千六十七 美嘉編 「平等とは何か?」
六月三日。月曜日。曇り。
玲那が言ってた。
「アニメとか漫画とかで、相手が女性でも容赦なく攻撃したりってのがなんかもてはやされたりしてるらしいけど、それ、フィクションだからね?。現実じゃないからね?。それをリアルにも取り入れようとか考えてるんなら、それこそ『フィクションと現実の区別がついてない』って話だからね?。
フィクションの中で攻撃を受けるような女性は、大抵、手加減したらこっちがやられるってくらい強い相手じゃん。これは男女平等とかそういう話じゃない。単に『やらなきゃやられる』ってだけでしょ。
平等とかどうとかって話は、あくまで平和な状態でのものだと私は思う。せっかくの平和を、差別とかすることで不満を溜めさせてトラブルの原因にして諍いが起こって台無しにしたら意味ないから平等を心掛けようねってことだと私は思うんだよ。戦乱が起こってる状態で平等がどうとか言ってるのがおかしいんじゃないのかな」
それに対して星谷さんも。
「玲那さんのおっしゃることは分かります。私も『平等』というものについて常々考えていました。元より生まれついた時点で人は平等ではありません。裕福な家庭とそうでない家庭とに生まれるという事例を上げるだけでももはや『平等』ではありませんよね。そして、玲那さんのおっしゃる通り、平和であってこそ『平等』という概念に拘ることができる。これは厳然たる事実だと思います。加えて、平和を維持するためには、平等という概念を疎かにすることはできない。
ただ、そもそも『平等とは何か?』という部分についてきちんと理解していないと、むしろそれ自体が諍いの原因にもなるでしょう。
私は様々なことを調べていくうちに、明治以前の日本の社会が本当に『男尊女卑社会』であったのかどうかという疑問に行き当たりました。なるほど表面上は女性が虐げられていたように見ることもできますし、実際に虐げられていた女性もいたのでしょう。ですが、だからといって男性が虐げられる事例がなかったのかと言えば、実はそうでもないと思うのです。
男性は男性で過酷な運命を背負わされていたのではないでしょうか?。長男というだけで本人の意向とは関係なしに家督を背負わされたり、かと思えば次男以降の男性は『長男に何かがあった時の予備』的な扱いを受けていたと推測されます。そこに当人の人格や意思が入り込む余地はありません。これは優遇されていると言えるのでしょうか?。『好きに生きろ』と放逐されたとしても、当時は、家督も任されないような男性が一人前として認められるのは容易ではなかったでしょうね」




