2章『アーク・ライセンス』:2
そんなこんなで土曜である。
飛鳥の自宅から今日の目的地であるアクエルまではそれなりに距離があるので、徒歩や自転車で行くのは流石に無理である。原付なんかがあるわけでもないので、彼の移動手段は電車に限られていた。
飛鳥の自宅であるアパートの近くの駅辺りではそうでもなかったのだが、電車がアクエル近くの駅へ近づくにつれて妙に人が多くなった。
休日の朝なのだからのんびり本でも読みながら向かおう、という飛鳥の思惑は見事に外れることになり、ともすれば満員にさえなりかねない狭い電車に揺られること1時間、彼はようやくアクエル前の駅に着いていた。
狭い電車内では背負った鞄から本を引っ張り出すこともかなわないし、そもそもまともに腕を動かすことができなかった。ケータイでの暇つぶしさえできないとなると、実質1時間棒立ちという苦行じみた状況である。
そういうわけで、飛鳥の顔色はこれから娯楽施設へ行くものとは到底思えないほどに悪い。彼もそれなりには体力のある方だと自負していたが、身じろぎがやっとの状態で長時間の立ちっぱなしは流石に負担が大きかったらしい。
とはいえ、実際は暇つぶしができなかったことに対するフラストレーションの方が大きいのだろう。気持ちを切り替えて思いっきり遊ぶぞ! と強引にテンションを上げて改札をくぐったところで、
「おっそ――――――――――いっ!!!!」
という美倉の叫びで飛鳥は迷わず改札に向かってUターンした。
「おいおい帰るなアスカ」
伊達があわてて呼び止めると、飛鳥は非常にうんざりした様子でため息をついた。髪の毛をガジガジと掻きながら、ことさら面倒そうな表情を浮かべて振り返る。
「たかだか20分程度だろ、叫ぶほどのもんかよ……」
「星野君いっつもじゃない! こういう時ぐらいは間に合わせようよ!」
よほど楽しみにしていたのだろうか、美倉の文句の勢いが凄い。しかしなんだってこんな時にまで遅刻を口うるさく注意されなければならないのかと、飛鳥は半目になって彼女の言葉を聞き流していた。
「だいたい星野君は――――」
「だぁー、わかったわかった、悪かったって!」
さらに続けようとする美倉に、飛鳥は両手を合わせて謝る。かなりおざなりな態度の謝罪だったが、美倉もむっとした表情をしただけで一応黙ってくれた。
はぁ、とため息をついて、飛鳥は素朴な疑問を口にした。
「というか美倉さ、ちょっとテンション高過ぎないか?」
「だってアクエルだよ!?」
「いやその感性は俺には分からん……」
美倉は両手を握って叫ぶように答えたが、飛鳥は疲れたように首を横に振るだけである。そんな二人の様子を少し遠巻きから眺めていた伊達が、飛鳥の様子を見かねたのかゆっくりと近づいてきた。
「まぁアクエルはテレビでもよく宣伝されてるし、知名度に関してはすごいからな。それに入場券を抽選しなきゃならないぐらい人気もあるし、そのせいで行きたくても行けない人とかもいるんだよ」
「なるほどねぇ、んでそれの筆頭が今ここにいる美倉だと。まぁわからんでもないか」
要するに入場できること自体にプレミアが付いているということだろうか、と飛鳥は頭の中で適当に補完しておく。
その中の施設はともかくとして、アクエルそのものへの入場は無料だそうなのでそもそも応募者自体が多いのだろう。一度行っても2度目を応募できるとすれば、その数も相当なものかもしれない。
考え込んでいる間に何やら雑談に興じ始めていた伊達と美倉から視線を逸らして、飛鳥は少し離れたところまで行くと辺りをぐるりと見渡した。
どこを見渡しても人、人、人である。飛鳥が改札をくぐってから数分が経っているはずだが、駅の方から流れていくのも含めてとてつもない数の人間がいた。遠方に見える巨大なアクエルの看板の方に向けて、数えきれないほどの人の群れが喧騒と共に歩いてく。
なかなかに異様な光景に、飛鳥は口の端を引きつらせた。
アクエルの収容人数がどれほどかはともかくとして、開場の時間がとっくに過ぎたこの時点で入口の前にこれほどの人がいるというのは相当だろう。
「なるほど、そりゃチケットの抽選もしなきゃいけないわけだ。この様子じゃショッピングモールとかもこんな感じなんだろうな」
アクエルの中にはショッピングモールも存在している。飛鳥も最初はそんな施設が入場が制限されるようなところに収まっていて大丈夫かと思ったものだが、この様子を見る限りそれでも十分なのかもしれない。むしろ人が多過ぎることで買い物がし辛くなるより良いのかもしれない。
「しっかし、駅前でコレってことは中はもっとってことか? まぁここよりは広いんだろうけど、どっちにしても人口密度すごそうだな」
5月も末ともなれば相応に気温は高い。ただでさえ暑いというのに人ごみに放り込まれては余計にしんどそうだ、と飛鳥はうんざりしてため息をついた。
「おーいアスカ、ぼーっとして、どうしたんだ?」
ちょっと離れたところにいた伊達が、飛鳥のすぐ近くまで来てそう尋ねた。隣には落ち着きを取り戻したらしい美倉の姿もあった。
「何にも。なんとなく周り見てただけだ」
「ふぅん、変な奴だな」
当てもなく人ごみを見ていただけの飛鳥がそう答えると、伊達が何の感慨もなさそうに答えた。飛鳥も多少は心外だとは思ったものの、言い直させる気にもならなかった。
代わりに気になったことを訪ねる。
「そういや伊達、ここに来るのは4人だったはずだよな。もう一人が見当たんねぇけど、もしかして現地集合か?」
伊達の言っていた『知り合いの子』というのがどうにも見当たらない。声をかけて来ないということは付近にはいないということなのだろうが、だとすれば下手をすると駅前であるここ以上の人口密度のアクエル内で待ち合わせでもしているのだろうか。
飛鳥がそんな余計な心配をしたところで、伊達は首を横に振った。
「いや、それはない。駅前でこれなんだからアクエルの中で見つけられるわけもないしな。そもそも、アスカが来る前には一緒にいたんだぞ?」
「なんだそれ。じゃあなんでここにいないんだよ」
首をかしげた飛鳥がそう聞き返すと、伊達は呆れたように息を吐いた。
「アスカが遅刻したから、どこかで時間つぶしてくるんだってさ。多分この辺りにいると思うんだけど……」
そう言って辺りをきょろきょろと見回した伊達は、その視線をある一点で固定した。飛鳥もその先を目で追う。そこは駅からアクエルに向けての巨大な道の真ん中にある、レンガで囲われた噴水だった。
そしてその噴水のそばには、おかっぱ頭の小柄な女の子が視線を噴水の頂点に固定して突っ立っていた。
「あ…………」
人の流れが綺麗に二つに分かれる場所に立っているからだろうか。人の流れから取り残されたような、ともすればそこだけが別の世界にさえ感じられるほどに開いた空間に、彼女はたった一人で立っていた。
「いたいた、おーい!」
そちらに向けて伊達が呼びかけると、彼女は一瞬遅れてこちらに気付いた様子を見せた。そのままくるりと振り向くと、てててて、と小走りで飛鳥達のもとへと向かってくる。
人の群れなど気にもしないように、ぶつかるどころか避ける動作すらほとんどせずに人の流れを逆走して走り抜ける。そしてそのまま伊達の近くまでノンストップで駆けてきた。
彼の隣でぴたりと止まった少女を一瞥して、伊達は飛鳥の方に振り向いた。
「この子がさっき言ってた俺の知り合いの子で、名前は如月愛っていうんだ。星印学園の割と近くにある中学校の3年生なんだが、まぁよろしくしてやってくれ」
紹介された彼女――如月愛は身体ごと飛鳥の方に向ける。
年齢にしてもかなり小柄な体格。黒は黒だが、光の反射なのかどことなく藍色っぽく見えるおかっぱ頭の髪。飛鳥に向けられた光の無い瞳は、飛鳥自身ではなくその内側を映しているかのように焦点が合っていない。その無表情さと相まって、感情が欠落しているようにさえ感じられた。
地味めな印象で特別顔立ちがいいとかそういう風ではないのだが、見ていると何故か引き込まれてしまうような、そんな独特の雰囲気を持った少女だった。
一瞬だが吸い込まれるような感覚に陥った飛鳥は、かぶりを振ってそれを打ち払う。
そんな飛鳥の様子を焦点の合わない瞳で見つめていた彼女は、飛鳥と再度視線が合うのに合わせて口を開いた。
「如月、愛。……よろしく」
静かで抑揚がないものの透き通るような声でそう言いながら手を伸ばしてくる愛に、飛鳥は一瞬戸惑いながらも、その手を握り返した。
「あ、ああ。俺は星野飛鳥、だ。よろしく」
無言でうなずく愛は、視線を外そうとはしない。ちょうど段ボール箱の中の捨て猫のように妙に保護欲を掻きたてられる感じだった。
「…………」
「…………」
そして、沈黙。
どちらともなく握手した手を離して、しかし視線だけは逸らすことのないまま言葉を失う二人。早くも彼女のペースに呑まれかけていることを感じた飛鳥は、普段ならまずしないであろう愛想笑いを浮かべた。
「え、えっと、そうだ、君のことはなんて呼べばいいかな?」
しどろもどろになりながら、なんとか話題を作ろうと飛鳥はそんなことを尋ねる。唐突な質問にキョトンと首をかしげた愛は数秒沈黙した後、やはり抑揚のない声で応えた。
「……? なんでも。好きにしてくれていい」
全く興味の無さそうな声音で返事をされてしまい、どうしようかと飛鳥は冷や汗をかきはじめる。
呼び名ぐらい適当に決めてしまってもよさそうなものだが、相手の感情があまりにも読めないため、飛鳥にはフレンドリーにいくべきか丁寧に対応するべきかの判断が付かない。より具体的には名前で呼ぶか名字で呼ぶかと、呼び捨てにするか「さん」や「ちゃん」を付けるのかだ。流石にいきなりニックネームはないだろう。
(ま、一応こっちが年上なんだしな……)
結局そんな半端極まりない理由で、飛鳥は彼女のことは名字を呼び捨てにすることにした。
「じゃあ如月、って呼ぶことにするよ。あ、俺のことはアスカって呼んでくれ。皆そう呼んでるから」
「わかった」
終了。会話が続かない。
特別居心地の悪い沈黙というわけでもないのだが、そもそも初対面の人間と無言で一緒にいるというのはそもそもが気まずい。愛があまり飛鳥に興味を向けていないのがある意味救いではあったが、もどかしいことには変わりがなかった。
なんとかしてくれ、とほとんど涙目の飛鳥が、傍らの伊達に目で訴える。
しょうがないな、と伊達が苦笑しながら口を開こうとしたところで、ちょっと離れたところにいる美倉が声を上げた。
「ちょっと、いつまで立ち話してるの? 早く行こうよ、伊達君、『星野君』!」
いつまでも立ち話を続けていたからだろうか、少し苛立った様子の美倉。とはいえそれは問題ではない。問題なのはどちらかというと、飛鳥はついさっき愛に呼び方を指定したということである。
何とも表現しがたい空気の中、飛鳥が隣の愛にチラリと視線を向ける。
「みんな?」
「……例外もあります。なんかもうごめんなさい」
案の定視線をバッチリ飛鳥に向けたまま無表情で小首を傾げる愛に、飛鳥は疲れ切った様子で謝った。
その様子を見かねた伊達が、ため息をつく飛鳥の肩を叩きながら歩きだした。
「まぁそれはともかくさ、これ以上美倉を待たせても悪いし早く行こうぜ」
「おう」
一応気を取り直して、飛鳥も慌ててその背を追って行く。
少し離れた位置をついてくる愛の気配を感じながら、やり辛いなぁとこっそりため息をつくのだった。




