二千二十二 玲緒奈編 「僕は子供用ハーネスを使う」
一月九日。日曜日。晴れ。
何かまた、『子供用ハーネス』について取り沙汰されてるみたいだね。そして、それを批判してる人の言ってることの大半が、
『子供をペット扱いしてる』
っていうもの。僕はその言い草が本当に不快だ。『子供をペット扱いしてる』と言ってるその人が、子供をペットとして見做してるってことだからね。子供をペットと見做してなければ、そんな発想は出てこないんじゃないの?。
僕は、玲緒奈と外出する時には、『子供用ハーネス』を使おうと思ってる。僕は玲緒奈をペットだと考えてるから使うんじゃない。
『万が一の備え』
として使うだけだ。僕が玲緒奈に『子供用ハーネス』を使ってるからって玲緒奈を人間として見ない人の言葉なんて、耳を貸すつもりなんかまったくない。玲緒奈は人間だ。しかも、僕の勝手でこの世に来てもらった人間なんだよ。その玲緒奈の命を守るための努力をすることに、どうして、何の責任も負ってくれない無責任な他人の世迷言に耳を貸さなきゃいけないの?。
僕の玲緒奈をペットと見做すような人たちのことなんてしったことじゃない。
ただ、散歩してるとたまに子供用ハーネスを使ってる人もいるけど、『危ないな』って思うことは確かにある。手を放してハーネスを長く伸ばした状態で使ってるのを見ると、
『ハーネスに気付かずに自転車が間をすり抜けようとしたりしたら大変なことになりそうだな』
って感じるのは事実だ。山仁さんも言ってた。
「私は、イチコの時も大希の時も子供用ハーネスを使いましたが、その上で手を繋ぐようにしていました。ハーネスを長く伸ばしていると危険だと感じたからです。『子供用ハーネス』は、その名の通り、『ハーネス』です。ハーネスとは『命綱』のことです。命綱は正しく使ってこそ命綱としての機能を果たすのだと私は思います。そして命綱は、あくまでいざという時に機能してくれればいいわけですから、命綱をあてにした使い方はしないはずです。
自動車のシートベルトも本当は『ハーネス』と言うらしいですが、あれも、シートベルトがあるのをあてにした使い方はしませんよね?。他にも、高所作業用の『安全帯』もハーネスと言いますが、その安全帯を使って日常的にわざとぶら下がるような使い方は本来しませんよね?。あれらはそのような使い方をするものではなく、あくまで万が一に備えた『命綱』なんです。子供用ハーネスも同じ。普段からハーネスに頼り切ったような使い方は、本来の使い方ではないはずなんです。だから私は、ハーネスを使いつつ手を繋ぐようにしていました。ハーネスはどこまでいっても万が一の備えでしかありませんから」
山仁さんのその言葉は、僕にとっての指標になってる。山仁さんの言ってることは僕にとっても納得できるものだから、僕は子供用ハーネスを使う。玲緒奈の命を預かってるわけじゃない人の印象なんか知らない。僕が玲緒奈を守るんだ。
それを馬鹿にする人は、いったい、どんな神経をしてるんだろう……?。




