千六十九 美嘉編 「相手に見透かされると」
六月五日。水曜日。曇り。
今日は僕の誕生日。
「おめでとう、お父さん♡」
玲那の朝の第一声だった。
「ありがとう、玲那」
そう返した僕に、
「おめでとう」
「おめでとう…」
絵里奈と沙奈子も。
血の繋がった実の家族と一緒に暮らしてた時には、『誕生日おめでとう』なんて言ってもらった記憶がない。それが今では、笑顔でそう言ってくれる人がいる。
本当に人生って分からないものだな。
僕の両親は周囲からは『いい人』と言われてた。悪評なんてほとんどなかったと思う。だけど、『他人から見ていい人』が必ずしも『いい親』とは限らないっていうのを今ではしみじみ感じる。
そして、『優しい』という言葉の危うさも。
僕は普段、『優しい』とか『優しくする』という言葉をあまり使わないようにしてる。だって、『優しい』って『優柔不断の裏返し』だったりするから。
あと、『本当はただの無関心からくる社交辞令』だったりとかね。
加えて、『これだけ優しくしてあげたんだから言うことを聞いてくれて当たり前だよね?という下心の上澄み部分』とかいう場合もあるのかな。
こういうのって、相手に見透かされると逆効果っていう気しかしない。
子供と接する時もそうじゃないかな。一見しただけなら『優しい、いい親』に見えてても、それがただの優柔不断だったり、社交辞令だったり、下心だったりしたら、子供ってそういうのを鋭く見抜くと感じるんだ。
沙奈子が僕を真っ直ぐに見詰めてる時とかね。時々、僕の裏面まで見透かされてるって思ってしまう時もある。
僕は決して『いい人』じゃない。だからいい人そうに見える表からそうじゃない裏面を見透かされても、それはむしろ当然だと思うんだ。人間には普段は見せない、本人も無意識に圧し殺してる部分があって、子供ってそういうのを敏感に感じ取るんだろうなって、沙奈子を見てると実感する。
そしてそれが、普段の言動と食い違えば食い違うほど、親に対する信頼が失われていく……
親の方に悪気がなくても、表の部分と裏の部分の乖離が激しいだけで、信頼できなくなっていくんだろうな。むしろ、悪気がないからこそそれを改めようとしないだろうし。
僕は沙奈子に、
『人間というのは綺麗なだけじゃない』
っていうのをちゃんと教えてあげたいと思う。その上で、綺麗じゃない部分とどう折り合いをつけていくかっていうのを学んでいってもらいたいんだ。
綺麗事ばかり並べるだけじゃ、世の中の不条理を説明できないから、理解できないから、納得できないから。
『綺麗事を並べるだけで、世の中の不条理とかを子供に納得できるように説明できない親』
というのも、すごく反発を招きそうだなって感じるんだ。




