二千五十三 役童編 「立派な人」
二月九日。水曜日。晴れ。
そうだよ。沙奈子も千早ちゃんも結人くんも実の親には恵まれなかったかもしれない。けれど、それ以外の『出逢い』にはすごく恵まれたと思う。本人たちも努力はしたけど、その『努力できる環境』を用意できたのは、山仁さんや星谷さんのおかげ。それを、
『自分の努力でここまでのし上がった!』
みたいなことを言って、力になってくれた人たちの存在をなかったことにするような人が、『立派な人』なの?。努力だけでどうにでもなると言ってる人たちは、自分を支えてくれた人たちなんて本当に存在しなかったってことにしたいの?。僕はそんな人が『立派』だなんて思えないんだけどな。
そして、
『子供さえ努力すればなんとでもなる』
とか言って、親が本来やるべきことをやらなかったという『怠慢』を、何のお咎めもなしで免責してていいの?。そんな社会が望みなの?。
子供が努力してないことで結果を出せないのを『親の所為』にするのと、親がやるべきことをやらずに怠けていたのを『子供さえ努力すればなんとでもなる』と言い逃れるのとは、別の問題だよ?。どうして『利口な人』がそんなことにも気付かないの?。
沙奈子たちは、たぶん、『普通』ではできないような大変な努力をしてきたと思う。
『そんな漫画やアニメみたいな都合のいいことがあるはずない!』
って言われる程度には恵まれてたと思う。でも、『そんな漫画やアニメみたいな都合のいいことがあるはずない!』って言葉がそれこそ物語ってるよね?。
『努力できるということ自体が環境に影響される』
ということを。
『都合のいい状況がないとここまでのことはできない』
って言いたいんだよね?。
僕は間近でそれを見てきたからこそそう感じるんだ。だからこそ山仁さんや星谷さんには感謝しかない。そしてイチコさんにも波多野さんにも田上さんにも鷲崎さんにも、喜緑さんたちにも、塚崎さんにも。
実は昨日の夜、児童相談所の相談員の塚崎さんが、波多野さんの部屋、つまり以前に僕と沙奈子が住んでいた部屋を訪ねてきたそうなんだ。そこで波多野さんがすぐに僕に連絡をくれて、ビデオ通話で話ができた。
「お久しぶりです。山下さん。実はこの度、こちらの地区の担当として戻ってきまして。そのご挨拶を兼ねて沙奈子さんのご様子を窺えればと思ったのですが、ご結婚されたとか。おめでとうございます。波多野さんからもお伺いしましたが、沙奈子さんはお元気だそうですね。本当に良かった……」




