、きっとその表情は以前と違ってるんだろうなって感じる。
すると、絵里奈もつられるみたいにして目を潤ませてた。ただ、僕や沙奈子や結人くんは、平然としてる。僕としては中学卒業もあくまで人生の通過点の一つでしかないという実感だからね。これから先の沙奈子の人生を考えたら、きっとそれこそ涙が抑えられない時があると思う。だからこそ今日のところはさらりと流す感じかな。
こうしてみんなで学校に向かうと、山仁さんと大希くんの姿。でも、かなり先なので、走っていって声を掛けるのもどうかと思って、学校に着いてからでいいかってそのまま歩いた。山仁さんは、大希くんが躓いてからずっと、ああして学校まで一緒に歩いてくれたんだろうな。そのことについても、
「大希をこの世に送り出したのは他でもない私ですから、私はその責任を果たすだけです」
って言ってた。僕も、玲緒奈のことはもちろん、僕自身が一緒に暮らすのを決断した沙奈子のことも、しっかりと責任を負っていきたい。親がそうやって自分の決断や判断に責任を負う姿を見せなくて、どうして子供がそんな姿勢を学べるの?。と思うから。
そんなことを考えながら着いた沙奈子たちの通う学校。
「そんじゃね!」
千早ちゃんが言いながら手を振り、沙奈子と結人くんを連れて教室へと向かった。保護者はこのまま受付を済ませて体育館に入る。
受付の前には消毒用のアルコールが置かれ、僕たちはそれで手を消毒。間隔を空けつつ一列に並んで順番に入っていく。
「晴れてくれてよかったですね」
鷲崎さんの言葉に、
「そうですね」
体育館に沿って外で並んでるから、確かに雨だったら大変だろうなって感じた。
体育館に入るところにもアルコールが置かれてたからそれでまた手を消毒して中に入ったら、沙奈子たちの姿を修めようと一応スマホも持ってきたけど、もうすでに、生徒たちが入場する時に通る辺りの席は埋まってて、僕たちは一番端に座ることになった。
「さすがに気合入ってる人は入ってますね」
絵里奈が呟く。
「確かに」
三人掛けの椅子に絵里奈と僕と鷲崎さんで座って、その時を待つ。山仁さんの姿はちょっと見えなかった。もしかしたら僕たちとは反対側に座ったのかもしれない。だけどわざわざ探すためにうろうろするのも迷惑だと考えて、チャンスがあればと思うようにした。
『なるべく会話はお控えください』
と注意書きが貼り出されていたこともあって、思ったよりは静かだった。小学校の卒業式とか中学の入学式の時にはもっと騒々しかった覚えがある。これも今は仕方ないんだろうな。しかも、式の中で生徒一人一人の名前は読み上げるけど、卒業証書を実際に受け取るのは各クラスの代表だけという、可能な限り簡略化した内容になるって。だけど正直、僕はその方がありがたいかな。
そうして、
「これより、卒業証書授与式を挙行いたします。卒業生が入場してまいりますので、皆様、拍手でお迎えください」
アナウンスがあり、いよいよ始まった。僕たちももちろん拍手で出迎える。担任教師を先頭にしたクラス順の入場で、沙奈子と千早ちゃんは三組。一組は特別支援学級で生徒は三人だけだったからすぐに二組の入場が始まって、それが終わると三組だ。
「来ました」
絵里奈が言いながらスマホを構える。目一杯拡大してもやっと顔が分かる程度だったけど、僕と鷲崎さんも構えた。
「千早ちゃんです」
また絵里奈が声を上げたから、三人で動画を撮影する。そうすれば一人がちゃんと撮影できてたら融通し合えばいいからね。
顔を引き締めて堂々と歩く千早ちゃんの姿は、なんだかとても立派に見えた。そうして三組の生徒の入場が続き、
「沙奈子ちゃんです!」
その声に改めて身構えた。スマホの画面に捉えらえた沙奈子も、凛とした雰囲気で、
『ああ……成長したんだな……』
しみじみ思ってしまった。
こうして沙奈子の姿が見えなくなるまで撮影を続けて、姿勢を戻す。それから次に七組の入場が始まると、結人くんと大希くんの姿も三人で動画に収める。
見ると、鷲崎さんがまた泣いてた。本当に感受性の強い人なんだな。そこまで気持ちが昂ってこない自分が少し残念に感じてしまうけど、これも人それぞれでいいんだと思う。
卒業生の入場が終わり、国歌静聴と校歌静聴を経て、卒業証書授与に移る。ここも、いつもなら来賓の挨拶とかを挟んでだったんだろうけど、それも省略されて、逆に良かったかな。そういうの、すごく眠くなるし。
でも、卒業生の名前が呼ばれていって、一組と二組の代表の生徒が卒業証書を受け取って、そして三組も、二番目に、
「石生蔵千早」
千早ちゃんの名前が呼ばれて、
「はい!」
と元気に返事をしながら起立して、さらに一人一人名前が呼ばれて順に起立、最後の方まで来て、
「山下沙奈子」
沙奈子の名前が。
「はい」
決して大きくはないけど、それでも以前の彼女を知る僕にとってはとても大きなそれに聞こえる声で返事をしつつ起立した沙奈子を動画に収めようとしたけど、どうしてもピントが合わなかった。けど、別にいい。僕がちゃんと見てればいいだけだ。
さらに、
「代表、石生蔵千早」
って、千早ちゃんが代表で呼ばれて、
「はい!」
さっきよりもさらに大きな声で返事をした千早ちゃんが壇上に上がって卒業証書を受け取った姿も、動画に収める。
それからも淡々と式は進み、七組の番になって、
「鯨井結人」
「山仁大希」
結人くんと大希くんも名前も呼ばれて、それぞれ、
「はい」
と、ちょっと控えめな返事をしながら起立したのも、もちろん動画に。
そして全九組、二百四十四名の卒業生全員の名前が呼ばれて、卒業証書授与は終わった。
続けて校長先生の祝辞と卒業生代表の『感謝の言葉』も滞りなく済んで、卒業式は無事に終えられた。
だけど卒業生はこのあと、教室に戻って最後の『学活』が。
だから僕たちは、用意された『花道』のところに並んで出てくるのを待つ。そこで山仁さんともようやく、
「ご卒業、おめでとうございます」
と挨拶を交わせて、
「最後の最後でいろいろとご迷惑をおかけして申し訳ございません」
頭を下げられて、
「いえいえこちらこそ、ご迷惑をおかけしてばかりで……!」
みんなしてペコペコ頭を下げ合ったり。
それから最後の学活も終えて校舎から出てきた沙奈子と千早ちゃんと結人くんと大希くんを迎えて、それぞれ校門のところで写真を撮って、中学生最後の日を終えたのだった。
みんな、卒業、おめでとう。




