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アークライセンス  作者: 植伊 蒼
第4部‐彼方の瞳‐
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1章『少年の夏は追われて終わる』:5

 今どき電話などを使うのは、相手の電話番号しか知らないなどという特殊な事情があるか、声は聞きたいが顔は見たくないので映像通信ではなく電話が優先されるなどという特殊な状況ぐらいだ。

 ―――と、今どきの一般人はそう思っているだろう。


 黒檀の色合いを基調としたシックなインテリアが彩る部屋の中で、場にそぐわない安っぽい音が鳴り響いた。一定のペースで音を刻むそれは、見る人が見ればVNATというこの時代における標準的な通信機器だと気づくことができるだろう。

 見た目はあくまでも金色の高級そうな腕時計。だがその本質は多機能なケータイ電話である。

 机の上で味気ないメロディを奏でていたそれを取り上げたのは、この部屋の主である御影五郎ミカゲゴロウだった。灰色のシャツの上から白衣を羽織った彼は、着信の表示を見てどこか険しい表情を浮かべる。


 相手はそう、今どき電話を使う人間だ。

 例えば彼のような研究職の者や、あるいは政治に関わる者などによく見られる選択でもある。その理由は、その立場から逆算するように考えることができる。

 すなわちセキュリティ上の問題。

 デバイス間での直結通信を行った上、同期させたVNAT同士でリアルタイムに暗号化形式とそのキーを変更する。その上で送る情報を音声に限定することで、文章データとして残らないようにしつつ映像データよりも複雑な暗号化を施して通信を行うことを目的とした選択だった。


 苦虫をかみつぶしたような顔をしながらも、御影は通信を取った。

「……貴方のように立場ある御方が、こんなしがない研究者に一体何の用でしょうかね?」

『はは、またえらく謙遜なされる。先生がしがない研究者ならば、世の中の研究職の人間はほとんどが塵芥ちりあくた同然になってしまう』

 御影のあからさまな当てこすりにも、相手は朗らかな返事を返した。予想した通りの声と口調に、御影の口ぶりが剣呑さを増す。

「やはり、先生というのは好かないな」

『ならば御影博士、と。そうお呼びいたしましょうか?』

「好きにしたまえ、いずれにしても的外れだ」

 電話の男が言う博士や先生というのは、間違いなくアーク研究に関わる研究者としての呼び名であろう。だが御影は自分をそんな大層なものだとは思っていない。そしてそれは謙遜などではなく、自己の本質に対する認識であった。

『しかし、博士は相変わらず博士と呼ばれるのがお嫌いらしい』

「君が言うのはアークの研究者としての立場なのだろう? ならば私は自分をそれだと思ったことは無い」

『では考古学の権威として敬意をこめて博士とお呼びしましょう』

「やめてくれ、考古学を研究し一つの答えに辿り着いた私の絶望は一昼夜で語り尽くせるものではないんだ。己が極めた分野が何の意味もなかったのだと知ることが、研究者にとってどれほどの屈辱かはわかるまい」

『……ではやはりアーク研究者としてならばよろしいのでは?』

「そちらを見れば、やはり私はしがない研究者の一人にすぎないな。アークを発見したときの肩書は地質学者だったが、そちらもたしなむ程度だった。だから的外れだと言ったんだ」

 口調は穏やかで、言葉は不満げだった。

 手に持っていた腕時計型のケータイを手首にはめ直して、御影は黒檀のデスクに腰掛けた。

 ケータイに取り付けられたセンサーが持ち主である御影の口と耳の位置を測定し、高指向性マイクとスピーカーであたかも耳元にデバイスを寄せているかのように正確な通話を行う。

 だがそれであっても、御影の表情は晴れないままだった。

「……いや、呼び名に関しては何だって構わない。私だって立場は必要で、研究者を名乗っているのだからな。文句を言うのも勝手というものか」

『ご配慮、感謝いたします』

 必要以上に腰の低い男の態度に、御影もその毒気を抜かれてしまう。

 彼もいい加減まともに話を聞く気になったあたりで、今度は電話の男がこう切り出した。

『では、本題に入らせていただいても?』

「……なにかね?」

『以前から幾度かお話しさせていただいている通り、我々の計画に協力していただきたく』

「やはりその話か……」

 予想通りだったその話題に、御影は呆れを隠す様子もない。

 相手がこの電話の男だったかどうかはともかくとして、彼が属す組織からの交渉は以前にもあった。もともとはもっと暗に誘いを受けるだけだったが、エンペラー暴走事故後あたりから勧誘が本格化してきたのだ。

 当然、御影がこのような反応をしていることから分かる通り、彼はこの誘いを断り続けている。だから今回もそう答えるつもりだった。

「何度も言わせないでほしい。それに関しては断ると以前から言っているだろう」

『ええ、もちろん聞き及んでおります。しかし我々としても引き下がれない理由がある』

「ならばその理由は果たして、未来ある少年少女に咎を背負わせるに足るものなのか?」

 ふつふつとわき立つ感情に蓋はせず、御影はあえて自身の感情を隠すことなく言葉に乗せる。電話越しの声からでも彼の十分な激情を感じ取った電話の男は、それを受けてなお理性だけで言葉を紡ぐ。

『我々は一個人の行く末のために、背に負った1億の命を踏みにじることをよしとしない。その意志を持った人間の集まりなのです。故にこうして先生の助力を仰ごうとしているのです』

「…………反吐が出るな、腐りきっているよ」

 彼らにとって、その選択は決して間違いではない。むしろ御影が言っていることの方が理想論であり、彼、あるいは彼らの思想の方が理性的ですらあった。

 だがそれではいけない。彼らが掲げる思想に世界の行く末を任せれば、それは今と変わらない世界を繰り返すだけになる。

 今と変わらない世界なら、今度こそ、全てを滅ぼしてしまうほどの破壊が世界を覆うだろう。そしてその最前線へ送り込まれるのが、アークという強大な力を操る子供たちになるのは間違いなかった。

 彼らの理屈はある意味では平和的であり、また極めて現実的だ。だが世界は一個人の悪意でどうこうなるほど小さなものではない。争いが起こるのは、もっと大きな意志や思想がぶつかり合うからこそだ。

 その根本を変えない限り、どれほど抑圧されようとも、人の意志はそれを超える力で動き出し衝突する。

『先生、考え直してはいただけませんか?』


 ――その流れを食い止めるのが、今この瞬間に選択肢を与えられた自分にとっての役目なのだから。


「悪いが何度言われようとも私はその計画に協力するつもりはない」

『何故あなたはそうまで頑ななのです……!』

「少なくとも君よりもアークというものを知っているからこそわかるんだ。……君が言うその計画というのは確実に破綻する。たとえ一時的にうまく行こうとも、いずれ人はより大きな力を求める。それは君たちが生みだす技術のスピードでは絶対に追いつかなくなり、やがて模造品では満足できなくなる時が来るだろう。そのとき、やはり君たちは彼らを兵器として扱うことを選ぶ」

『我々は、そのようなことは……』

「忘れるな、一人よりも一億人を選ぶと言ったのは君自身だ! それは正しい、ああ正しいとも! だが模範解答が過ぎる。そんな容易い答えならば行きつく先を見通すこともまた容易い。その結果どうなるか、私にはそれが分かってしまうんだ」

『……………………』

 沈黙してしまった電話の男と、深く深く息を吐く御影。

 できうることならばこれで全て終わってほしい、そう願う御影の思いは、沈黙を破った男の言葉によって打ち砕かれる。

『――コードA、アーク・アストラル』

「なに……?」

『かの機体は東洞財閥が所有権を持つアークでありながら、同様のアーク・バーニングとは異なり明確な安全性が未だ示されておりません』

「っ…………」

『現状この国に存在するアークは、アーク・アストラルを除く全てにおいて十分な安全性が示されております。さてそうなると、エンペラーと同様に暴走を起こす危険性を否定できないアーク・アストラルは、我々政府としても自ら管理し研究を行う必要があるのではと考えているのですよ』

 続く言葉を予想して、御影は奥歯を噛み締める。

 証拠となるデータの都合がつかずアメリカへ逃がすことになったものの、その安全性の保障については政府側から目をつぶってもらうことでごまかしている形になる。

 彼らはこれを使って交渉を行う余地があるということだ。

 案の定、電話の男は感情を感じさせない平坦な声でこう続けた。

『もし先生が我々の計画に賛同し共に研究開発を行うと言うのならば、現状で安全性について保障がされていないアーク・アストラルについても、引き続き先生方でご自由に研究を続けていただいて結構。しかしそれが受け入れられないならば……』

「……ならば、なんだろうか?」

『危険性のあるアーク・アストラルを、そのパイロットもろとも我々の組織が持つ施設で、極めて安全に管理させていただきます』

「そんなことをしても、君らが持つノウハウではスタートラインに立つことすら……」

『なにをおっしゃっているのやら。――――我々はただ、危険なアークの暴走によって一般の方々に被害が出ることを防ぎたいだけですよ』

 あざ笑うような男の口調に、御影も小さく呻いた。

『そしてそのためには、アークだけでなくそれを操る人間に対しても十分に手綱を握る必要がある。我々も、危険を危険のまま野放しにすることはできない』

「くっ…………」

『ですから先生………………お分かりですね?』

 諭すように話す男と、呼吸すら忘れたように沈黙してしまった御影。

 御影は個人の未来を犠牲にしようとするものだから、彼らの掲げる計画への協力を拒否したのだ。だがその個人を人質に取られ脅迫を受けている今、それを断ることなど――――

「いや…………」


 ――これは脅迫ではない。

 ――まだ、交渉の領域だ。


『…………?』

 呼気から戸惑った様子を漂わせる男に対して、御影はもう一度、きっぱりとした口調で答える。

「やはり断らせてもらおう」

 その言葉に、今度は電話の男が押し黙る。しばらくの間、電話越しに沈黙の応酬が行われた。

 ややあって、電話の男が小さく笑った。

『まったく、先生は強情だ。……いいでしょう、この話は終わりにします』

 言い放った御影の口調から何かを感じ取ったのか、電話の男はむしろ晴れたような口調でそう答えた。状況が好転したのを見て取った御影は、探るように呟く。

「なら、計画自体も……?」

『それはありません。ですが、先生に協力を仰ぐのはもうやめます。また別口で進めることにしますよ。……ああ、アストラルのパイロットの少年に関してはご安心ください、先生の逆鱗に触れるようなことをわざわざしたりはしませんから』

「……代わりになる組織はいる、と」

『心許ないですが、一応は。流石にそちらに対して口出しなされるようならば、我々としても考えなければなりませんが……。聡明な先生ですから、その点に関しては』

「わきまえているつもりだ、これ以上勝手は言わないさ」

 ぶすっとした様子で答える御影だったが、当初の目的通り彼らの計画に関わることだけは避けられた。本当ならば計画自体を無くせられれば良かったのだが、今のやり取りでその梯子を外されてしまったのだ。ここは仕方がない。

 なにはともあれ最低限の目的は果たせたと、御影が黙って通話を切ろうとしたところで『おっと、話はもう一つあるんです』と呼びとめられる。

『我々の計画に協力していただくのは諦めましょう。その代わり、もう一つ別の計画がありまして』

「……それは意味が無いのではないか?」

『最後までお聞きください』

 早とちり気味にボヤく御影の態度に、電話の男も思わず苦笑する。ペラリと紙をめくるような音が電話越しに聞こえた。

『近々、とある国のアークを一機いただく計画がありまして。その演出のためにそちらのアークの力をお借りしたいのです。……そうですね、先ほど話題に上げたアストラルならちょうどよいのでは?』

「アークを、手に入れる……」

『ええ。少し戦闘を行う必要はありますが、それ以上の危険はありませんので、よろしいでしょうか』

「………………」

 電話の男の質問に対し、御影は熟考する。

 それまでのように、言葉の端に悪意や身勝手な雰囲気がにじみ出ることは無い。単に上司から指示された仕事を果たそうとしているだけのような、事務的な口ぶりだった。だとすれば心当たりがある。

 そしてこれを受ければ、直前の反抗はお目こぼしになる。男は言外にそう語っていた。

 御影は顎に当てていた手を下ろし、小さく頷く。

「いいだろう、協力するよ」

『ありがとうございます』

「ただし、『彼女』の管理は私たちの研究所主導で行なわせてもらう。構わないだろう? いずれにせよ現状で君たちが研究を主導する意味は無い」

『…………ははっ、なるほど、全てお見通しというわけですか』

 途端に砕けた口調になる男の言葉にも、御影はただ沈黙で返した。

『いいでしょう、上の者に掛けあっておきましょう。必要ないとは思いますが、今晩までに計画書のデータを送らせていただきます』

「物分かりがいいな」

『先生の発言で把握しましたから。……アーク研究が世界に広がりだした頃に突如姿を消した先生を我々は5年もの間捜索し続け、しかし我々自身では最後まで先生を見つけることはできなかった。その意味が分からないほど、愚かではないつもりです』

「……君たちは、何故そこまで私にこだわる?」

『詳細はお答えできません。ですが、深淵で蠢く彼らに対して我々が持てる唯一のアドバンテージが先生、貴方なのです』

「深淵、か……」

 御影は記憶を探るように言葉を繰り返す。

 その言葉に心当たりがあるということ自体が、普通の立場の人間ではないということを意味することに、彼は気づいていただろうか。

『先生は誰よりもアークを知っている。それはある意味で、彼らと同じでありその対極に位置する存在だ』

「……たった5年、早かっただけだ」

『その5年で二つも三つも別の次元へ行ってしまうのがアークなのでしょう? だから先生の存在は彼らに対する切り札になりうるのです』

「買い被りだと思うがね」

『ご謙遜を』

 電話の男は、何度も否定する御影の言葉を鼻で笑う。彼の持つ先入観が、御影の言葉全てを塗りつぶしていた。

『我々の中にもいるのですよ、彼らが。そしてそれは恐らくあなた方も同じだ。……ビジネスマンはいらっしゃいましたか?』

「そちらはまだ、だ。だがスカウトは間違いなくいるだろう。……アストラルが本格的に動き始めた今、彼らに目を付けられるのは時間の問題だ」

『……なるほど、ホライゾンを受け入れてくださったのは、それが理由ですか。それとも、彼女の境遇を知ってのことでしょうか』

「…………」

 それには何も答えず、御影は黙って通話を切る。


 これが意味を失った考古学の権威の力であり、そしてハッタリ一つで国や世界と渡り合おうとする男の限界でもあった。

「私の力ではこれが精一杯か……。すまない、遥。情けない限りだ」

 腰かけていた黒檀の机に、拳を静かに打ちつける。

 その怒りが生んだ震えが収まるまで、御影はただ、沈黙と共にあり続けた。

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