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籠目の星へ願う  作者: きぬがわ
15/20

灰皿求めて四千里

 学校の帰りにゆっくり自転車をこぎながら、以世は首を傾げました。

 今日も昼休みに主計が来なかったのです。今までこんなことありませんでしたから、なんだか心配ですね。

「あれはあれでやることがあるのではないか?」

 そうなんですかねえ。あんまりこき使われてなきゃいいんですけどねえ。様子を見に行こうにも主計としてはあんまり一の家に来てほしくなさそうでしたし…どうしたものでしょうか。

 ふと以世は思い立ちました。もしかしたら主計はまた駅前で暇をつぶしているかもしれません。行ってみましょう。

 以世は家に帰って着替えると、まだ座椅子に熱が残ったままの自転車を転がして駅前へ向かいました。いつもの場所に自転車を置いてベンチに向かいますが、主計はいません。代わりに一人、誰かがお巡りさんに職質をされていました。

 職質って初めて見たなぁ。以世が呑気にそう思っていますと、職質していた警察官が一歩動いて、見えなかった職質されてる方の人がお兄さんだということ、そしてそのダルそうな顔のお兄さんが大学生くらいの歳らしいのが見えました。

 …というかあの職質されてる人、以世は見たことあるような気がします、ね?

「この市は基本的に公道と公共の場が禁煙なんだよ。地面にもでかでかとプリントしてあるでしょ?」

「はあ…」

 ほどほど人通りのある下校時間の駅前ですから、人通りのそこそこです。道行く周りの人から遠巻きに見られてるそのお兄さんの顔をもっとよく見てみようかと近づこうとしたそのとき、以世の頭上から「ばあ!」と逆さまに子供の顔が現れます。

 うぎゃ!?

 いきなりのことに余りに驚いた以世は大きな声で叫んでしまいました。

「おどろいた? 六んちの人おどろいた?」

 以世を驚かせたその子はおなかを抱えて明るく笑い声をあげています。表情だけ見ていれば普通の小さい子供なのですが、ちょっとぼろな丈の短い着物を着ているところと、楽しそうなままゆっくりと空中をでんぐり返し状に回っているところらへんが全然普通じゃありません。

「おお四つの、あまり会わぬな」

「六の人こんにちはー!」

 元気に挨拶ができるこの子は間違うことなく四郎丸です。

 以世は叫び声で周囲の注目を集めてしまったことに気がついて慌ててなんでもありませんと両手を振って笑って誤魔化しました。以世こんなんばっかですね。

 以世の方を見ていたのは周囲の人だけではなくお巡りさんと職質されてるお兄さんも同じで、以世はばっちりお兄さんと目があってしまいました。

 眠そうな顔のその人は、思った通りというかなんというか、四の家の当主である四郎丸紫藤その人でした。

 お巡りさんは紫藤に一言二言声をかけると、以世の方へやってきました。

「どうかした?」

 以世はぶんぶんと首を振ります。お巡りさんなんてかっちりした制服の人に質問されるなんて滅多にありませんからやたら緊張しますね。

 いきなりメールきて驚いただけです!

 以世がそういうと、お巡りさんは不思議そうな顔をしながら「何かあったら交番頼りなさいよ」と紫藤の所に戻っていきました。口調がぞんざいな割に親切なお巡りさんですね…。

 しかし、この隙に逃げても良さそうなものですが紫藤はまったく動きませんでした。

「紫藤はね、ダイオウグソクムシなんだってー」

 どんだけ動かないんですかそれ。

 そういえば以世はこの前会った時にも四郎丸に驚かされたような気がしますねえ…。あんまりどっきりはいけませんよ。以世がこそこそ四郎丸に注意しますと、四郎丸は心底不思議そうに言いました。

「でも楽しいよ?」

 以世は楽しくありませんからね。

「奴は愉快だがなあ」

 六波羅を愉快な気分にさせてやる義理などねぇ!

 以世控えめに吠えても六波羅と四郎丸は声を上げて笑うだけでした。こいつらに話は通じないと思っておいたほうがよさそうですね!!

 ところで。以世はこほんと咳払いをして話題を変えました。紫藤は一体何をしてあんなことに?

 そう尋ねると四郎丸は「うん!」とにっこり頷きました。

「なんかね、煙の出るやつをかじりながらすぱすぱしてたら、あの人が来たんだよ」

「ほう、すぱすぱすると四の当主はどうなるのだ?」

「しばらくぐったりするの」

 どんなやばいもん吸ってんですか。

「火をつけてねー、あっ」

 四郎丸は何かに気がつくと、嬉しそうにすいっと空中を移動します。

「紫藤おかえりー」

 くるくると嬉しそうに紫藤の周りを衛星のように回りまくる四郎丸を見ていると、なんだかティンカーなベルさんを思い出す以世でした。

「ただいま四郎丸。…こんにちは、以世くんと六波羅」

 こ、こんにちは…。

 改めて紫藤を見てみます。渋い濃茶色のパーカーに白いワイシャツ。下はジーパンです。持っていた長財布をジーパンの尻ポケットにねじ込んでいるところでした。スリにあいそうですね。

 見ればみるほど普通の大学生にしか見えないんですが、この人ぐったりするものすぱすぱ吸ったりするんですね。まあ、聞こえが悪いだけでただのタバコでしょうけど、それでも意外です。あんまりこの人にタバコ吸いそうなイメージなかったものですから以世はちょっといや結構驚きました。人は見掛けによらないもんなんですかね…。

「…」

 気まずい沈黙です。

 特に話すこともないのか、嬉しそうな四郎丸を目線の高さに浮かんだままにしてぼんやりそれを眺めている紫藤ですが、その沈黙に耐えられない以世は頑張って声をかけました。

 あの、お買い物ですか?

「…? 違うけど…」

 お財布持ってたからてっきりお買い物かと…。あはは、と以世が右手を後頭部に持っていきながら言いますと、紫藤はしれっといいました。

「ああ…今罰金払ったから」

 ばっ…。今えらい単語出てきました。

「素直に払うとさっさと帰れるし」

 なんでしょう、紫藤はそんなヤバげな単語を大したことなさそうに話しています。もしや四郎丸の言うすぱすぱというナニガシも結構ヤバげなあれやこれやだったりするのでは!? というか罰金を即座に払える程度の現金を持ち歩いているのですね!? お金持ち!!

 固まったままそこまで考えていた以世の様子を見て、紫藤はじっとりした目で四郎丸を見ます。四郎丸はそんな視線をうけていることに気が付かずに暇そうにあらぬ方向を見つめていました。

 紫藤は小さくため息をついてすぐに目線を少し先の地面へ落とします。以世がその視線の先を追いますと、地面にこの辺の地域のゆるキャラがプリントされているのが見えました。一緒に「禁煙区域! ※司馬市の条例により喫煙を発見したら直ちに罰金二千円いただきます」というようなことが書かれています。

 …特にヤバげなことは何もなさそうですね。

「四郎丸、変なこと言ったでしょ」

「いってないよーっ!」

 あらぬ方向を見ていた四郎丸は紫藤にいきなり話しかけられてそう答えていましたが、正直何の話か分かってなさそうです。よくあるんですかねこういうこと…。

 紫藤は疲れたため息をついていました。六波羅もそこそこ大変ですけど、四郎丸の相手をするもの結構大変そうですね…。以世がいたわるようにそういうと、紫藤はどこか「お前に言われたくない」という顔をした後すっと視線をそらして「お互い様だと思うよ」とつぶやきました。隣の芝は青く見えるもんなんですかね…。

 それにしても、紫藤が喫煙家なんて意外です。以世がそういうと、紫藤はどうでもよさそうに「そうかな」と答えました。

「そうでもないと思うがな。大方友人に誘われるまま吸い始め、依存に抵抗できないままずるずると続けているのだろう」

 ちょっと六波羅、あの、黙っちゃいましたよ紫藤。

「何気にするな、大当たりなだけだろう」

「…なんか、やめられなくて」

 そういって紫藤はポケットから煙草の箱を取り出して、頭が出ている一本を咥えて引き抜きました。 ぼんやりしたままライターを構えたところで、はっとここが禁煙であることを思い出したようです。

 紫藤はゆっくりした動きで引き抜いた煙草を箱に戻すと、落ち着かない様子でパーカーの腹ポケットに両手を突っ込みました。

「…あの」

 はい?

 遠慮がちに口を開いた紫藤は、恥ずかしそうに以世から視線をそらしながら言いました。

「ちょっと、よければ、付き合って…もらえない?」

 そうですね、主計もいませんし…。

 紫藤の様子に首をかしげながらも、以世はこくりとうなずきました。



 ぷかり。

 天井を向いた紫藤の口から吐き出されたその煙が、以世にはどこかへ旅立っていくエクトプラズムに見えました。

「コーヒーとココアです」

 ウエイトレスさんはカップを二つ以世と紫藤が向かいあって席に着いているテーブルに置くと、「ご注文はお揃いですか?」とにっこり笑います。

 以世の頷きを確認すると、ウエイトレスさんは伝票を残して去っていきます。

 人もまばらな喫茶店、以世は紫藤の誘いで一緒にお茶をすることになりました。もちろん喫煙席で。

「…ごめんね」

 以世が紫藤の吐いた煙をくぐって遊んでいる四郎丸を見ていたら、紫藤がぼそりと呟きます。え? と、よく聞こえなかったのでそれだけ以世が返しますと、紫藤は「付き合って貰っちゃって」とだけと続けました。

 ああ、と以世は笑います。いいんですよと右手を振って見せますと、紫藤は申し訳なさそうに一回り小さくなった気がしました。

「…その、こういう外食できる所って、一人で入れなくって…」

 わかりますわかります、なんか恥ずかしいんですよね。以世は気軽に言いますが、小さくなった紫藤は元に戻りません。

「ちょっと、我慢できなかったものだから…」

 何が、ときくのは余計ですね。話の主役が紫藤の手の中で一筋煙を上げていました。

「…お礼と言ってはなんだけど、好きなもの頼んで」

 そんな気を使わないでも…。以世がそういっても紫藤はふるふる首を振ります。

「いや、思い切り高いの頼んでくれた方が僕は気が軽くなるかな…」

 一体なんででしょう。そう尋ねますと、紫藤は俯いてため息交じりに呟くように言いました。

「君の健康…主に肺の健康を金で買う訳なんだから、高くついてくれた方が安心する」

 とんでもどんより顔でたばこの煙を吐き出す紫藤を見て、以世は心の中で力強く頷きました。紫藤は紫藤で結構な性格ですね!

 それにしてもなんでも頼んでいいとは言われても、そうほいほいものを貰うわけにもいきませんから困りますね。そのままココアを味わっていると、そのうち紫藤は気まずげにその場でもぞもぞ動き始めました。どうしたんでしょう。

「以世、なにかおごってもらえ」

 呆れた六波羅に言われます。けれども気が引けますから別にいいですよ…。

「その遠慮が不要な罪悪感を生み出していて非常にいたたまれない。おごってもらえ」

 呆れた六波羅に続いて、紫藤は以世から目線をそらしたまま頷きます。ちょっと変な汗かいてるけど大丈夫でしょうか。

「そうしてもらえると、ありがたいかな…」

 その紫藤の顔色が余りにも悪かったものですから、世の中には色んな人がいるんだと以世は少々引きつつも感心してしまいました。せっかくなのでホットケーキでもいただきますかね…。

「四の当主よ」

 以世のリクエストを注文して幾ばくか顔色がよくなった紫藤に、六波羅は尋ねました。

「四の家は最近六大呪家と希薄ときいたが真偽はどうだ?」

 紫藤の目が泳ぎました。

 紫藤はそのまま気まずそうに押し黙ったままです。聞いた六波羅が肩をすくめると、「あのねー」と頭上から声が聞こえました。

「僕んちはね、あんまり他のおうち好きじゃないんだって」

「四郎丸…!」

「平和でいたいから、あんまり関わりたくないんだよ」

「四郎丸、だめ、しー!」

 四郎丸はそれを昨日の晩ご飯の話題のように普通に話してくれますが、紫藤は大慌てでうっかりコーヒーをこぼすところでした。

「なんでだめなの? ホントなのに」

 それは本当だからだめなんじゃないですかね。以世はなんだか顔色が真っ青になってしまった紫藤が気の毒になってきます。

「それで四つの、関わりたくないで関わりたくないなりに七の家の調査は進んでいるのだろうな?」

 六波羅は紫藤に聞くより四郎丸に聞いた方が早いと踏んだようです。四郎丸は「んー」と首を傾げると、それに伴って首を傾けた方向にゆっくりと体も回りだしました。空中はじっとしてるのが難しいんですかねぇ。

「よくわかんない」

 宣言されてしまいました。

「それはさぼり宣言か四つの?」

「違うよー。七の人も七のおうちの人も特に何もやってなさそうなんだよ」

 だからよくわかんない。と四郎丸は逆さまであぐらをかきます。

 この前六波羅に聞いたことと同じですね。進展してないみたいです。

「でもねー」

「四郎丸」

「なあに紫藤」

「しー!」

「えー」

 四郎丸はきょろっと大きな目で必死に口元に人差し指を置く紫藤と六波羅を見比べると、「うーん」と唸ってから六波羅にいいました。

「紫藤がどうしてもっていうから、ないしょにしとくね六の人」

「なんと、殊勝なことだな」

「でも夕方のおうちの子がなんか変ってだけだから、全然心配しなくて大丈夫だよ」

 という四郎丸に対して紫藤は頭を抱えて俯いてしまいました。

 ああ、これを黙ってて欲しかったんでしょうね…。

 なんだかどんどん紫藤が可哀想になってくるんですけど…。

「うん? うむ、これは仕方がない。教育の勝利というやつだな」

 ええ…? なんだかろくでもない香りがしますねぇ。

 しかし、夕方のおうちとはなんのことでしょう。

「前にも話した七の家の分家の一つだな。そこの子はなんというのだ?」

 片手で頭が痛そうに額を抑えていた紫藤は、しぱらく黙っていましたが観念したようにため息をつきました。

「…侘助さん。夕向侘助さん」

 ゆむきわびすけさん。風流な名前ですねえ。

「でもあの人はある場所で変なこと始めそうではあるけど、その場所はここからかなり離れた場所にあるから…」

「では関係は薄そうだな」

 疲れた紫藤の言葉に六波羅は確信に満ちた様子でうなずきました。言い切っちゃっていいんですか? 遠くになにかある可能性は?

「考えなくていいだろうな」

 相変わらず自信満々です。その自信は何が理由なのでしょう。

「家あっての我らだ。りすくを考えれば家より遠く離れた地で何かしようとは誰も思わぬだろうな」

 なるほどと以世はこの前のモモのときを思い出しました。家神を遠隔召喚できなくなったらわざわざ家に帰って家神を起こさなくちゃいけませんものね。以世は一人うむと頷きます。でも、六波羅の言い方は七楽だけではなく六大呪家全員に当てはまりそうですね。

「確かに夕向は気にせずともよさそうだ。放っておくか」

「さっきからそう言ってるでしょー?」

 六波羅と四郎丸はそういってうんうんと頷きます。

 …本当に問題ないなら、別にいいんですけど。

 でもなんで紫藤は問題ないことをそんなに隠したがったんでしょう。

「…七の分家の人たちは、殆ど普通の人だから。何もないなら、放って置いてあげたくて」

 これはきっと紫藤の本音でもあるのでしょうね。紫藤のこともできれば放って置いてあげたいのはやまやまですけど、六大呪家の手前そんなわけにもいきません。

 紫藤はまたぷかりと煙を吐き出しました。

 そうだと以世は別のことを思い出します。五の家の一歳にききたいことがあったのでした。主に自分の家の地下にあったという五十君印のお札のことについてです。

 ですが大体の方向はわかっても、五の家がどこにあるのか詳しく知りません。以世はそれを紫藤に聞いてみることにしました。

「五の家の場所…? わかった。メモして」

 紫藤は一瞬きょとんとしましたが、すぐにすらすらとそらで五の家の住所を言ってのけます。

 なんだか意外ですね、暗記してるなんて。メモしながら以世がそういうと、紫藤は「そうかな」と首をかしげます。

「時々、荷物出すから」

 荷物? どんな荷物でしょう。

「御歳暮とか、御中元とか」

 紫藤の言葉に以世は大変な衝撃を受けました。

 六大呪家って、そんなもの送りあってるんですか!?

「あれ、君の家にも出してるはずだけど…」

 以世は全然知りませんでした。ちなみに何をもらっているのでしょうか? 以世も気が付いているものでしょうか。

「主に、うどんとか。好きだよね、君」

 と言われて以世は更なる衝撃を受けました。

 もしや、時々どこぞからやってきて食卓を輝かせるヨピカフーズのうどんのことでしょうか…?

「え…さあ…」

 あの、ヨピカは安いのが売りだけれど、一部出てる高級志向ブランドのちょっと高いやつ…?

「多分…」

 なんてことでしょう…。いつもおいしくいただいているうどんがこんなところから来ているだなんて以世は予想だにしてませんでした。

「日見子さんから昔からお返しとお手紙貰ってて。うどんは孫がとっても喜ぶからすごくありがたいですって言ってくれるから、調子乗って父さんから当主引き継いでからも麺ばっかり送ってたんだけど…飽きてない?」

 飽きてません…飽きてません…。

 不安げに聞いてくる紫藤に対して以世はぷるぷる首を振ることしかできませんでした。 小さな頃から夏にはそうめん、冬にはうどんがどこぞから送られてきて、以世は荷物が届いたら跳んで喜んだものでした。おそらく祖父関係の人からでしょうが、どういう関係のどういう人が送ってくるのか誰も全くわかってなかったものですから、主に麺をくれる謎の麺の人としか家では認識されていなかったのですけれど…その謎の麺の人がこんな近くに!

 これはもう拝むしかない。以世がぷるぷるしていると、ウエイトレスさんが注文したホットケーキを持ってきてくれました。うどんの上ホットケーキもらっちゃっていいんでしょうか…!

「いや、うん、食べてね」

 そういってもらえるならばありがたくいただいておきましょう。メイプルシロップかけてチョコソースもかけておきます。もぐもぐ。うまい。

 頬にわふわふホットケーキ詰めていますと紫藤に変な顔をされました。

なんでしょう。しかし口にものが詰まっていて喋れません。

「いや…面白いなあって…」

 紫藤にまで面白がられてしまいました…心外です…。

「所で、一歳さんにどんな用事?」

 大分リラックスしたみたいです。紫藤は吸っていた煙草を灰皿でもみ消すと、次の煙草はつけずにテーブルに両肘をつきました。

「なに、少し確認したいことがあってな」

 以世の代わりに、四郎丸をじゃらしていた六波羅が声を上げました。

「確認? なにを?」

「大したことではない」

 六波羅は本当に何でもなさそうに言ってのけました。紫藤に座敷牢の話はできませんものね。

 五十君に会って話ができれば一番いいのに、という以世の言葉に「五十君が寝てるときの話なら覚えてるはずがないから、家の記録を調べるしかない」と六波羅が容赦ない反論を浴びせたのは今日の朝のことでした。

 しかし一歳は以世にあたりがきついですから、会うのは少し気が重いですね…。以世の言葉に紫藤は不思議そうに眉根を寄せて言いました。

「…あたりがきついの? 一歳さんが?」

 前に初めて会った時もちょっと嫌なことを言われた旨をざっと話しますと、紫藤は首をかしげました。

「一歳さんはとても厳しい人だけど、すごく優しい人だよ」

 紫藤の言葉に以世はひどく驚きました。あんなこと言われましたからね。もしや以世は一歳に特別嫌われているのでしょうか?

「何言われたの?」

 かくかくしかじか。先ほどぼかした当主会議の話をすると、紫藤は更に首を傾げてしましました。

 紫藤はしばらく何か考えていたようですが、やがてゆっくり首を振りました。

「それ、多分君が思っているような意味じゃないと思うよ」

 ではどんな意味なのでしょう…?。

「あの人言葉の選び方が下手なだけだから、もっとこう違うこと言いたかったんだと思う」

 そう言われても以世は首傾げるしかありません。

「まあ、会って話してみればきっとわかるよ」

 そうなんでしょうか…?

「何知りたいのか知らないけど、知りたいことわかるといいね」

 紫藤がそう言って優しげに笑ったものですから、以世は目を見開いてしまいました。

「…? 何?」

 いえ別に。以世はにこにこしてそう答えます。沈んだ顔ばかりしていた紫藤もこんな風に笑うんですね。なんだかいいものを見たような気がします。

 ふと腕時計を確認した紫藤は、「じゃあそろそろ」と立ち上がりました。

「お代おいてくから、ゆっくりしてて」

 そう言って紫藤はテーブルにお代より明らかに多いお金を置いていきます。

おつりおつり!

 以世が慌てて言いますが、紫藤は「お小遣い」と手を振ってさっさと帰ってしまいました。

 四郎丸もおつりのことなんて全然気にせずに手を大きく振りながら「またねー」と紫藤ににくっついていってしまいました。

 …いいんでしょうか…。

「まあ、もらえるものははもらっておけ」

 六波羅って大体そんな感じですよね…。

 そういえば、なんか紫藤はイメージと違いますね?

「そうか?」

 もっと…失礼ですけど暗い人かと思いました。

「基本は暗いのではないか? まあ、年下当主が現れたので年上ぶりたいのだろう」

 ヘビースモーカーそうなかんじだったのにあんまり本数吸ってませんでしたしね。

「まだまだ子供なのかもしれぬな」



 さて、以世がホットケーキを食べ終わって店を出ると、外はすっかり暗くなってしまっていました。急いで家に帰らなくては。自転車を回収して家路を急いでいますと、何か変な音が聞こえた気がして以世は自転車を止めました。荷台に乗っていた六波羅は以世が自転車を止める前から変な顔をしていたようです。

 目の前の十字路、以世から見て右の角の方です。なんだかそっちの角の方で変な音が聞こえたような?

「珍しいな」

 後ろの六波羅が感心したような口調で言いました。何が珍しいのでしょう…?

 バスの通る道は車通りは多くても人通りも少なく、道が狭いですから、自転車で移動するときは今通っている車通りも少ない住宅街を縫って家に帰ります。

 以世は自転車に乗ったままそろそろとつま先で地面を歩きながら進みます。

 そーっと角を覗き込みますと…?

 ばちり。

 何かと目があってしまい、以世はその瞬間ペダルを思い切り踏み込みました。

 見えたのは一瞬でしたが、右の道にいたのは、体長三メートルはあろうかという巨大な犬のようなもののように見えました。

 なっなっなっ、なんですかあれ?!

 以世は体重を前にかけながら一生懸命自転車を漕ぎます。

「珍しいな、このような正当派がこのあたりにいるとは」

 六波羅はこんな非常事態なのにやたらのんびりした声です。それに対して以世は腹立たしく思いながらたたきつけるように言いました。

 正当派!? なんの正当派…。

「だめだな以世、来るぞ」

 六波羅のゆるい口調の言葉の直後に、以世の後ろからものすごい追い風が吹きました。風が逃げるのを味方してくれたならよかったのですが、現実はそう優しくはありません。その風はその大犬のような何かが以世の頭上を華麗に飛び越えたから起きたのです。進行方向に立ちはだかった犬を見て、以世は慌てて急ブレーキをかけました。

 …ものすごく…ピンチです…。

 以世は自転車を漕いだせいだけではない汗をだらだら垂らしながら、正面に立ちはだかる大犬を見ないようにしていました。しかし目の前の危機を見ないことにもできませんので、仕方なく様子をうかがってみます。そろーっと視線を向けてみますと、少し先に立っている街灯の下に白いそれが見えました。

 街頭に照らされたその大犬は、銀色の毛並みが大変美しいのですが、その美しさより酷く逆立って臨戦態勢なことの方が印象が強いですね! 以世なにもしてないんですがね!

 このまま自転車で元来た道をもどっても完璧に追いつかれますしね! 困りましたね!! なんですかこれ! 妖怪!?

「うむ、正当派だな」

 正当派妖怪!? 以世は余計訳が分からなくなっています。

「昔はよく出たものだが、最近はさっぱりだな。どれ」

 六波羅は自転車の荷台からおりると、以世の自転車より一歩前に出て言いました。

「ヤアヤア! さぞかし名のある山の主と見受けたが、何故このように荒ぶるのか!」

 ドヤ顔でもののけごっこしてる場合じゃないんですけど!?

「世の中大切なのはノリだぞ以世」

 TPO! TPOをわきまえてください!!

 そうしている間にも大きな犬は体勢を低くして以世たちを威嚇して唸っています。しかし何故かぶんぶん全力で尻尾を振っています。

 怒ってるの!? 機嫌いいの!? どっち!?

「これ、返事をせぬか」

 六波羅は相も変わらず犬に話しかけてますし埒があきません。

 どうしたもんでしょうこれ!

 以世がとんと困り果てて冷や汗を滝のようにかいていたそのときでした。どこからともなく軽やかな口笛が一つ。メロディもクソもない短音でしたが、それを聞いて犬はぴくりと耳を持ち上げます。一体どうしたのでしょう。以世が様子を伺っていますと、犬は一旦空を見上げました。

 犬はちらりと以世と六波羅を見やると、「命拾いしたな」とでもいいたげに「わふっ」と鳴き捨て、二人に背を向けてあっという間に走り去ってしまいました。

 …なんだったんでしょう、あれ。

「飼い犬ではないのか?」

 いやでかいですから! でかすぎですから!

 今の結構な出来事な気がするのですが六波羅が思いの外やる気がなくて以世はなんだか腹が立ってきます。

 しかし、あんな大きなものが出てきたときには一体どうしたものかと思いましたが、自主的に帰って頂けてよかったですね。以世はほっと息をつきました。

「いざというときは九九鱗でがぶりでかまわぬぞ」

 自分が一応病み上がりであることを忘れないでほしいもんですよね。

 再び以世が自転車に跨がった時以世はふと視線を感じて後ろを振り返り、その瞬間以世は目をぱちくり瞬かせました。電灯と電灯の長い狭間、その暗闇の中できらりと一瞬誰かの瞳が輝いた気がしたのです。

「どうした以世、帰らぬのか」

 以世はしばらくそのまま暗闇を見つめていましたが、もうそこには誰もいないようです。

 ぼんやりとその場所を眺めながら、以世は首を傾げてこぼしました 鈴城、散歩でもしてたんでしょうか。

 あの一瞬見えた切れ長の目は鈴城そっくりだったのです。ですが、なんだかいつもと違って全然楽しそうじゃありませんでしたねぇ。

「はずれだろう、はずれ」

 六波羅は鈴城の話題だというのに、なぜかどうでも良さそうに欠伸をするだけでした。


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