二千二十一 玲緒奈編 「努力しなかった人」
一月八日。土曜日。曇り。
僕は、僕一人で年収一千万円を得られるだけの努力はできてない。自分では仕事を頑張ってるつもりだけど、僕一人が頑張っても給料は上がらない。
そんな僕が、なんで沙奈子に対して、
『努力さえすれば社会的に成功できる』
なんて言えるの?。僕だって別に怠けてるつもりはないけど、決して『社会的に成功してる』って言えるような結果は出せてないよ?。
そうだよね。『年収一千万未満の世帯は社会のお荷物』って言うのなら、その社会のお荷物って言われる程度の収入しかない親は、努力をしたの?。『努力さえすれば社会的に成功できる』なら、努力なんてしてないってことになるし、努力したのに年収一千万円を達成できてないのなら、『努力さえすれば社会的に成功できる』なんて言えないよね。
だから僕は何度でも言うよ。
『努力さえすれば社会的に成功できる。なんて嘘だ』
ってさ。同じだけの努力をしたって大リーガーになれる人となれない人はいる。努力したらそれが全部報われるのなら同じだけの努力をした人全員が同じだけの成功ができなきゃおかしいし。成功できてないのならそれは努力してないってことだよね。
努力を声高に叫ぶ人ほど実は努力をしてないっていう実感しかないんだ。貧しい家庭に生まれて、でも一代ですごい企業を作り上げた人は、確かに努力したと思う。でも、だからって同じ努力をしたら同じようにすごい企業を作れるのなら、その人たちと同じ世代に生まれ育って『すごい企業を作らなかった人』は、何をしてたの?。そのすごい企業を作った人以外は、世界的に活躍したスポーツ選手になれなかった人は、『努力しなかった人』ってことになるんじゃないのかな?。
その、『努力しなかった人』が実際にはほとんどなのに、どうしてその人たちが『努力』を語れるの?。その人たちに努力の何が分かるって言うの?。
僕は、僕なりに真面目に頑張ってきたつもりだけど、それでも『社会のお荷物』程度の収入しか得られてない。それはつまり僕が努力をしてこなかったってことだよね?。そんな僕には努力を語る資格はないと思うんだけどな。僕の頑張りがたとえ努力だと認められても、結果としてやっぱり『社会のお荷物』程度の収入しか得られてないなら、『努力さえすれば社会的に成功できる』なんて嘘だっていう証拠にしかならない。
そんな僕が沙奈子や玲緒奈に対して『努力さえすれば社会的に成功できる』なんて、何で言えるの?。




