二千十四 玲緒奈編 「こちらが得意な条件で交渉の席に」
一月一日。土曜日。曇りのち晴れ。
とうとう、年が開けた。だけど今年も、別に何か特別なことはしない。イベントに神経を使わない。ただでさえストレスの多い面倒ごとの多い今の世の中で、その手のイベントにまで神経を使いたくないんだ。『新型コロナウイルス感染症』のおかげで忘年会も新年会もなくなった。元々、強制参加ってわけじゃなくてただ集まりたい人だけでやってたことだそうだけど、それでも、
『忘年会とか新年会があるなら参加しなくちゃいけないのかも』
と思ってる人は、
『内心では行きたくないけど行かなかったら社内での自分の立場が悪くなるかもしれないと思うと断れなかった』
って感じだったらしい。だから堂々と『行かなくていい理由』ができて救われたという人が僕の勤めてる会社にも現にいる。
『忘年会とか新年会とか飲み会とかがなくなったことでコミュニケーションが取りづらくなった』
みたいに言う人もいるみたいだけど、そんなことでないとコミュニケーションが取れない人って、むしろ『コミュニケーション能力が低い人』なんじゃないのかな?。
星谷さんも言ってたな。
「そうですね。私の両親も交流を図るためによくパーティーなどに参加していましたが、確かにそれによって様々な情報を得られたり新しいコネクションができたりもしましたが、コミュニケーション能力が高い人はあくまでそれらを『機会の一つ』としか捉えていなくて、『それがなくては何もできない』などと考えてはいませんでした。『お酒の力を借りなければコミュニケーションを取れない』というのは、決して自慢できることではないはずです。
自身の得意なフィールドに相手が入ってきてくれなければコミュニケーションさえ取れないとご自身で告げる利点が私には理解できないのです。それはご自身で弱点を晒していると同じではありませんか?。『お酒の力を借りなければコミュニケーションを取れない』ということであれば、苦手な状況に持ち込めば優位な立場で交渉できると相手に教えているのと同じではないですか。大変に脇が甘いと申し上げざるを得ませんね」
言われてみれば確かにそうだと思った。『お酒の力を借りなければコミュニケーションを取れない』ような人がいる会社と有利に交渉を進めたいと思ったら、お酒の場を設けなければいい、ってことになるんじゃないの?。わざわざこちらが得意な条件で交渉の席に着いてくれるとは限らないよね?。
そうやって自分たちに有利な交渉の場を設けてくれることを当たり前だと思ってる会社って、大丈夫なの?。




