終幕
「此度のこと、誠に大儀であった。」
「いやぁ、どーもどーも。こっちとしても、タダ飯タダ泊でホックホクだから、ま、貸し借り無しってところさね。」
神楽という女には、"尊敬"だとか"礼儀"だとか、"年功序列"だとかいう言葉がすっぽり抜け落ちているようだ。国王陛下に対し、平然と気安く話す神楽の横で、シュンは冷や汗を流しながらそう思った。
ハザーヴ王国、王宮。
その、国一番巨大で華やかな豪邸に、シュンと神楽はいた。 神官たちを捕らえたのは昨日のこと。あのあと、二人は神官たちを引き連れ王宮へと赴き、兵士を捕まえて事情を全て話すと、なんだかんだで激励され、今夜はもう遅いから泊まっていきなさい、となって、今に至る。
神楽によると、あのまま放置しておいたら、いずれシィヴェインは完全に悪鬼と化し、国を滅ぼしかねなかったらしい。それを未然に防いだのだから、国王やら臣下やらの感謝もひとしおである。
そんなわけで謁見の間に呼ばれ、二人は国王と対面しているわけなのだが、
「ま、あいつらのことは、信仰協会に報告しとくんで、追って沙汰がくだされんのを待っててねー。次の満月には神さん転生するんで、それまでには新しい神官呼んどくよ。はい、以上!」
・・・・・・どうやら、神楽。この"王宮"という場所が嫌いなようだ。早いとこ出て行きたいらしく、いつも以上に対応がふてぶてしい。ここにいる以上、シュンの冷や汗がひくことは無いだろう。なんていったって、神楽は跪くことすらしていないのだ。シュンは神楽の隣で跪き俯いて、顔を上げられずにいた。
「――――――とにかく、感謝している。何か、私にできることは無いだろうか?」
「いやいや、だから、昨日の一泊で充分だって。こんなことよくあるんだから、気にせんでいいよ。」
「そうか。ならば、お主はどうだ?」
「・・・・・・・・・え?」
シュンは唐突に話を振られ、驚いて顔を上げた。
国王がシュンを見ている。おんなじはずの緑の瞳が、やけに高貴に見えた。
「お主も、此度の件に一役かったのだろう?何か望みはないか。」
「・・・い、いえ、俺はただ、神楽――――神の司殿を、神殿まで案内しただけであって、そんな、俺は何も・・・。」
「しかし、悪鬼を倒したのはお主だと聞いたが?」
「え、あ、あー・・・。確かにそれは・・・俺ですが・・・・・・。」
「なんでも言うがよい。何、遠慮はいらんぞ。」
シュンは国王と合わせていた目をすっ、とそらし、俯いた。音を立てずに深呼吸をし、もう一度顔を上げ、目を合わす。横でその様子を見ていた神楽は、シュンの顔つきががらりと変わったことに気が付いた。
「畏れながら、陛下。俺がいま望むものは何もありません。しかし、この国の一国民として望みを言わせていただけるのならば、どうか、これ以上宗教による犠牲者が出ぬよう、お務め下さい。」
その面持ちに、国王はある人物を思い出し、言葉を詰まらせた。まさか・・・という考えが脳裏を支配する。気づけば国王は、シュンの顔をまじまじと見詰めていた。シュンの表情は揺らがない。その顔に、国王は確信した。
(あぁ、やはり・・・・・・彼の息子か。)
確信してしまえば、彼の息子なのだから何を言っても無駄だろうということはわかっている。
「そうか、わかった。ところで、お主の苗字は何であったかな?」
シュンは、国王の突然の問いに、ちょっとだけ戸惑ったが、すぐに立ち直り答えた。
「スタッヅ、と申します。」
「スタッヅ!そうか、やはりな・・・。」
国王はやけに嬉しげに、何度も何度も頷くと、ふいに表情を曇らせて、
「オルフのことは残念であった。」
と、言った。
「お主の願いは、確かに聞き届けた。スタッヅの名のために、全力を尽くすことを約束しよう。」
その言葉を最後に、二人は謁見の間を後にした。
◇
昼が近付く首都の市場は、活気に満ちていた。その中を二人は、王宮からずっと無言で歩いていた。神楽は、どこか沈んだ様子のシュンに、声をかけられずにいた。
そんな二人の姿を見て、すれ違った一人のおばさ――――――失礼、女性が立ち止まり、振り返った。
「あら、シュン!シュンじゃないの。」
「え、あ、・・・・・・カルティアさん。」
「シュン、あんた一体どこ行ってたの!」
カルティアさんは、片手に食材を詰め込んだ大きなバッグを提げていたので、反対の手でシュンを捕まえた。
「昨日は休みだったけど、夜になっても家にいないし、今朝も工房に来ないし、心配したのよ。あぁ、でも、無事で良かった。・・・あら?こちらのべっぴんさんは?初めまして、私はね、シュンの働いている工房のものでね、シシル・カルティアというのよ。よろしくね。あぁ、それで、シュン?昨日は一体どこへ行っていたの?きちんと説明してくれなきゃ、ねぇ?」
まるで機関銃のような喋りっぷりだ。同意を求められた神楽が、かろうじて頷くか頷かないかくらいの内に、さらにカルティアさんは喋りだした。
「まったくもう。シュン、私はさ、三年前にあんたを預かった時に、ハルルヤに言ったのよ。"この子は私に任せて、楽園でとっとと成仏しなよ"ってね。言を違えさせないでおくれよ、ね。ああそうだほらほら、二人とも、今夜はうちにおいでよ。ご馳走作るから、ね。さ、シュン、これもって。まだまだ買っていくんだから。」
と、カルティアさんはシュンにバッグを押し付けて、今度は神楽を捕まえると、上機嫌に何やら話しかけて続けながら、市場の人混みの中を進軍し始めた。
シュンはその後ろ姿をしばし、ぼんやり見詰め、
「シュン、何やってるの?早く来て来て!はぐれちゃうじゃないの。」
カルティアさんに呼ばれてようやく――――女二人の驚異の進軍スピードにおののきつつ――――、進軍を開始したのであった。
◇
カルティアさんの家で夕飯をともにし、ここ二日――――――――シュンにしてみれば全てが思いもよらない体験で、たった二日の出来事とは思えなかったのだが――――――――のことを根掘り葉掘り聞かれた二人。
そうこうしている内に、夜はすっかり深まって、「宿を探さなければならないので・・・。」と退出しかけた神楽であったが、そうは問屋が卸さなかった。すかさず、機関銃の連撃が始まったのだ。
「あらあら、それなら、うちに何泊でもしていって頂戴、神楽ちゃん。王宮の部屋とは比べ物になんないくらいボロい家だけど、それでもいいなら、ね!そうよそうよ、そうしましょう、それがいいわ。あら、そうと決まったらお部屋をお掃除しなきゃあ。ちょっと待っててね、すぐだから、すぐ!」
え、あの、そこまで御世話になるわけには・・・・・・と言いたげな神楽の肩を、カルティアさんの旦那さんと息子さんが叩いた。諦めろ、と。その意を正確に汲んだ神楽が、苦笑しつつ言葉を封じた。
そんな様子を面白そうに傍観していたシュンが、カルティアさんが二階へと上がっていったのを確認し、腰を上げた。小さな声で、旦那さん達に告げる。
「じゃ、親方さん、兄貴さん。俺、帰りますんで。」
旦那さんは無言で頷き、兄貴――――息子さんは小さく手を振って、シュンの帰宅を送った。
の、だが。
「あっれぇ、シュン、もう帰っちゃうのーっ?!」
道連れにせん、とばかりに神楽がでかい声で言った。風通し重視の砂漠の家は、会話などほとんど二階に筒抜けだ。当然、カルティアさんにも聞こえたようで・・・二階から、焦ったような足音が聞こえた。
「神楽!アホかてめえ。」
「ふんっ、私だけ残していこうだなんて、畏れ多いにもほどがある。大人しく流れ弾を喰らっとけ!」
「てんめぇ・・・。」
神楽はどうやらこの数時間で、カルティアさんの性格を理解したらしい。神楽とシュンがテーブルを挟んで睨み合っていると、階段の上からカルティアさんが顔を出した。
「シュン、シュン!もう遅いから、貴方も泊まっていきなさい。今から帰ったって、寝てまたすぐここに来るんでしょう?だったらいいわよね。ほら、ね。泊まっていきなさい。いくら男の子だって、夜道は危険だから。倒されちゃうことはないでしょうけど、逆に相手を倒しちゃっても後味悪いじゃない。安心して、部屋はたくさんあるから。さ、ちゃっちゃとお掃除お掃除~。」
と、一方的に機関銃をぶっ放して、カルティアさんは階段の向こうに消えた。人為的な流れ弾を喰らい、憮然とした表情で腰を下ろしたシュンの前で、神楽はひたすら愉快そうに、ニヤニヤとしている。諦めろ、と、旦那さんと息子さんがシュンの肩を叩いた。
◇
十六夜。
少しだけ端を欠けさせた月を見上げ、冷えきった砂漠の街の中、シュンは一人、工房の前の低い石段に腰掛け、自分の呼吸を聞いていた。
表情を映さない顔が、表情の無い月を、ただひたすら見詰め続けている。
砂漠の夜は凜としてそこにあり、シュンの体の奥底に入り込んで芯を凍りつかせるようだった。
(寒いから戻るか・・・・・・。)
と、シュンが立ち上がりかけたその時、ジャリ、と、背後の砂が鳴った。
振り返ると、
「っ!」
分厚く重たい毛布が飛来し、シュンの視界を覆って脳を揺らした。地面に落ちかけたそれを受け止めて、やって来るなり攻撃を挨拶としたそいつを睨む。
「・・・・・・何すんだよ、神楽。」
「いやぁ、寒いかなーと思ってね。」
シュンは溜め息をついた。本当は悪態のひとつでもつきたいところだったのだが、寒かったことは確かなので、黙って有り難く毛布にくるまることにする。
神楽は、毛布にくるまり丸まったシュンを、梟か達磨かなんかのようだな、と思った。わざと音をたてて歩き近寄り、無造作にその横に座る。そして、同じように月を見上げながら、なんともなしに聞いた。
「で、何してたの?」
シュンはちょっとだけ返答を躊躇い、思い直して答えた。
「考えてた。いろいろと・・・・・・・・・。お前に神殿で言われたこととか、他にも・・・・・・いろいろと。」
それから、二人はしばらく無言のまま、満ち足りて溢れだし逆に足りなくなってしまったような、月の光を浴びていた。
シュンが再び話し始めたのは、どれくらい後のことだったろうか。すぐ後のような気もすれば、かなり時が経ってからのことのようにも思える。
「――――――オルフ、っていうのは、父さんの名前だ。スタッヅ・オルフェウス。兵士として、王宮に仕えていた。凄く強い剣士で、俺に剣を教えてくれたのも、父さんだ。詳しいことは話してくれなかったから、噂だけど、他の兵士の剣技の指南をしていて、国王陛下の一番近くを守る任務に就いていたらしい。・・・・・・本当だったな。」
神楽は黙って聞いていた。月と空気とシュンの声だけが織り成すどこか不思議な空間を、壊してしまうような気がしたからだ。それだけじゃない。ただ単純に、シュンの話を聞いていたかったからでもある。
「ハルルヤは母さん。カルティアさんとは幼なじみで、カルティアさんはそのよしみで、俺を世話してくれて、雇ってもくれた。母さんはいつも優しくて、怒られた記憶は無いよ。料理がすげー旨かった。――――妹は、リリアラ。オシャレがやけに好きで、いつも何かしらアクセサリーを着けてたな。俺のこれは、」
と、シュンは左手を上げた。そこにはささやかなブレスレットが着けられていて、淡い金色の三日月が揺れていた。
「リラの物なんだ。唯一、俺のもとに戻ってきた・・・形見ってやつかな。」
シュンはその作り物の三日月と本物の月を重ねて眺め、手を下ろした。
「・・・・・・俺は、三年前からずっと、神を恨みながら生きてきた。宗教なんかくそくらえってずっと思い続けてた。そうやって、"死んでしまった家族のため"に、神を恨むことで生きてきたんだ。――――――でも、恨むべき神は、俺の妹のことを想ってくれた。俺に家族がいたことなんて、誰からも忘れられてしまったような気がしてたけど、陛下は父さんのことを覚えてたし、カルティアさんは母さんのことを覚えてる。――――――もう、いろいろありすぎて、何がなんだか全然わかんねぇよ。」
シュンは目を細めて、薄く笑った。神楽は黙ったまま、月を見上げ、シュンの声のみを聞いている。どこか遠くから、獣の遠吠えが微かに届いた。
「――――――・・・・・・・・・なぁ、神楽。」
「ん?」
そこで初めて、神楽は相槌を打った。
「お前の旅に、ついていってもいいか?」
「・・・・・・神の司の旅に同行する者は、協会の経営する専門学校で学び認められるか、かなり難易度の高い試験に合格して称号を得なければならない。――――それでも、来る?」
「あぁ、行く。試験でも何でも受ける。だから・・・・・・」
「いいよ。私もそろそろ、道連れが欲しいと思ってたところだ。」
「そうか。」
二人は二人とも空ばかりを見ていて、互いの表情など何にも見ていなかったが、不思議と、言葉だけで全てをわかりあえたような気がしていた。
シュンが旅立つのは、自分で立ち歩き出すため。神楽が道連れを増やしたのは、一人旅に飽きが来て、(シュンならまぁいいか)と思えたから。どんな理由でも、世界は回るし運命は決まる。
「俺の本名な・・・・・・スタッヅ・シュルヴェインっていうんだ。太陽神シィヴェインの名を、すこし文字ってつけたらしい。――――――この名は、皆がいるこの国に置いていくよ。」
「・・・・・・その名は二度と呼ばれずとも、私は決して忘れはせぬ。」
神楽は本当に小さく小さく、しかもシュンにはわからない言語で呟いた。事実、聞き逃したシュンが眉をひそめて神楽を見る。
「え?何だって?」
「いや、なんでもない。さあて、もう寝よっと!」
「あ、おい・・・・・・っ。」
神楽はさっ、と立ち上がると、シュンが何を言うより速く、家の中へ入っていってしまった。
シュンはその軽やかな背中を見送って、溜め息をひとつ。それから、もう一度月を見上げ、家へ戻っていった。
獣の声ひとつなくなった砂漠の街で、夜の闇はまた、ゆるりと濃くなったり薄くなったりしながら、いつも通りの顔で、過ぎていく。
何でもない日に、何でもないように、しかし確かに二人の旅は、今この瞬間、始まったのであった。
これで、完結です。
説明不足な点、意味不明な点、いくつもあったと思いますが、ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
シュンと神楽の旅については、これからちょくちょく、書いていけたらなあと思っているのですが、なにぶん作者には体力に大いに不安がありまして・・・・・・正直、二人の旅路についていける自信がありません。
それでも次回作を書けましたら、今度はもっと、上手く書けるように頑張ります。
以上。井ノ下でした。