二千十一 玲緒奈編 「どんなに手を抜いてもサボっても」
十二月二十九日。水曜日。曇り。
僕の会社は今日から新年の四日まで冬休み。『SANA』は今日が仕事納めで明日からやっぱり新年の四日まで冬休み。
今回の『新型コロナウイルス感染症』が浮き彫りにしたことの一つに、
『会社にいるのに結局は手を抜いて仕事をサボって調節してるのが当たり前のようにいる』
というのがある気がする。僕が以前勤めていた会社でも、それは横行してた。まったく手を抜くことなく集中して作業すると残業が必要ないどころか時間が余るから、そうなるとさらに仕事を詰め込まれるのが嫌でわざと仕事を遅らせるっていうのがね。しかもそれは、残業を生じさせることにも使われてた。
これを、
『無理なく仕事をするための知恵』
『長く仕事を続けるための工夫』
と称して正当化する人も多いと思う。だけどそれって要するに『怠けて楽をしたい』っていうだけだよね?。
もちろん、ずっと集中し続けることは無理だと僕も分かってるからそれをするのはおかしいとは言わないよ。だけど、自分はそうやって手を抜こうとしてるのに、他の誰かが同じようにしてたらキレるのは何なんだろうね?。
『サボるにしたって分からないようにサボれ』
ってこと?。なんかそういうのもとても自慢できることじゃないと思うんだけどな。
『能力主義』というのは、『上手く隠れて仕事をサボることも含めての能力を見る』ってことなの?。
じゃあやっぱり、
『ズルい人ばかりが得をする社会』
を作ろうとしてるってことだよね?
それで、『親と子の絆』とか『親は必ず子供を愛してる』とか『子供は親を敬い恩に報いるのが正しい姿』とか、上辺ばっかりの気持ち悪い綺麗事をよく並べられるものだって感心するよ。
どんなに手を抜いてもサボってもいい加減なことをしてても『親』というだけで敬ってもらえて恩を返してもらえて老後の面倒を見てもらえて当然って考えてるってことなんだね?。
情けないな。僕はそんな親でいたいとは思わないよ。
僕だって、手を抜きたいしサボりたいし楽をしたいと考えてる。でも、だからこそ沙奈子や玲緒奈に対して偉そうにはできない。偉そうにするのは違うと思ってる。
自分のやってることを棚に上げて偉そうに叱るんじゃなくて、とにかく自分が実際に手本を示すことを心掛けてる。それしかできないから。
今の玲緒奈は傍若無人で傲慢で我儘で礼儀なんてまったくわきまえてないけど、言葉すらまだ満足に話せないこの子が言葉以上に複雑でややこしい『人間としての振る舞い』を理解するのに時間が掛かるのは当たり前だよ。大人なのにどうしてそんなことも分からないの?って思う。
でもそれを指摘されるとキレるんだよね。大人は。




