二千六十五 役童編 「フィクションと現実は」
二月二十一日。月曜日。晴れ時々雪。
漫画やアニメやドラマは、『テンポが悪い』と評価が下がるそうだ。だからたいていの問題はすぐに解決する。それについて、
「だけどそれって結局、フィクションだからなんだよね。そういうのをじっくりやろうとするとすぐに『テンポが悪い』『退屈だ』と叩かれる。で、作る方は売らなきゃいけないからサクサク進んでテンポがいいようにする。だけどさ、実際の人生ってそうじゃないよね?。そんな簡単に問題が解決したりしないよね?。解決するにしたってテンポよくすっきりっていう風にはいかないよね?。だからこそ『フィクションでは夢を見ていたい』『フィクションには現実の世知辛さは要らない』とか言ったりするんじゃん。
なのに、現実にもフィクションのテンポの良さを求めるのは、おかしいんじゃないの?。さっさと解決させようなんて考えるのは、フィクションの見過ぎじゃないの?。現実にフィクションを当てはめようとするのは、マジ危険だよ。てか、それって『フィクションに影響を受けてる』ってことじゃん。なんか大変な事件が起こる度に漫画やアニメやゲームの影響が取り沙汰されて、それについて『漫画やアニメやゲームの影響なんてない!!』って必死に否定しようとするけど、フィクションみたいにテンポよく問題が解決するのが当然だと思ったり、フィクションじゃ必ずと言っていいほどうまくいく『復讐劇』を現実にも当てはめようとしたりするのって、『フィクションに影響を受けてる』ってことじゃん。違う?。現実をフィクションに持ち込むのは野暮ってもんだけど、だからってフィクションを現実に当てはめようとするのはヤバいと私は思ってる。漫画とかアニメとかが好きだからこそ、そう思うんだよ。『フィクションと現実は切り離して考えてほしい』ってさ。
私は酷い経験をしてきたけど、だからってフィクションの中でそういう描写をすることについて『私が嫌だからやめろ!』とか言いたくないんだよ。現実は現実、フィクションはフィクション。現実の事件とかなんとかを連想させるような描写があっても、明らかに悪意をもってそのままの描写をしてるとかだったら別だとしても、本当に概要だけをなぞらえて再構成したものはただのフィクションだと私は思う。いくら現実に連想させるものがあってもそれを持ち出すのは野暮の極みだと思うんだ」
大希くんの問題からいろいろ連想してしまったらしくて、玲那がそう熱弁をふるってた。星谷さんから提供された例の『試作品』を使って。休憩中に。すると、微妙にイントネーションがおかしいところがあったりもしつつ、文言そのものはほぼ完璧に再現されてたな。
すごい進歩だよ。




