前編 正月早々アンラッキー
小銭入れに、八つに折り畳んでしまい込んでいた千円札が、音もなく落下した。
木製の格子をすり抜け、吸引力の変わらない掃除機に吸い込まれるが如く、賽銭箱に消えていった。
「ひゃあ~っ! 僕の千円~っ!」
僕の悲鳴めいた声が、白い息といっしょに吐き出され、稲荷神社の社殿に反響した。
クラスメートの大野次郎くんが、賽銭箱に十円玉をカランと投げ込み、隣りにいる僕に向かい感嘆の声を上げる。
「すんげえ太っ腹だな! 安楽! 賽銭に千円も入れるなんてよ!」
「入れたんじゃない! 落としたんだ!」
「落とした? マジか!? ぎゃははっ! 安楽は相変わらず運がねえなあ! まあ、きっと神様のご利益があるって! ひーひひひひひひひっ! 腹いてぇ~~~っ!」
爆笑する次郎くんは、脇腹を押さえながら後ずさり、僕との距離をとる。
「これ以降、安楽の半径一メートル以内には、近づかないことにする。不運体質が移りそうだかんな! ぎひひひひひっ!」
「はあ~っ。もう勝手にすれば」
次郎くんの宣言に反論する気力も湧かず、溜息をつきガックリ項垂れた。
小銭入れの隅で踏ん張っていた五円玉の奴を、かじかんだ手で掻き出そうとして起こった事故だった。
新年早々、ついていないにも程がある。
僕の名前は、出雲安楽【いずも あんらく】。歳は十五。高校の一年生だ。
姓が出雲。名が安楽。という、実に縁起が良さそうな名前ではあるが、実際の僕はその真逆だ。生まれながらにして不運体質なのだ。
傘を忘れると必ず雨が降る。
いつも横断歩道を渡る寸前で、信号が赤になる。
どうしても欲しい物が、直前で売り切れるのは日常茶飯事。
コンビニ弁当の醤油袋など、まともに切れたためしがなく、常に指がべちゃべちゃだ。
一週間に最低一回は犬のウンコを踏み、三回は鳥にフンを落とされる。
運はないが、ウンは付くのだ。
余談だが。僕が独裁者なら、犬の糞を放置した飼い主を、極刑に処す法律を作る!
ついさっきも、鳥居の下をくぐるとき、上に止まっていた鳩がフンを命中させてきたし……
境内でも不運は続いた。手水舎で柄杓に水を汲み、手と口を清めようとしたら突然に柄が折れて、キンキンに冷えた水がズボンと靴にかかった。
さらに。実際には手遅れであったが、濡れまいと後ろに飛びのいた瞬間、敷き詰められた玉砂利に足を滑らせ、盛大にひっくり返った。
「やっぱ、みんなと初詣なんて、来るんじゃなかった……」
後悔先に立たずである。
本当は来る気はなかったのだ。いや、来たくはなかったのだ。
それが、ちょっと魔が差したというか、若気の至りというか……
***
二学期の終業式の日、騒がしい教室の中で、次郎くんがクラスのみんなに呼びかけた。
「なあ! 正月にさ、予定の無い連中で一緒に、初詣に行かねーか!?」
「おお、いいじゃん!」
「行く、行く!」
「あたしも! 参加希望!」
「そういうイベントごと、大好き!」
と、教室の中が盛り上がる中、僕は一人冷めていた。
クラスの連中と初詣に行った場合、みんなでおみくじを引く流れになるのは、まず避けられない。
僕がおみくじを引くと、100%の確率で漏れなく『大凶』が出る。
新年早々、大凶を引いて落ち込みたくはないのだ。
僕の心境を知らない次郎くんが話しかけてくる。
「安楽はどうする? どうせ暇だろ」
「いや、僕はちょっと……」
断ろうとした時、僕の斜め前方から、二人の女子の会話が聞こえてきた。
長身でショートボブがよく似合う、女子バスケ部のホープ。
一年生女子の間で『彼氏にしたい女子№1』の人気を誇る、
加賀見友莉さんの声が響く。
「ねえ。聖羽っちは予定あるの? ……ないんだ! だったら一緒に初詣に行こうよ! ねえ。行きたい、行きたい、聖羽っちといっしょに、行きたい~~っ♡」
高1男子が、良からぬ妄想をしてしまいそうな、鼻声を放つ加賀見さん。
その加賀見さんと会話している女の子は。
このクラスの―― いや。
この学校の―― いや違う。
そう、この地域すべての―― 頂点【マドンナ】とも言うべき美少女。
『天巫白 聖羽【あまみこしら せいは】』さんだ。
『天巫白聖羽』真に選ばれし者に与えられる、ヒロイン・ネームドであるが、その反面。
一般的女子が、天巫白聖羽などと名乗ろうものなら、完全に名前負けして、再起不能の重傷を負ってしまうこと間違いない。超危険な名前である。
しかし、彼女は違う。
名前負けどころか、天巫白聖羽という最強の使途を、そのたぐいまれなる容姿でたやすく従属し、“しもべ”としているのだ。
しかも、容姿のみならず、性格も天使のように素晴らしい…… らしい。
らしい……というのは、推測の域を出ないからだ。
悲しいかな、僕はクラスの中で窮めてモブ的存在だ。
天巫白聖羽と出雲安楽に深い接点など有り得ない。
『同じクラスにいる知り合い』程度の仲なのである。
それでも入学以来、僕が時折耳にした女子たちの会話を、総合した結果。
以下のことが分かった。
天巫白さんの将来の夢は二つ。
一つ目は……『保母さんになること』だそうな――
(天使かよっ!)
二つ目は……『普通の、可愛いお嫁さんになる』だと――
(天使だわっ!)
かわい子ぶっている訳ではない。おそらく天巫白さんの本心である。
なぜなら。
地域一の美少女の噂を聞きつけた、大手芸能プロダクションが、次から次へとスカウトに来ている。彼女は、それらをすべて丁重にお断りしているのだ。
理由は……『保母さんや、普通の可愛いお嫁さんに、なれなくなる』からだそうな――
(やっぱ!天使だった!)
しかし可哀そうだが、彼女の二番目の夢は、決して叶わないことが決定している。
なぜなら、天巫白さんがなれるのは――『普通ではない、可愛すぎるお嫁さん』一択だからだ。
加賀見さんが、天巫白さんの首に巻きつきながら、駄々をこねる。
「ね~ん。聖羽っちぃ♡ ね~んっ♡ 行こうよう~♡ ね~ん♡ ね~ん♡」
それに応える天使の輪をピッカピカさせた、天巫白さん。
「もう、しょうがないなあ。友莉ちゃんは。言い出したら聞かないんだから。
わかったから、一緒に初詣に行くから」
「やった~~っ! 聖羽っち、愛ちてるぅ~~っ♡」
二人の会話を聞いてしまった僕の口から、自分でも思いもよらない言葉が漏れる。
「あの~、次郎くん…… 僕も参加するよ……」
***
もちろん本日の初詣でも、天巫白さんとは神社前の集合場所で、軽く挨拶を交わしただけである。
モブキャラの分際にもかかわらず―― 「天巫白さんとお近づきになれるかも」
などと、心の何処かで思ってしまった、未熟な自分が虚しい。
参拝が済むと、僕の予想通り、皆でおみくじを引くことになった。
気が乗らないが、一人だけ引かないとなると、場の空気が悪くなるので参加した。
それに、さっき千円も賽銭を入れたのだ。
生まれて初めて、『大凶』以外を引けるかもしれない。そんな淡い期待も持っていた。
先におみくじを引いた連中が、社務所脇でキャーキャー騒ぐ声をBGMに、シャカシャカとおみくじ棒の容器を振る。
ピョンと数字が刻まれた棒が飛び出すと――
「九十六番。くろう、か……」
幸先は悪いが…… 本番はこれからだ。
僕の母さんより、明らかに年上の巫女のお姉さんから、九十六番のおみくじを受け取る。
その後、皆から少し離れた場所に移動した。
(大凶以外なら、何でも構いません! 神様! お願い!)
寒さと期待と不安に震える手で、そろ~っと、おみくじを開いた――
―― 大凶 ――
願望・叶わず。
待人・来たるも災いを連れて来る。
失物・見つかるが手遅れ。
恋愛・望み薄し。されど幸運の者、近くにあり。
・総じて運は底なり。結びて去れば、災いは縁となる。
――――――――
まごうことなき大凶!
(ですよねぇ~~~~~っ! ええ。わかっておりましたよ!!)
完全に神様に見放された。
もっとも、最初から見守られている気がしないが……
僕が落胆していると、肩越しに人の気配がする。
どうせ次郎くんが、からかいに来たのだろう。
首をねじると、想定外の人物が視界に入った――
髪に天使の輪を輝かせた美少女【ヒロイン】。
そう。気配の主は、天巫白聖羽さんであった。
(うおおっ! ち、近い! メッチャ近い!)
僕の右肩のすぐ横に、天使のご尊顔が来ている。
彼女の吐く白い息を、ダイレクトに吸えてしまう距離だ。
天巫白さんが、重心を前に傾け、僕の手元を覗き込む。
それと同時に、その指を僕の肩にのせ、身体を寄せてくる。
(う! 腕に~~! 腕に~~! 胸部が~~!!)
心臓の鼓動が激しく乱打する。
一瞬で僕の体温が10℃は上がった気がする。
僕のテンションがMAX【パニック】になったのも、束の間。
予想だにしない台詞が、僕の耳に聞こえた。
「出雲くん。大凶なんだ………… 良かった……」
まさか。まさかの、天巫白さんが僕の不幸を喜ぶ台詞だった!
天使にすら見放されてしまった!
もっとも、天使にも最初から見守られてはいないが……
天使の如き心の美少女。その奥底に潜む闇を、垣間見てしまった――
そんな気分の僕に向かい。
天巫白さんが慌てた様子で肩をすくめ、合わせた両手の先を形の良い顎に当てて謝る。
「ご、ごめんなさい! 出雲くん。大凶で良かった、なんて言っちゃった!
良いはずないよね……本当にごめんなさいっ!」
そして、おずおずと一枚の紙を僕に差し出す。
「出雲くん。これ私のおみくじ……」
―― 大凶 ――
願望・今は叶わず。
待人・近くにあり。されど心乱れる。
失物・見つかるが悔い残る。
恋愛・暗雲あり。されど凶の者、縁深し。
・総じて運は底なり。凶を結べば、災い転じて縁となる。
――――――――
「他のみんなは、末吉以上なんだもん。大凶の仲間を見つけて、嬉しくなっちゃった。
ごめんなさいっ!」
なるほど。
謎はすべて解けた。天使に潜む、心の闇を垣間見たわけではないようだ。
「いや。べつにいいよ、天巫白さん。謝らなくても」
「出雲くん。怒ってない?」
「全然。そんなことで怒らないよ」
「良かった~っ!」
そこで、天巫白さんが両手をポンッと合わせる。
「そうだ! 出雲くん。大凶同士なんだし、おみくじを二人で結びに行こうよ!」
言うや否や、天使が僕の手を握った。
(ひやあぁっ! てっ、手が~~! 手が~~! 直に~~っ!)
収まりつつあった心音が、再び暴れ出す。
細くて。柔らかくて。綺麗な指が、吸い付くように僕の指を包み込んでいる。
「わあ。出雲くんの手って、凄く温かいね!」
ええ。そうでしょうね。貴女のせいで僕の心拍数は今、全力でグラウンドを十周したぐらいには、上がっておりますから。
「出雲くん。ほら行くよ! こっち、こっち」
背中を向けた天巫白さん。
僕の手を握ったままグイグイ引っ張って、おみくじの結び場に向かって進んでいく。
寒さで朱色に染まった耳を時折覗かせて、天使の髪がふわりと舞い、甘い香りと共に冬の空気にきらめいている。
たぶん僕は、一生この光景を忘れないだろう――
――僕はいつでも、アンラッキー。
でも今だけは、その不運に感謝する自分がいたのだった――。
―― 後編につづく ――
後編のヒロイン視点に続きます。
彼女はあの時、何を思っていたのか――。




