2章『アーク・ライセンス』:1
それは翌日の学校、昼休みのことである。
昼食をとるために机を四つ並べて島を作り、それを囲んでさあ食事を始めようとしたところで、伊達がニヤリと笑った。
「さて、一時間目の授業で見事に宿題を忘れてきたアスカ君から言い訳の一言です、どうぞ」
「今日は遅刻してこなかったから仕方ないよな、うん」
ニタニタといやらしい笑みを浮かべてこちらをうかがってくる伊達とは目を合わせずに、飛鳥はぼそっとそう言う。
言うなれば自分に対する言い訳のようなものなのだが、悲しいかな、ここにはそういう冗談が通じない人がいた。
「それ言い訳になってないと思うよ」
「いいじゃんもう過ぎたことなんだからさっさと忘れて飯を食うべきだと」
「……星野君、怒るよ?」
「さーせんっしたー!」
ジト目で睨んでくるクラス委員の美倉に向かって、無駄にでかい声で謝罪の言葉を口にすると、飛鳥は手元の惣菜パンの袋を思いきり開いた。もう飛鳥も大概ヤケクソである。
飛鳥は遅刻の常習犯なので、今日は遅刻をしなかったというのはある意味ちょっとした奇跡なのだ。しかしその理由が、宿題を見事に忘れた結果夜更かしせずに寝たということであると考えると、どうにも褒められたものではない。
いくら彼女がクラス委員とはいえ、美倉に謝罪をしているという少しおかしな状況に疑問を感じながらも、口論になっても勝てる気のしない飛鳥は黙って手元のパンにかぶりついた。
昼食は当たり前だが皆で統一されているわけではない。
飛鳥は普段から購買やコンビニで総菜パンを買ってくるのが基本で、隼斗は購買で買った物だったり学食だったりとまちまちだ。伊達と美倉は共に弁当だが、伊達のものがかなり大きいのに対して美倉の弁当箱は手のひらサイズとかなり小さい。
隼斗が安物のおにぎりの包装を破りながら、顔を飛鳥の方に向けた。
「それにしても、宿題忘れたからって立たされるのも今時そうないよね」
飛鳥は咀嚼していたパンのかけらを呑み込むと、ぶすっとした表情で腕を組んだ。
「あれ時代錯誤すぎるだろ。何だよ立ってろって、しかも10分だぞ。晒しものもいいとこだ……」
やはりクラスでも軽くネタになっているのか、20人ほど残った教室にはチラチラと飛鳥の方に視線を向けてくる生徒たちが居た。いちいちそれらを睨みつけるのも面倒になったのか、飛鳥はため息一つと共に瞑目する。
「まぁアスカは遅刻か宿題忘れるかどっちかしかないからな。そりゃ立たされもするだろ。これ何回目だよ」
飛鳥は片目だけを開いて、鬱陶しい笑みを浮かべる伊達をジト目で睨みつけた。
「俺のことはともかくとして、お前だって他人の宿題まる写ししてただけだろうに。……はい伊達君、言い訳の余地はありますか」
ことさら面倒そうに訊く飛鳥だったが、伊達は余裕綽々とでも言いたげにふふんと鼻で笑った。
「そんなの写そうが何をしようが最終的に完成させて提出できればいいに決まってんじゃねえか」
その言葉に頷いた飛鳥は、おもむろにズボンのポケットから手のひらサイズの白いケータイを引っ張り出すと、顔の横で軽く振って見せる。
「ちなみにこの会話は録音されている」
「やめろよ!?」
伊達の言葉を笑って受け流すと、飛鳥は手首をくるりと返してケータイをポケットにしまい込んだ。机を挟んだ対面であからさまに胸を撫で下ろす伊達と、その左隣の美倉を交互に見ながら、飛鳥はこう続ける。
「冗談冗談、先生にチクったりなんてしないって、めんどくさいし。……ただまぁ、そっちへの言い訳は頑張れよ」
ビシリと親指を立てる飛鳥の視線が意味するものに気付いた伊達が、恐る恐る左側に目を向ける。そこでは持ってきていた弁当をいつの間にやら半分ほど食べ進めていた美倉が、そっと端を置いたところだった。
「……伊達君?」
「いやいやこれはアレだぞ!? あの、えっと…………そう! あくまでも宿題はちゃんと済ませるもので、間に合わなかったときだけ写せばいいじゃんってこづる」
「噛んでんじゃねぇか」
ちょっとそれっぽいこと言っているなと感心しかけたものの、最後の最後にテンパって噛んでしまうという伊達の情けない姿に、飛鳥も呆れの表情を隠しきれない。
「どうしてこう不真面目な人がいるんだろう……」
美倉も疲れたように溜息をつくと、憂いを帯びた目でそう呟いた。彼女のクラス委員という立場としては、堂々とサボられるのは気分のいいものではないのだろう。
その様子にはさすがの飛鳥も多少は気の毒だとは思ったものの、本音を言うと余計なお世話なので特に励ますこともしなかった。
「まぁまぁ、そんなに落ち込まないで。こんなのはアスカと伊達ぐらいだよ」
代わりというわけではないが、隼斗がそう言って穏やかに美倉を励ます。ちゃっかり自分はそうではない、とサボりの括りからは外しているものの、現実に隼斗はかなり真面目な方なので誰も文句は言えないのだった。
「逆に二人に真面目に授業を受けてもらう方法はないかなぁって思うんだけど……」
美倉がちらりと視線を送ってくるのに気づいて、飛鳥は思いきり首を横に振った。
「ちょっと待て、俺は授業はちゃんと受けてるぞ。ここは前から2番目の席のくせして授業中ずっと寝てる伊達に注意をすべきだと俺は思う」
美倉からのヘイトを素早く伊達に移しつつ、飛鳥は素知らぬ顔で食事を再開したふりをする。ものすごく何か言いたげな顔をする伊達だったが、飛鳥はそちらを視界に入れないように努めていた。
「伊達君って、やっぱり授業中は寝てるの?」
美倉の態度は文句があるというより純粋な疑問として聞いているのだということが伺えるが、対して伊達は酷くうろたえていた。
「いや、えーと……。す、睡眠学習、かな?」
「それって意味が無いって科学的に否定されてなかったっけ?」
「隼斗まで…………」
四面楚歌ここに極まれり。というほどではないにしろ、どこを見ても味方の居ない状況に伊達は思わず頭を抱えた。本来なら飛鳥と手を組んでアウトローを気取るところであったが、今回は飛鳥が一足先に逃げてしまっている。
苦笑を浮かべている隼斗も悪気があったわけではないのだろう。単に空気が読めなかっただけだ。それに反して美倉は少し同情の色も見せていた。
「まぁ伊達君は普段から部活で忙しいし、少しは仕方ない部分もあるよね」
「ま、まぁそうなんだよ。ちょっと朝練とかで疲れてることもあるからさー」
思わぬフォローに、伊達は調子に乗ったように後頭部を掻きながらそう答える。美倉は人差し指を立てて「ただし」と続けた。
「次からはちゃんと授業を受けること。いいよね?」
「お、おう……」
ズイッと下から覗き込むように詰め寄る美倉に、伊達は少し顔を赤くしながらそう答える。一応は肯定の言葉を聞けて満足したからか、美倉はそれ以上は何も言わずに食事を再開した。
飛鳥が二人の様子をぼんやりと眺めていると、伊達が頬を掻きながらこう尋ねてきた。
「ところでアスカ、お前今週末は予定開いてるか?」
「今週末?」
何の脈絡もなく週末の予定を聞かれたことに飛鳥は戸惑ったが、少し考えるそぶりを見せてから首を縦に振った。
「特に予定はないぞ。……あ、でも日曜の朝は無理だな」
「へ? 何でそんなピンポイントなところだけ無理なんだよ?」
「アスター見たいから」
何を当たり前のことを、とでも言いたげに答える飛鳥の様子に、伊達は思わず脱力してしまう。
「えぇ……そんなの録画すればいいじゃねぇかよ」
伊達がごく一般的な感性に従ってそう言った途端、飛鳥はカッと目を見開いて机の上に身を乗り出した。
「アホかお前は! リアルタイムでテレビで見て初めて価値が生まれるんだよ! 正座しろ、今から小一時間位説教してやる!」
「わ、分かったからやめてくれ、昼飯食う時間無くなるだろ。……ともかく、土曜日なら朝からでもいいんだよな?」
突如凄まじい剣幕でたたみかけてきた飛鳥に、伊達は思いきりたじろいで両掌を顔の前にやった。落ち着きを取り戻した飛鳥は軽く頷いた。
「ああ、いいぞ。それで、なんか用でもあるのか?」
「用ってほどのもんでもないんだけどな……」
伊達はそう言いながら、スラックスのポケットから横長の紙きれを取り出した。差し出された紙きれに飛鳥が目を向けると、伊達はこう続けた。
「『アクエル』のチケットだよ、複合娯楽施設の。知ってるだろ?」
「ああ、名前ぐらいはな。というかチケットなんて必要だったんだな」
飛鳥が特に感慨もなく呟くと、いつの間にか食事を終わらせていた美倉がこう補足した。
「アクエルは営業開始した当初にものすごい人数が集まっちゃって、島一つの収容人数をオーバーしちゃったらしいの。そのときがもう酷いぐらい人が多かったせいで皆まともに動けない程だったんだって。だからその次から人数を制限するためにチケットの抽選を行ってるんだよ」
分かりやすくそう説明した美倉の顔は、いくらか羨望の色を湛えて伊達の方に向けられていた。
「でもいいなぁ、私も何回も応募してるのに一度も当ったことないよ」
よほど羨ましいのか、美倉は手を胸の前で組んで瞳をキラキラさせている。伊達はそちらを横目に見ながら、話しを続ける。
「それでさ、あのチケットって4枚セットでに当選するんだよ。あぁ、当てたのは俺じゃなくて知り合いの子なんだけど、行こうって誘われたんだよ。だから他にも一緒に行きたい人がいたら誘おうかなって思ってさ。……あの、美倉は、その、どうだ。もし暇だったら一緒に行かないか?」
伊達がかなりぎこちない様子でそう尋ねると、美倉は顔をパァッと輝かせた。
「え、いいの!? 行く行く、行きたい!」
「お、おう。そ、それじゃあこれ、入場チケット」
思いのほかハイテンションな美倉の態度に軽くたじろぎながらも、伊達は薄い水色のチケットを美倉に手渡す。
「やった! ありがと伊達君!! わぁ、楽しみ!」
「ま、まぁ喜んでくれるなら俺もうれしいよ」
チケットを両手につかみ小躍りしそうな様子の美倉を見て、伊達は頬を緩めまくっていた。それどころか机の下で小さくガッツポーズまでしている。
飛鳥が何をやっているんだと呆れていると、にやけ顔を引っ込めた伊達が妙に神妙な表情で飛鳥の方に向き直った。
「それで、アスカ。お前も来てくれるよな?」
「なんだ、要するに1枚余ったから人数合わせってことか? 別にいいけど、それなら隼斗でもいいんじゃ?」
突然名前を出された隼斗はややキョトンとした表情を浮かべて、首を横に振った。
「僕は今週の土曜日は生徒会関係で仕事があるから無理かな。少し残念だけど」
という割には隼斗の態度はあまり残念そうに見えない。それを見た飛鳥の頭に、ちょっとした疑問が浮かんだ。彼はチケットを握って嬉しそうにしている美倉を横目に見ながら、伊達の耳元に口を寄せた。
「お前、美倉誘いたかっただけだろ?」
「なっ――――」
小声で尋ねた飛鳥の言葉に、伊達は表情をこわばらせた。分かりやすく顔を赤くしながら、慌てた様子で、しかし小声で言い返す。
「な、なにを根拠に……」
「いや? そもそも美倉、俺の順番で誘ってきたのがまずお前らしくないし。普通なら隼斗か俺に聞いて、予定つかなきゃ美倉にって感じだったろうからなぁ。つか、さっきのあの顔見ればわかるわな」
隠せるとでも思っていたのだろうか、と最後に呆れた様子で飛鳥は付け足す。しかし、伊達にはそんなことを気にしている余裕はないようだ。
「ち、ちげーし! ただ誘ってきた知り合いの子が女の子だから、周り全員男だとかわいそうだからと思ってだな……」
「嘘つけ、お前そんな気の利く奴じゃないだろ」
らしくないその苦しい言い訳に、飛鳥はケタケタと笑う。ひとしきりからかって満足したのか、飛鳥は浮かせていた腰を戻す。
「ま、そういうことにしておきますかね」
「くっ、アスカてめぇ……」
ものすごく何か言いたげな伊達から露骨に視線を逸らしながら、食べかけのパンに被りついた。飛鳥はそれを咀嚼しつつ、やはり伊達とは目を合わさずに少し考え込む。
(つまりデートってことか。……うん、まぁちょっとぐらいなら協力してやってもいいか)
なかなか面倒くさそうな状況だが、飛鳥とて伊達のことを応援していないわけでもない。こういう頼みぐらいは素直に引き受けても良いだろう。
「とりあえず、これで貸し一だからな」
などと軽口をたたきながら、それでも飛鳥は少し週末を楽しみにしていたのだった。