二千一 玲緒奈編 「本当に何もなかった」
十二月十九日。日曜日。晴れ。
僕の部屋にきた時の沙奈子には、本当に何もなかった。着古してよれよれになった服以外には何もなかったんだ。人間にイジメられて信じられなくなった捨て犬みたいに怯えて部屋の隅にうずくまって虚ろな目で僕を見ていた沙奈子。
彼女のために一つ一ついろいろなものを買い足していって、虫歯を治して、とにかく彼女のすべてを受け止めることを心掛けて、それで少しずつ少しずつ信頼を勝ち得ていって、まずは僕だけがいる状態になった。沙奈子と僕だけがいる状態にね。
そこに絵里奈と玲那が加わって、大希くんと千早ちゃんが加わって、星谷さんが、山仁さんが、イチコさんが、波多野さんが、田上さんが、鷲崎さんが、結人くんが加わって、沙奈子の世界はどんどんと広がっていった。沙奈子と僕しかいなかったところに、何人もの人が加わったんだ。
僕がずっとそばにいないとひどく不安がってた沙奈子はもういない。朝に学校へ行ってから、夜、一階でみんなで夕食を終えてからリビングに来るまでの間、ほとんど僕と会話を交わすことがなくても平気になれた。ちゃんと僕以外の人と過ごすことができるようになったんだ。
それがどういうことか、ほとんどの人は分からないと思う。だけど、分からなくていいと思う。だって沙奈子じゃない人は沙奈子じゃないんだから。自分以外の人が見てるのは、見えるのは、自分の表面の部分だけ。それ以外は見えてない。
確かに、自分でも見えてない部分が他の人からは見えてることもあったりするけど、それはあくまで、鏡とかを使わないと自分の顔は自分では見えないのと同じなだけで、やっぱり表面上のことなんだ。表に出ている部分が見えるというだけ。
僕はその事実をわきまえないといけないと思ってる。
それでも、沙奈子がずっと僕の傍でいなくても大丈夫になってきたのは、彼女自身の世界が広がったからというのは間違いない。僕と沙奈子しかいなかった世界が広がって、そこに歩み出しても平気なんだって理解してくれたからなんだと思う。
僕が沙奈子のことばかり触れずに済むようになったこと自体を、僕は喜びたい。もし沙奈子の世界が今も僕と二人きりのそれだったら、僕はただひたすら沙奈子のことばかりを語っていただけだろうからね。
そしてそれは同時に、僕自身の世界も広がったということ。僕の世界も、沙奈子が来るまでは僕一人しかいなかった。それがこうして、僕以外の人のことを語れるようになったのは、それだけ僕の世界が広がったということなんだ。
僕には、世界というものが見えていなかった。僕が見ている世界には、僕と僕以外の何かしかいなかった。顔も名前もない『何か』しかいなかったんだ。
それが劇的に変わってしまった。本当に不思議だよ。




