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籠目の星へ願う  作者: きぬがわ
16/20

五十君家の女

「…で?」

 モモは優雅にティーカップの紅茶を一口口に含みました。

 ですが、現在地はモモの家のあるビルの二階に入っている赤が基調の中華料理屋の店内です。もちろん店内もチャイナな内装ですが、モモのテーブルの上にはそんな空気などものともせず英国風のティーセットがスコーン付きで広げられていました。ミスマッチ極まりなくても全く気にしないモモは続けます。

「昨日何があったんだって? 以世くん」

 以世は店内にお邪魔した直後は落ち着かずにきょろきょろとしていましたが、今はすっかり落ち着いて口に運んだティーカップの端を悔しげにがじがじ噛んでいました。ですがモモに問われてやがてカップをかむのをやめました。

 何故以世が珍しくモモの元へやってきたかというと、駅前にやってきた途端に顔を合わせてお茶のお誘いを受けたからなのであまり深い理由はありません。

 …お話ししましょう、色々と。

 以世はしょんぼりした様子で話し始めました。

 昨日のことです。最近全く姿を見せない主計が心配になって、以世は主計のお兄さんである主馬のケータイに電話をかけてみたのです。

  出るかどうか少々不安ではありましたが、案外すんなり電話に出てもらえました。その主馬によりますと、どうやら主計は最近仕事がたまっているようでひどく忙しいそうなのです。

 でも以世は基本的に主馬のことを胡散臭く思っているものですから、本当にそうなのかなあと疑ってしまうのです。

 慈善病院で見た以来全く主計の姿を見ませんから、もしかしたら病院にいるかもしれないと思いましたが、昨日は休院日でしたし、お見舞いに行くような人は一人もいませんし、本当にいるかどうかもわかりませんし、もし行ったとしてもあんまり病院の奥まで探しにも行けませんし…。

 がじがじ。歯が痒い子供みたいにカップをかじる以世に、テーブルに腰掛けて足を組んでいた六波羅が呆れた声をかけました。

「そんな様子をさらしては、日見子の躾が疑われるぞ以世」

 六波羅にそういわれて、以世ははっとしたようにカップをかじるのをやめました。六波羅は小さい子供を見るような目で苦笑すると、また一言追加します。

「そしてもっと他に話すことがあろうに」

 もっと他にってなんでしょう。

 以世は一瞬天井の方に視線を向けて考えましたが、すぐに思い当たることがあるのに気が付きました。

 五の家に行ってみたことでしょうか。

「そりゃあ大事件だなぁ」

 モモが愉快そうににやりと笑ったのを見て、以世はこっくり頷きました。

「どうだった?」

 モモの質問に答える前に、以世の眉がハの字に下がりました。

 それが…門前払いだったのです。

「門前払いか…」

 はい、と以世は続けます。勇気を出してインターホンを押したら、鬼のような顔の一歳が出てきまして…。

「嗅ぎ回るのはやめろ。身の保証はしないぞ」

 六波羅が幽霊の真似のジェスチャーをしながらおどろおどろしい低い声で言いました。すぐにからからと愉快そうに笑いますが、以世にとっては笑いごとではありません。この場でそう言ったのは六波羅でしたが、その台詞はそのまま一歳に言われた言葉だったのです。

 それを聞くとモモは額に右手を当てて下を向きました。肩が震えていますが、多分これは泣いているとかそういうのではなく明らかに笑ってますね。

 笑い事じゃないんですよ。本当にすごい勢いだったんですから!

「いや…うん…しかし…大真面目なんだよな…」

 以世はいつだって大真面目ですとも!

「まあ…そうだな…イッサイらしいというかなんというか…」

 モモはまだ笑ってますよ、もう!

 しかしイッサイって何でしょう? 一歳のことでしょうか。知り合いなのですか?

「まあ、ほどほど。…あいつ頭堅いとこあるからね、話を聞き出すのは難しそうだな。それで? どうなったの?」

 それでその後以世が締め出されて途方に暮れていたら、綺麗なお姉さんに会ったのです。そのお姉さんは黒と白が雲みたいに混ざった地に赤紫の桔梗柄着物を着ていて、薄いレースがついた黒い日傘をさしていました。以世よりずっと背が高い、スタイルのいい人でしたね。

「帯に乗り上げた胸のさいずは見事なものだったぞ」

 六波羅の一言に以世の目が泳ぎました。…まあ、スタイル抜群でしたよね。

「しかしあの爆乳に着物はあまり似合わぬな。着物を着るなら胸は控えめの方がよい」

 そういうのいいですから。六波羅の一言をさっと流して以世は続きを語ります。

 長い髪をゆったり太い三つ編みにしたその人は、にっこり笑って言ったのです。

「あなた、ひゃっくんのお友達ね」

 ひゃっくん、とは一体なんのことだか以世にはわかりません。多分違いますと以世が答えても、その人は口元に手を当てて「あら、そうですの?」と全く信じてなさそうにころころ笑うだけでした。

「残念でしたわね。家の人に追い出されてしまっ

たのでしょう? …お話くらい、聞いて差し上げればいいのに」

 おっとりとしたその人は右手を自分の頬に当てて何か考えていましたが、やがて以世に向き直りました。

「明日、お時間ありまして?」

 お姉さんは膝を曲げて目線を以世に合わせて言います。以世が、まあ、えっと、はいとか言いながら眼前に迫るたわわな胸から必死に目を逸らしていますと、お姉さんは嬉しそうに微笑みました。

「でしたら、お姉さんとデートしませんこと?」

 以世ったら唐突にナンパされてしまいました!

「もしはいと言って頂けるのなら、きっと役に立つことを教えて差し上げられますわ。…ねえ、そう思いますでしょう六波羅」

 膝をのばして以世の背後に向かってふんわり笑いかけるお姉さんのを見上げて、以世は固まるしかありませんでした。

「では明日。…心配ありませんわ、お兄様はなんとかしておきますから」

 にっこり。

 そう言うだけ言って以世の返事を待たぬまま、お姉さんは五十君家の門をくぐって家へ入って行ってしまいました。

 …これは、やっぱり、行った方がいいんですよね、多分。

 話し終わった以世が困った顔で首をかしげますと、モモも「ふむ」と息をつきました。

「まあそれだけの価値はあるとは思うけど…気をつけなさいね」

 モモは眉間に皺を寄せながら紅茶を飲みます。やっぱりそうですよね。でも何があるかわからないのは少し怖いですね。

「そうだな、いろんな意味でな」

 なにやらモモは酷く同情的な目で以世を見てきます。色々って一体…。

 あのお姉さんは五の家の人なんですよね、きっと。お兄様って言ってましたし。

「恐らく五の家三兄弟の二番目であろうな。確か名は…十子だったか」

 にやにやしながら六波羅はモモの方を見ますが、モモは完全に無視です。

「全く、昔の小さいの達もあっというまに大きくなっていけない。奴の年寄りに拍車がかかってしまうではないか。もっとゆるりと成長しないか」

 腕組みして不機嫌そうなフリをしてみせる六波羅へ以世は溜息しかでません。それ以世に言っても仕方ないですし、対して不機嫌でもない割にそういうこというのめんどくさいことこの上ありません。

「で、以世くん。その話が昨日のことなら今日も五の家へ行くんだろう?」

 そうですと以世が部屋に掛かったクロックを見ると、彼の眉はまたハの字に下がりました。 そろそろ約束の時間ですから行かなくてはいけません。

「ま、その人も曲者ではあるけど悪人ではないから頑張って」

 モモ、すごく投げやりです。

 そうして気乗りしないものの、モモからものすごーく軽く五の家へ送り出された以世でした。

 昨日もやってきた五の家ですが、そこは以世の家のような古くて広いだけが取り柄の民家とは違い、しかし一の家ほど広くはないけれど似たような雰囲気を醸し出している立派な日本家屋でした。しかし一の家ほど華やかではなく、庭や木や瓦は色彩が落ち着いたどっしりしたものでした。

 いざ五の家の前にやってくると中から重い威厳に満ちた空気が流れ出しているように見えてやはり緊張します。数回深呼吸をしてから気合いを入れて、えいやとインターホンを押します。昨日と同じリンゴンと低い鐘のチャイムが響きました。

 一歳が出てきたらなんて説明しましょう…。しかしそんな心配は無用でした。パタパタと軽い足音を立てて玄関の引き戸を引いて出てきたのは昨日のお姉さんです。玄関から瓦屋根付きの門まで迎えに来てくれたその人は花がほころぶような笑顔を浮かべました。

「いらっしゃいまし。さ、遠慮なく上がってくださいな」

 今日は昨日のような着物ではなくゆったりトップスとマキシマ丈のスカートを着ています。昨日よりもずっと親しみやすい雰囲気で、以世は幾分安心しました。十子さんだと思われるお姉さんに促されるまま、以世は家へ足を踏み入れます。しかしまるで息子の友達を招いたかのように暖かく迎え入れてくれた彼女ですが、本当に一歳については大丈夫かしらと以世は正直心配になって失礼ながら辺りを見回しました。

「一歳お兄様のことが心配ですの…? そんなことは気にせずとも大丈夫ですわ」

 以世を案内しながらのにこやかな言葉です。しかしそんなこと呼ばわりを聞いて少々ぎょっとしました。やっぱり一歳はお兄さんらしいのに、そんなこと呼ばわりなんだなぁ。

 庭に面した板張りの長い廊下の隣に畳張りの廊下が並行して続いていました。一体この廊下が二本あることには意味があるのだろうか。そんなことを考えながらお姉さんの後をくっついて畳張りの方の廊下を歩いていた以世は、庭の方を向いていた首を反対側へ向けて閉じた襖が続くのを何気なく見ていました。

 しかしたまたま開いていた襖の奥を覗いてしまって、以世はびくりと体を震わせて思わず立ち止まってしまいます。

「もう、お兄様ったら頑固でいけませんわぁ。もう少し気持ちに余裕を持たなくてはやっていけませんわよね」

 十子は何でもなさそうにそういって襖の開いた部屋を素通りしていきますが、以世はどうしても同じようにはできませんでした。

 そこには人の姿があったのです。

 座卓に突っ伏したその人の苦しんでもがいたように伸ばしかけた右手、左手はのどをかきむしるような形をしていました。おまけに湯呑みが倒れてまき散らされた飲み物。

 どこをどう見てもそこは殺人現場にしか見えませんでした。

 以世がだらだらと冷や汗をかきながら硬直していると、傍らの六波羅が囃すような口笛を吹きます。

「火サスか!」

 本当に空気読んでほしいです。

「あらいやですわ。驚かせてしまいましたかしら。ごめんあそばせ」

 お姉さんは「うっかりうっかり」とでもいうように自分の頭をこつりとたたいてみせると、なんにもありませんでしたとでもいうようにごくごく自然に殺人現場へ戻ってきてそっと襖を閉めました。

 いやいやいやいや、どう考えてもごめんあそばせ程度の言葉で済むことではありませんでしたけど。いまのって一歳じゃありませんでした!?

「ええ、よくわかりましたわね。でも安心なさって。お兄様には少々眠ってもらっているだけですから」

 うふふ、と右掌を頬にあてて優雅に笑うお姉さんですが、以世には彼女の言っていることがよくわかりませんでした。

「せーちゃんが来るっていうのをどうしても了承してくださらなかったものですから。仕方なく盛りましたのよ」

 気軽すぎる口調ですが実力行使にもほどがあります。

 そして一体せーちゃんとは…。

「六波羅以世ちゃん、でしたわよね。いーちゃん、だと妹さんの壱世ちゃんとかぶってしまいますから、だからせーちゃん。…いけませんか…?」

 いけないのは呼び方ではなく盛る方だと思うんですけど!?

 以世の叫びは「おほほほほ」という優雅なんだかそうでもないんだかよくわからない笑いでごまかされてしまいました。

「放っておいても明日には目が覚めますから、お気になさらずともいいんですのよ」

 いや…明日まで意識不明なのは長い気がするんですがね…。以世はまだかろうじて青空の空を屋根の向こうに見ながらひどく遠い目をしてしまいました。

 それでも以世はお姉さんにひっぱられるようにその場を離れて奥の部屋へ通されます。

 そこは客間のようでした。畳のいい香りよりも、何か他の匂いが強いような気がします。座卓に添えられた座布団に座るように促され、そのまま座りますが落ち着きません。ぱっとあたりを見回すと、床の間に飾ってある掛け軸が一番に目につきました。そこで以世はぴんときます。この部屋の匂いは墨の匂いのような気がしたのです。しかしその掛け軸の字は達筆すぎて以世には何が書いてあるのかよくわかりませんでした。

 掛け軸のほかに、床の間には桔梗の花が生けてありました。

 以世が床の間に気を取られている間に、お姉さんは部屋の外へ行っていたようです。戻ってきたときにはお盆にお茶と花の形をした練り切りをのせていました。

「おあがりくださいな」

 彼女はそういって以世の前にお茶とお菓子を置いてくれますが、先ほどの一歳を見た手前、以世には彼女の持ってきてくれた食べ物を口にする気には絶対になりませんでした。

「さて、では申し遅れまして」

 お姉さんは座布団に座らず畳の上で正座をすると、三つ指をついて以世に向き直りました。

「私五十君家当主一歳の妹、十子と申します。以後お見知りおきくださいませ、六波羅の当主様」

 そのまま畳に額をつけんばかりに深くお辞儀をされて驚いた以世はあわてて十子の真似をして頭を下げて、勢いよく畳に額をぶつけました。

「何をやっておるのだ」

 六波羅にため息をつかれ、十子にくすくすと笑われて以世は恥ずかしくて真っ赤になってしまいます。

「よろしくお願いしますね、せーちゃん」

 十子はそういうと悠々と座布団に座りなおしてお茶を飲み始めました。しかしやっぱり以世にはお茶を口にする勇気が出ませんでした。

 自分のお茶の一杯目を飲み終わった時、十子はもう一杯お代わりを入れながら切り出しました。

「それで、六波羅家当主の以世様。本日は何用で参られましたか」

 行動と柔らかい口調に反して固い文句でしたので、以世はびっくりしてしまいました。

「我らは…」

 以世の代わりに口を開こうとする六波羅へぴしりと制止するように掌を向け、十子はゆっくりと首を振りました。

「六波羅、貴方に聞いたわけではありませんのよ。私は六波羅家当主の彼に聞いているのです」

「けちけちしておるなぁ。一歳といい、お前たち兄弟は奴に対して態度がなっておらぬぞ」

「私個人としては貴方のことは嫌いではありませんのよ。でも、これは家訓ですから」

「家訓?」

 一体どういうことなのでしょう。

「六波羅を信用するな」

 それだけ言うと、十子は音を立てずにお茶を飲みました。

「それが、五十君家の家訓ですわ」

 以世と六波羅は顔を見合わせました。

 それって以世のことも信用してもらえないのでしょうか。それってとても悲しいですね。

 そう呟くと十子は小さく笑いながら「いいえ」と否定します。

「私達五十君の人間が信用していないのはクソボーズもどきの六波羅だけですので、安心してくださいな」

 なんかものすごい言われようですよ。

「五つのめ、なんという教育をしておるのだ」

 拗ねるように口をとがらせて「白状者!」などぶつぶつ言っている六波羅を見て、以世は首をひねりました。実際会ったことはありませんが、五十君って一体どういう人なんでしょうね。六波羅は根暗とか陰険とかマブダチとか言っているのに五十君からはこの嫌われよう。仲がいいのか悪いのか全然わからないですね。

「それで、貴方が私達五十君の者に尋ねたいこととは、なんですの? 以世さん」

 十子はにこにこ笑顔のはずなのに、以世には妙に威厳や迫力があるように見えました。盛ったりしますし、もしかして十子の方が一歳より怖いのではないのでしょうか…。

 ふるふると首を振ってそんな考えを追い出すと、以世は正座した足にのせた両拳をぎりりと握りしめました。

 六波羅家の地下より五十君家のものとしか思えないお札が出てきました。それについて、詳しいことを調べに来たのです。何か知っているようでしたら、どうか教えてください。

 以世がそういって深々と頭を下げると、十子は優しく「面を上げてくださいな」と促します。

「六大呪家の御当主ともあろう方がそう簡単に頭を下げてはいけませんわ。そういうものは、もっとここぞという時のために取っておいてくださいまし」

 怖いんだか優しいんだかよくわからなくて逆に怖い人ですね…。

 以世が十子に対して多少びくびくしていますと、自分のねりきりを真っ二つにしながら十子はおかしそうにくすくす笑いました。

「まあ、せーちゃんたら別にとって食ったりなんてしませんのに。そんなにがちがちにならなくてもいいんですのよ」

 以世からは乾いた笑いしか出ませんでしたが、なるべくリラックスするように心がけることにしましょう。

 そういえば当主ではない十子にこんな込み入ったこと聞いてしまってよかったんでしょうか。まあ、他に聞ける人はいなかったわけなのですが。

「問題なかろう。最近の六大呪家は必ずしも当主の役割を担うのが一人というわけではないらしい」

 それってどういうことでしょう。以世が六波羅を振り返りますが、「ほほほ」という十子の笑い声で以世の質問はなかったことにされました。

「六波羅家に残る五十君の札、でしたわね。それがあったのはもしかして六の家の座敷牢ではなくて?」

 ドンピシャです。驚く以世は目を丸くしました。

「当たりですわね? 聞いてますわ、五十君から」

 十子は五十君とお話しできるのでしょうか。やっぱ見えるんですね? 幽霊とか…。

「ええ、ばりばり見えますわ。五十君とだってお話しますわよ。その人物が知るべきことを知るべき時に教えてくれるのがうちの五十君なんですの」

 五十君って、すごくまともな人そうですね…!

「どういう意味だ以世」

 いや別に。

 以世は十子に続きを促しました。

「そうですわね、せーちゃんの質問の答えは…どこから話したものかしら。じゃあ、私たちの家の地下にある穴についてからお話ししましょうか」

 穴、ですか。以世はきょとんとしてしまいました。

「そう、穴。私達の家の地下、六大呪家の家の下には、大きな大きな穴が開いているそうです。もちろん、物理的に開いていては家など建ちはしませんから、おそらくはこのあたりの土地の地下に私たちが住んでいる場所より少しずれた空間があると考えた方がよいでしょうね。その穴と繋がり易いように作った部屋が、各家には一つあるそうです」

 そういえば、自分の家に牢屋があることについてあんまり深く考えたことがありませんでしたけど、普通におかしいですよね。家が古いからかと思って流していたのですが。

「牢というものは何かを閉じ込めておくもの。六の家の場合は、穴を封じておくべきものと判断したのでしょう」

 それを聞いて、以世はぼんやりとした口調で尋ねます。

 封じておかねばいけない何かが、穴の中にはあるのでしょうか。

 うつむいた以世を見て、十子は悲しげに微笑むと「ええ」と瞳を伏せてうなずきました。

 ああ、ではやはり、いるのですね。

 以世は深くて長いため息をつきました。

 その穴の中には、出してはいけない何かが、いるのですね。

「それの正体が一体何であるのか、私達五十君家には伝わっていません。他の家では、それが七楽だと言っている家もあるそうですわ。当主が眠ったまま身動きの取れない七楽そのものだと」

 その話を聞いて、以世は首をかしげます。

 錦と御室から、その、父と母の話を聞いたとき、二人は穴の話を知っているような様子ではありませんでしたが…。

「まあ、一応六大呪家の中でも重大機密事項ですもの。これを知ってるのは一、五、六くらいのものですわ」

 その言葉を聞いて、以世はちらりと六波羅を盗み見ました。六波羅はなにやら口元に手を当てて考え込んでいるようでした。

 …穴のこと、六波羅も知っていたのですか?

「…うーむ」

 六波羅、表情が渋いですね。

「穴というのは…その…あの穴か?」

 心当たりがあるのでしょうか。

「私は五十君本人ではありませんもの。あの、と言われてもわかりませんわ」

 十子にそういわれて「むう」とまた考え込む六波羅の代わりに、以世が尋ねました。

 私達の家の下、と十子は言いました。ということは、他の家の下にも穴は開いているのですね?

「ええ、一度入ればなかなか出られない、まるで蟻の巣のような入り組んだ迷宮になっていますわ。頑張れば、もしかしたら家同士穴でつながっているかもしれません」

 十子はとても詳しいのですね。

「まあ、色々ありますのよ」

 あまり詳しく話したくなさそうですね…。

 穴の中にいる何かが七楽だというのなら――この話は以世にとって眉唾なのですが――害はないと以世は思うのです。七楽は、当主が呪いで寝ているから身動きができないはずですから。

「そうですわね…。その何か、というもの、基本は害はないんですのよ。…基本は」

 それを聞いて以世は声を上げます。嘘ですよ、だって…!

 以世の言葉を途中で止めて、十子は続けます。

「一つの例外を除いて、ですわ」

 穴の中の七楽と呼ばれるものは、時折何かを思い出したように穴から這い出しては、六の家の人間を穴の中へ引きずり込むのだといいます。

「穴の入り口は各家にあるはずですのに、なぜか的になるのは六の家だけだといいます。…今まで何人引きずり込まれたかわかりませんわよ。分家の六車家なんて全滅ですもの」

 以世は脳裏に浮かぶ生首のイメージを首を振って振り払いました。

 …親戚が少ないな、とか、仏壇に位牌が多すぎるなとは、以世も思っていたのです。

「事故死、病死、失踪…何人も六の家の亡くなった方々の記録がうちにも残っていますわ。でもこの記録の死因、表向きのものでしょうね。どこまで本当かわかりませんわよ」

 以世はため息と一緒に体から力が抜けていくのを感じます。祖父のことを思い出していました。生きているにしても、死んでいるにしても、もう帰らないと思うようにしていたのです。しかし、やはり心のどこかで期待していたのです。失踪した祖父はきっと帰ってくると。

 でも恐らくもう、祖父は帰ってこないのでしょう。

 心の中で、小さな蝋燭の火が音もなく消えたような気がしました。

「むかしむかし、六波羅さまが留守の間に、六の家の穴から何かが這い出してきたらしいですわ。もう百年以上も前のことです。五十君が力を貸して、その時はどうにかしたらしいですわね。これがきっかけで、六の家は地下牢を埋めた。…私が知っているのは、これくらいですわ」

 ふ、と息をついて。以世は静かにつぶやきました。

 何故、六の家なのでしょうか。

「…それは、私にはわかりかねます」

 空気がすっかり沈んでしまいました。

 十子は口直しをするように、切ったねりきりの半分をそのまま大きな口でぱくりと食べると、よく噛んで飲み込んでから付け加えました。

「…そういえばこの話をしてくれたとき、五十君は穴の中の何かを七楽とは呼んでいなかったですわね…」

 それって、五十君は穴の中の何かのことを七楽と思っていないということでしょうか。

 一体なんと呼んでいたのでしょう。

 十子は「うーん?」と後の下に手を置いて考え込んでいましたが、やがてゆっくり首をかしげました。

「なんでしたかしら…。や、やつで? やましろ?」

 うんうん唸る十子の声を押しのけるように、一言六波羅がつぶやきました。

「八重樫」

 以世は六波羅のその言葉に思わず彼を振り返りました。六波羅は苦虫を噛み潰したような顔をしていました。その表情の険しさが今まで見たこともなかったレベルのものでした。

 十子はつかえがとれたようにすっきりしたのか明るい声をあげました。

「そうそう、それですわ。やえがし!」

 確かそれは、この前見つけたノートの走り書きの文字と同じです。

 一体どういうことなのでしょう。

 六波羅、それって…。

 問い詰めるように以世は六波羅をじっと見ますが、六波羅は心ここにあらずといった様子です。彼は額をおさえていた右手をゆっくりと滑らせて口元を隠すと、以世と十子に聞こえないぐらいの低い声でこぼしました。

「…やってくれたな」


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