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籠目の星へ願う  作者: きぬがわ
20/20

鬼灯を呑む

 夏休み、以世はモモのビルでお世話になることになりました。

 あの森での一件は、なぜか家に帰っても特別怒られることはありませんでした。なんでも、祖父の友人から連絡が来て、泊まっていることは知っていたのだとか。一体その祖父の友達が誰だったのかまでは聞けなかったのですが、夜遅くなるのなら以世からも連絡するように、とは言われました。どうやらその祖父の友人からビルのバイトの件も話があったようなのですが――祖父の友達というにはモモは若すぎるような気がしますし、あのビルの中に祖父の友達の人が一緒に住んでいるのでしょうか。

 モモに尋ねても「秘密」と楽し気にいうだけで教えてくれませんし、以世はひたすら首をひねるばかりです。

 六波羅は――。

 以世はあれきり六波羅とはまともに口をきいていません。以世の考えなしの行動は確かに褒められたことではなかったでしょう。ですが、やはり以世には六波羅のあの身近な他人を切り捨てるような考え方を許容できなかったのです。

 以世は自分のしたことを浅はかだとは思っていても、もう後悔はしていませんでした。六波羅だって、以世が無事に帰ってきたのは結果的に良い方向に転んだだけという確信があって、自分の考えは正しかったと思っています。

 だからといって六波羅は以世が自分の考え通りに動かなかったからと怒って口を利かない種類の人物ではありません。以世の方が、なんとなく気まずく思って六波羅を呼ぶのを避けているのです。以世がそう思っていることを察しているのでしょう。六波羅もあまり頻繁に表には出てきませんでした。

 ですが、六波羅がいない方がモモには都合がいいようでした。

「じゃあ以世くんには結界術を覚えてもらおうと思います」

 モモは初日に以世にそういいました。

「三神に教えてもらってね」

 どうやら以世は退魔や破魔や浄化なんてものではなく、結界を張るのにとても適した能力を持っているのだそうです。

「病院の周りに結界なんて、そんなの絶対御室が自分で張ったやつだからね。それにぶっつけ本番で穴あけるなんて芸当そうそうできるもんじゃないさ。才能あるんだよ、以世くん」

 以世にはいまいち実感がわきませんでしたが、それには三神も頷いてくれました。

「私も本当にできるとは思っていなかったよ」

 今考えると以世にも本当に無茶苦茶だったような気はし始めているのですが、まああのときは成功してよかったですね。

 そこから数日、以世は三神に師事し結界について学んでいきます。

 三神がいうには、結界というものはもとよりファンタジー的なバリアみたいなものではなく、無限につながる空間を仕切るものなのだそうです。

 例えば神社の内と外なんかは神域と現世をわかりやすく仕切るために階段や注連縄、鳥居があります。これも一種の結界です。

 これは以世的にはわかりやすい結界の一例なのですが、意外なことに普段の生活でも普通にみんな結界をつくって使っていると三神はいうのです。

 例えば家の前の門。あれは自分の家とその外を区切る結界の一種なのだそうです。例えば暖簾。あれも、調理場とその外をやんわりとわける結界の一種なのだそうです。

 基本的に、三神の言う結界というのは「ここと向こうをわけるもの」なのだそうなのです。

 いつもの狩りで使っていた結界は、パリーンと割れそうなバリアのような壁が付いているのではなく「ここから先への入場はご遠慮ください」というお願いの看板を立てているようなものなのだと三神は言いました。腕のいい結界術の使い手であればあるほどお願いの強制力が増す、と考えるととてもわかりやすいだろうと以世は言われました。しっかり境界が引いてある場所は、境目が分かる人もいるんだとか。

 では、病院に張られていた結界で六波羅が先に進めないと言っていたのはどういうことなのでしょうか。

「六波羅殿が進めない結界? そうだな、もし本当に六波羅殿が通れなかったのだとしたら、何か六波羅殿にとって強制力の強い看板が結界に貼り付けてあったんじゃないかな。残念だけどどんなものが張ってあったかは覚えていないな……」

 その看板に書いてあること、というより込める念みたいに思った方がいいのでしょうか。それによってそれぞれ結界のきき具合も違うのだそうです。

 例えば関係者以外立ち入り禁止、と書いてある普通の扉と、関係者以外立ち入り禁止と共にバイオハザードマークが描いてある方、より入っちゃいけないと思うのはどっちかといったような話になるそうですが、以世は関係者ではないので入っちゃいけないところにはもとより入っちゃいけないのではと思ってしまいます。

 それにしても、六波羅が進めない強制力の強い看板って一体なんだったんでしょう。

 以世は仲良くなった三神の長い髪を結ってあげながら首を傾げて考えていました。

 三神から数日間いろいろ教わってそれとなく結界について理解できたような気が、しなくもない以世ですが、紙に入ってきてはいけない理由を書いて貼り付けておくことで幽霊を避ける結界を張るぐらいならできるようになっていました。

 結界を張るときに使うお札というのは、大雑把に言うとこのような使い方をするものなのだそうで、まあこれで以世も結界のけの字くらいは術が使えるようになったと思ってもいいのではないでしょうか。まあ、日本語で書きますから、日本語が読める上正気である相手でないと効果はありませんけれど。立ち入り禁止と書いてあったとしても、明確にその言葉を破る意志がある人には通用しませんしね。

「以世」

 こちらを見上げる三神はくりくりの目に以世を映すと、なんだかおかしそうに笑いだした。

 なんですかね、以世は笑われるような顔をしていたつもりは毛頭ないのですが。

「いいや、君を見ているとなんだか六波羅殿を思い出してね」

 六波羅とは似ていないことに定評のある以世なのですが、そんなことを言われるのは初めてです。どのへんがにているのでしょうか。

「そうだな、君は彼よりもずっと正直で善良な顔をしているけれど……顔のつくりそのものは六波羅殿にそっくりだと思うよ」

 どこらへんがなのでしょう……。正直言えば六波羅と以世の顔を見比べると、血がつながっているとはとても思えないほど似ていません。びっくりするほど赤の他人です。六波羅を知っている人から言わせると、似ていなくて本当によかったといわれるほどの似ていなさだとききます。

「そんなにかい? そうだな、確かに雰囲気とかは全く違うけれど、髪の色とか、面差しとか、昔の六波羅殿にそっくりだよ」

 以世は六波羅の顔を思い出しました。どこをとってもパーツ一つ似ていないと思うのですが……。あれがもともと以世とそっくりなのだとしたら、どれだけ整形をすればあそこまで変わるのでしょうか……。

「ああ、もしかして聞いていないのかな。六波羅殿は結構……」

 部屋をノックされて、以世は少し間の伸びた返事を返しました。顔を出したのはモモです。

「やあ、三神借りられるかい?」

 ちょっと待ってください、と急いで三神の三つ編みにした髪をお団子にまとめて止めると、以世は満足そうに汗を拭くようなしぐさをしました。こうして三神の髪の毛をやってあげるのが最近の以世の楽しみになってきています。さて次回はどんな風にしましょう。

「ありがとう、以世」

「また三神は可愛らしくされてしまってまあ」

 それにしても、モモは三神に何の用事があったのでしょう。

「ああ、確認したいことがあって。いいかな?」

「わかった。以世、練習するのもいいが、少し休憩するんだよ」

 はあい先生、と三神に返事をすると、三神は嬉しそうに微笑んでモモと一緒に部屋を出ていきました。足は大分よくなったようですね。

 それをひらひら手を振って見送った後、以世は閉じた扉を憮然とした態度で眺めていました。多分、後ろに出てきた誰かさんが以世に用事があると思ったからです。

「以世」

 なんだよ、と以世は振り返らずに言いました。

 別に謝らないからな。

「謝る必要はないと思っているのだろう。それならそれでよい」

 そういうだろうと思っていました。思っていたのに言ったのは、後悔はないといえども浅はかであったことを自覚しているからかもしれません。

 ちらり、と以世が六波羅を振り返ると、彼はなんだか随分と沈んだ様子でした。別に悲しそうとかそういうことではないのです。やたらとテンションが低くてびっくりするほど落ち着いていたのです。いつもの六波羅のハイテンションからは考えつかない落ち着きようでした。

 どうかしたのか? 

 以世がそう尋ねますと、六波羅は少し口角を上げて笑ったように見えました。

「以世」

 六波羅は、静かな調子でまた以世の名を呼びました。その真剣な様子に、以世は思わず首だけ向けていたところを体ごと六波羅に向き直りました。

 静かな空気をまとった六波羅は、特に大仰な演出もなく以世に告げました。

「行くべき場所がある。そこでお前に伝えなければならぬことも。足を延ばしてもらえるか」

 以世は話の隙間に何か笑いをねじ込まれるのではないかと身構えていましたが、全くそういうことはなかったのでなんだか拍子抜けしてしまいました。

 いつになく真面目な様子の六波羅に、以世も真面目に答えます。

 今からでしょうか。

「今より」

 すぐですか?

「できる限り、すぐ」

 外は西日、もうすぐ夕焼けが西の空を焦がし始めるでしょう。

 もう夏休みですから、日もすっかり長くなりました。時間の感覚がくるってきてしまいますが、今はもう五時を回っているのです。それでもどうしても今と六波羅が言うならば、それは聞かねばならないでしょう。

 承知しますと、六波羅は「恩に着る」と一言つぶやくようにお礼を言いました。

 なんだか様子がおかしいですが、六波羅大丈夫でしょうか。

 以世が心配していますと、六波羅は一つ息をついて苦笑しました。

「何、感慨深いものがあってな。少し引き延ばしすぎた。――行こう以世。行く先は奴が案内しよう」

 書置きを残して二人はビルを出ました。

 割とすぐそこ、と六波羅が言うので行先は六波羅家の裏山かと思っていましたが、以世の予想は見事に外れました。

 街中を進み、何回も左右に道を折れます。あまり行ったことのない住宅街を奥へ奥へと進んでいきました。

 一体どこへ行くのだろう。燃えるような夕日を左手に見ながら、二人はそこにたどり着きます。

 古そうな一階建ての一軒家です。庭の木も、屋根も壁も、門も綺麗にしてありましたが、その割には人の気配がしません。どうにもちぐはぐした印象を受ける家でした。

 表札を見ようと思いましたが、どうやらこの家に表札はかかっていないようでした。

 鉢植えに植えられたホウズキが目に入ります。熟したオレンジの実が六つ、緑の葉の中に提灯のように下がっていました。

「以世、入れ」

 いわれて以世はびっくりしてしまいました。そりゃいきなり知らない人の家に不法侵入しろと言われたら誰だってびっくりします。以世が抗議しますが、六波羅はそんなことは気にしないでいいと肩をすくめるのでした。

「この家の奥でやらねばならぬことがあるのだ」

 どうしても?

「どうしても」

 ですがとしぶる以世にたたみかけるように、六波羅は続けます。

「心配はない。人は来ぬ上に、我らもすぐに去ることになる」

 六波羅の静かなるごり押しに負けて、以世は大きなため息をつきながらもその家に足を踏み入れる決心をしたのでした。

 玄関の引き戸に手をかけると、鍵はかかっていないようで簡単に開いてしまいました。中に声をかけてみますが、やはり反応はありません。

 何か変です。

 以世にはすぐはどこが変なのかいまいちわからなかったのですが、以世の感じた違和感は中の様子にあったのでした。

 塵ひとつ落ちていないぴかぴかの玄関なのに、そこに生活感を感じさせるものが一つもなかったのです。

 靴、靴ベラ、花瓶、置物、鍵置き場、鍵やら判子入れやらなにかしらあったっていいはずなのに何一つありません。

 人の手が入っているとしか思えないほど掃除は行き届いているのに、人が住んでいるとはどうしても思えない。この家そんな家でした。

 以世がそれに気が付いたのは、畳と板張りの隣り合った廊下をもっと奥に進んでからです。

 どの部屋も掃除をされていて、家具もあって、しかしあまりにも整頓されすぎている。誰かがここで暮らしているという気配がまったくない。

 ここは、管理されているだけの家でした。長い間、誰も中で暮らしていないのかもしれません。

 しかし、こんな家を何のために管理しているのでしょう。貸家なのでしょうか。ですが、そういう場合は借りてくれる人が現れてから掃除をするものだと以世は思っていたのですが……。もしや、そろそろ人が入るとか?

 でも、なんだか、きれいすぎる。

 以世は少し怖くなってきました。

「そこだ」

 六波羅に言われて、以世はどきりとしました。

 目の前には、両開きの襖。一番奥にある、どうやら一番大きな部屋のようでした。

「――ここだ」

 そういって感慨深そうに瞳を伏せる六波羅からは、妙にしんみりとした空気が流れてきました。

 前にここに来たことがあるのでしょうか。

 以世が尋ねると、六波羅はしばらく考え込んでいましたがやがてゆっくりと首を横に振りました。

「いいや、この家には初めて来る」

 その割にはするする歩いてきましたけどね。

 そんなことを言っても六波羅は黙ってしまったまま目を閉じたままです。

 どこか、悪いのですか?

 以世がそう聞くと、六波羅は驚いたように以世の顔を見ました。六波羅はしばらくそのまま以世を見ていましたが、やがて「いや」と小声でこぼすと何かをかみしめるようにもう一度「いや」と言いなします。

「何でもない。あけてくれ以世」

 何でもないようにはみえませんが、そんなことを問いかけても答えないことは聞かずともわかっていました。

 以世は片手ずつ襖に手をかけますと、ゆっくりと左右にそこを開きました。

 電気のついていない部屋はすっかり陰った日で随分と薄暗く感じました。その中で、以世はそれを見たのです。

 二十畳ほどでしょうか。その和室の中はまるで病室のように思えました。

 なぜ以世はそう思ったのでしょう。

 それは多分迫る夕闇のせいでもあったのでしょうし、それよりなにより一番は――。

「久しいな、以世。――そうだろう?」

 六波羅の言葉が、全然頭に入ってきません。

 久しぶり? 久しぶりだなんて。

 ――それは多分迫る夕闇のせいでもあったのでしょうし、それよりなにより一番は、部屋に寝かされたその人のせいだったに違いありません。

 光源が弱いせいか、青白く見えるその人の顔は、以世にはとても見覚えがありました。

 その人とは、六波羅と初めて会った日に会っていたはずでした。

 六六鱗でどこかへ送った、あの裏山のお兄さんだったのです。

 ……六波羅。

 以世が呼んでも、六波羅は答えません。

「長かった。――長かったな」

……六波羅、この人は。

「約束を果たす時が来た」

 この人は一体、誰なのですか。

 死んだように眠ったままの――実際に呼吸による胸の上下も確認できませんし、何よりあの人はあの時生きてはいなかったはずでした――その人から目を離せずに尋ねますと、六波羅は「そうさな」とさして興味もなさそうに答えました。

「誰でもない。しかし、これからこれは誰かになる――かもしれない」

 誰かに、なる?

 以世にはその言葉の意味がわかりません。

「わからずともよい。ただ、一つだけ――一つだけやつの願いを聞いてはもらえぬか」

 こんな時にお願いなんて何を考えているのですか。六波羅はこの人のことを知っていて隠していたのですか? 最初からあのお兄さんが誰だか知っていて以世に何かをさせていたんですか? きいても六波羅は答えません。

「すべてが終わったら話してやる。だから」

 自分の願いを聞け。

 六波羅はそういうのでした。

 以世はしぶしぶ頷きます。

 約束したぞ。

「ああ、確かに」

 以世は何をすればいいのでしょうか。

「ただ、この男に弔いの言葉をかけてやればそれでいい」

 そんなことでいいのでしょうか。思っていたようなことではなく、以世は顔をしかめてしまいました。もっと変なことを頼まれると思っていましたから。

 でも以世でいいのでしょうか。お経ならば坊主もどきの六波羅の十八番でしょうに。

「死者を弔うのは聖者でなければ。死者が死者を弔ってどうするのだ」

 以世は六波羅の言うとおりに、彼を送るための言葉を、六波羅と共に唱えます。


 ひふみよいむなやこと。

 ふるべ、ゆらゆらとふるべ――


 長い、長い言葉でした。以世にはよくわからない言葉でしたが、きっと何か意味のある言葉なのでしょう。

 それがすべて唱え終わって一息ついた時です。少しも動かなかった彼の瞼が、ピクリと動いた気がしました。

 生きてる――?

 以世が駆け寄って確かめます。息があります。ああ、この人は生きていますよ六波羅!

 なんだ、弔う必要なんて――。

 以世が六波羅を振り返っても、彼は天を仰いだまま大きく息をついて動きませんでした。

「――長かったな」

 何が長かったというのでしょう。

「それが誰かと尋ねたな、以世」

 六波羅は優し気に微笑むと、子供に言い聞かせるようにゆっくり話し始めました。

「よく、聞くといい」

 ゆっくり、ゆっくりとお兄さんの目が開いていきます。それは、生気のないひどく濁った眼に見えました。

「それこそ、その男こそ先代七楽家当主だった男」

 以世は六波羅の言っていることがすぐ理解できませんでした。

 今なんと?

 彼は誰ですって?

「七楽己親。当主の呪いで眠り続け、そして死んだはずの男だ」

 七楽の当主?

 呪いを受けていた張本人?

 死んだはず?

 でも確かに彼は自分で目を開きました。

 まったくこちらを見ている気配はないですけど、目を開いたんです。

 六波羅は一体何を言っているのでしょう。

 以世には意味が分かりませんでした。

「わからずともよい。もう」

 六波羅は部屋の奥をじっと見つめます。以世は六波羅の見るほう、自分の背後へゆっくりと視線を向けました。

 そこにあったのはまるで祭壇でした。以世の家にある、六波羅様を祀る祭壇にそっくりでした。細かな飾りが違いますが、大きく違うのは掲げられた紋でした。

「月に北斗七星。――七つのの紋だ」

 以世は自分の置かれた状況が全然理解できません。

 ここはどこですか?

「籠目の陣の中央」

 以世は一体、何をしたのでしょうか――?

「仕上げよ」

 軽く言い捨てられて、以世はそれを拾って理解できるほど頭が回りません。

 仕上げ、なんて聞けば聞くほど訳が分かりません。以世は六波羅に食って掛かります。

 何の仕上げだっていうんだ。

 六波羅は面倒そうに以世を見下すように視線をやると、にやりと笑って見せました。

「礼を言うぞ以世」

 人の話を――。

 以世の言葉をさえぎって、六波羅は続けます。

「これにて終了。我らの呪いは成就した」

 意味が分からな過ぎて以世はしばらく言葉が出ませんでした。

 呪いの成就とは、七の一族を根絶やしにすることではなかったのですか?

「まあ、そうだな。そう言っておかねばお上の力は借りられなんだ」

 愉快そうに腕を組んで語る六波羅を、以世は茫然と見上げることしかできませんでした。

「お前はよく働いてくれたと言っておるのだ、以世」

 説明してください。以世は震える声で言いました。

「いや、このセリフはすこしベタにすぎるな。もっとこう……」

 説明してくれと言ってるんだ!

 以世の叫ぶような声を聞いて、六波羅は急に温度が冷えた視線で以世を見ます。見捨てろ、と言っていたときの六波羅の目に似ていました。

「……我らの願いは成就した、と言っている。多少邪魔が入ったが――己親は死んだ。これで終いよ」

 わかりません。以世にはなにもわかりません。

 泣きそうになりながら、たいして大きな声も出していないのに感情が昂って喉が引きつるように痛みました。

「理解する必要もない」

 冷たく吐き捨てるように言う六波羅相手に、以世は次の言葉が出てきません。

 何を聞いたらいいのか、どうなっているのか、何もかも以世にはわかりませんでした。

 六波羅は、そんな以世を見下ろしながらも、何かを待っているようにちらりと後ろへ視線を向けます。

 ――なあ。

 以世はどんな言葉を選んでいいのか、自分でもよくわかっていないようでしたが、ぶつ切りでも懸命に鉛の玉のようなそれを吐き出しました。

 ――お前は、俺を

 ……騙してたのか?

 どうしてもその最後の一言が吐き出せないまま歯を食いしばる以世の耳に、大きな走るような足音が聞こえてきました。

 はっと顔を上げたときには、その人は部屋に飛び込んできていました。

「おいこりゃ……なにがあった以世」

 部屋の様子を見て、鬼のような顔をしたのは、後ろに二反田を従えた錦でした。

 一体、二人がなぜこんなところに。

 以世がこぼすと、錦は「そりゃこっちのセリフだ」とかみつくように言いました。

「以世がこんなところに用事があるとは思えねぇ。おい六波羅、お前ここで何を――」

 錦の言葉を、「お館様」という二反田の鋭い声がさえぎりました。二反田は以世の隣で寝ている人物を見るよう錦に促します。錦は目を開けた彼を見て、一瞬で顔を青くしました。

「おい、ここで何があった」

 以世は錦のあまりの勢いに恐縮してしまいます。

「おい以世!」

「吠えるな仔犬よ」

 冷えた声で言った六波羅は、大仰に両腕を開いて見せました。

「見ての通り、七の当主は目を覚ました。これがどういう意味かわかるな」

「まさか――七楽を起こしたっていうのか? お前が?」

 錦の質問に対して、六波羅は愉快そうに笑うだけでした。

「何が目的だ。いつから七楽に寝返った」

「目的? 寝返る? 我らは常に一つのものを見つめてきた。二反田錦、お前はまるでなにも見えておらぬな」

 錦は手に持っていた刀の袋を取り去ると、六波羅の言葉を鼻で笑い飛ばしました。目の前でかざすようにした刀の鞘を、ゆっくりと払っていきます。わずかな日光を反射して、波紋がゆらりと輝きました。

「何も見えてねぇだ? ああ、そうかもな。わけがわからねぇ。だがな」

 錦が鞘を投げ捨てて低く刀を構えると、その剣先のような鋭い目で六波羅を睨みつけます。

「いくら俺でも今のてめぇが悪かもしれないということだけはわかってる」

 六波羅は「悪!」と一言おかしそうに叫ぶと、たまらないといったように笑いだした。やがてぴたりと笑うのをやめると、六波羅は口元に手を当てて憐れむように大げさに表情を作りました。

「仔犬。咬みつく相手はもっとよく考えろ。でなければ」

 その時にはもう日はすっかり暮れてしまい、西の空にわずかな紫を残すだけになっていました。

 六波羅はその言いかけた言葉をそのまま切って、窓の外に見える白いものを見上げました。笑っているみたいな、三日月です。

「いや――もう遅いか」

 六波羅がつぶやいたそれが一体どういう意味だったのか、以世にも錦にもわかりません。

 日が落ちて、外にも部屋にも夜がやってきます。

「以世」

 呼ばれても、以世には返事ができませんでした。夜に目が慣れてきているというのに、六波羅の姿は以世にはよく見えません。ただなんとなく、六波羅が少しも笑わずこちらを見ていたような気がしました。

 六波羅はその言葉を最後に、夜闇に溶けて消えてしまいました。どこにいったのかもわかりません。家紋を通じた呼び出しにも、呼びかけにも応じません。

 その場に以世を残したまま六波羅はどこかへ消えてしまったのです。

 以世は、錦に腕を引かれてもしばらく立ち上がることができませんでした。


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