2章『閃光は海を越えて』:2
当然ながら手続きはつつがなく終了し、持ってきた荷物が金属探知に引っかかるなんてことも当然なかった。飛行機に乗るまでの時間つぶしに関しても、何気にラウンジにテレビが置いてあったりと特に困ることもなかった。
適当に喋ったりしながら時間を潰しているうちにいつの間にやら飛行機に乗り込む時間になっていた。ファーストクラスやビジネスクラスの人間は先に乗り込むことになっているようで、5人は出発時刻から考えると意外と早い時間に飛行機へと搭乗していた。
出発まで動かない飛行機の中で待つというのもつまらないししんどいだろうと飛鳥は思っていたのだが、ビジネスクラスのシートは思った以上に良いもので、座った瞬間に軽い眠気に襲われるという怖いくらいのものだった。
それでも飛鳥が起きていたのは、適当に取ったチケットでの席配置が彼にとってはなかなか嬉しいものだったからだ。
ビジネスクラスの席配置は2席、3席、2席で一列になるようになっており、飛鳥はこの中央の3席の中央に座ることになった。そしてその右隣りが遥、左隣は一葉という配置だったのである。隼斗は遥の右の2人席で、さらにその右の窓側に飛騨という席順だった。
ありがちな席の交換なんかも発生しなかったこともあり、特にもめることもなく席に着いた飛鳥は、心の中でそっとガッツポーズをしてみたり。
もっとも、飛鳥としては遥と隣だったなら何でもよかったのだが、遥と一葉の間で話を取り持つ役目ができるというのも、今このタイミングではよかったのだろう。
話をすると言っても、周りは静かにしているのでうるさくない程度の声で話すだけだった。特に話すこともないのだろうか、隼斗や飛騨は黙って本を読んだり、ケータイをいじったりしていた。
ただどうにも一まとまりとなっている席の外側に音を打ち消す装置が取り付けられているようで、普通に喋っても外に声が漏れたりはしなかったようだ。そのことに気づいてからは、飛鳥達三人は割と普通の声で会話していた。
そんな状況で先生と一緒のまとまりに放り込まれてしまった隼斗には飛鳥も同情をしてしまうが、だからと言って代わってあげようとまでは思っていなかった。
席の配置は完全に運で決まったものだし、そうでなくてもこの状況を捨ててしまうには飛鳥は少々欲望に忠実すぎる。
それに、飛騨も今は無愛想にしているが、おそらくその隣が飛鳥だったらいつものノリに戻ってウザいほど絡んでくるのは目に見えていた。一体なぜなのかは本人しか知るところではないが、飛鳥の理解ないし納得に関わらずそうなるだろうと感じられる以上、わざわざ死地に飛び込む必要もないのである。
というわけで、席自体は最初に決まった形のまま、既にフライトから2時間程度が経っていた。
「アスカ君は眠らなくていいの?」
飛鳥の傍らでケータイに繋いだ小型のノートPCを操作していた遥が、ふとそんなことを訪ねてきた。
ノートPCと言っても、ほとんどただのタブレットPCだ。本体はつまり画面とその下に取り付けられた小さなスタンドで、キーボードは画面下部から投射ディスプレイによって空間に描き出されたものだった。
「ええ、まぁ。普段から結構夜更かし気味なんで、夜には割と強いんすよ」
「その代わりに朝が弱くて遅刻気味なんじゃないかしら? 全く、そうするなら早くに寝て朝早く起きればいいじゃない」
「それは言わない約束です。それに、遥さんだってパソコンいじってるじゃないですか」
言われた遥はパソコンのキーボードを軽やかに叩きながら、当たり前のことのように答える。
「私はほら、2徹とか3徹とか日常茶飯事だもの」
「それ引き合いに出すのはずるいでしょうよ……。確かに今起きてるのは俺たちだけですけど。それにしたって皆寝るの早すぎでしょ」
そう言った飛鳥がチラリと視線を向けたのは、左隣で気持ちよさそうにすやすやと眠っている一葉だ。眼鏡をはずして髪も下しており、普段とはまた印象が違っている。普段も物静かで知的な雰囲気を持っているが、こうして見ると一段と大人びていて美人にも見える。だからどうしたというわけではないが。
隼斗と飛騨にしても、二人揃って軽くリクライニングを倒しており、隼斗は普通に、飛騨は顔に持ち込んだ雑誌をかぶせて眠っている。二人とも酷く寝がえりをうったりしていない辺り、どちらかのいびきがうるさいなどという安眠妨害の被害は受けていないようだ。
「そうね、みんな機内食のディナーを食べたらすぐに眠っちゃったものね」
「起きててもすることが無いってのも理由だったんだろうけど、それにしたってこんなすぐ寝れるもんですかね。俺なんかまだ全然目が冴えてて寝れる気しないんですけど」
「確かにそうね、私もまだ一時間ぐらいは眠くなりそうにないわ」
遥は飛鳥の身体を跨ぐように一葉の寝顔をちらりと見て、クスリと笑った。優しげな笑みを浮かべていたのに気づいた飛鳥も、つられたように笑う。
離陸してからだいたい一時間ぐらいした頃に、機内食が配られ始めたのだ。もともとそれを前提に夕食をとっていなかった飛鳥達は特に断ることもなく、その機内食を食べることにした。
簡素なものかと思いきや普通に満腹になる程度の量があったのが飛鳥にとっては驚きだった。そして両隣の女子二名がそれらをぺろりと平らげていたのも驚きだった。
ただ、その後に関してはそもそもこれといってできることがあるわけではない。多少は雑談に花も咲きはしたが、結局いつの間にか静寂が辺りを包んでしまい、ケータイを弄っていた飛鳥がふと顔を上げたときには一葉も隼斗も飛騨も皆眠ってしまっていた。
そんなわけで、まだなかなか眠くはならない飛鳥と遥だけがこうして起きているのだ。
「とはいっても、明日の6時ぐらいには起きてしまった方が良いのだし、あまりおそくまで起きてちゃダメよ?」
「分かってます、もうあと1時間もしないうちに寝ますよ。ところで、向こうにつくのって何時でしたっけ、現地時間で」
「8時、じゃなったかしら。時差が確か19時間で、7時間のフライトだったはずだから12時間さかのぼるわけでしょ。離陸した時間の半日前になるわね」
「えらくちょうどいい時間……いや、そうなる時間の飛行機を選んだんですよね。ということは、向こうに着いたらすぐに研究所に行くとかですか?」
「ええ、そうなるわ。あとついでに言っておくと、研究所じゃなくてアメリカ軍の基地よ。ハワイ、ホノルル州のヒッカム基地。MSCの人間も既にそこにいるみたい」
飛鳥は適当に頷くと、再び疑問を投げかける。
「他にはどんなところが来てるんでしたっけ?」
「他は民間軍事会社の側面も持つ軍需産業の企業であるアルケインフォース社、エネルギー関連の研究で有名なエタニティよ。アメリカでアークを持っている組織は皆集まることになっているわ。エタニティはまだ来てないみたいだけど」
「なんかそうそうたるメンツっすね。こういうのって珍しいんじゃないですか?」
「そうでもないわよ。向こうはよく3社と軍で共同の軍事演習が行われたりもしているし。それでも、ここに日本が加わるのは以前にVRシミュレーターを開発した時以来かしら。そう考えると、これ程の組織が一堂に会するのは珍しいのかもしれないわね」
遥は手元にある青い光のキーボードを音もなく叩きながら、飛鳥の質問に答えていた。
アルケインフォース社はコードL、アーク・リンガーを所持している。基本は兵器を開発する企業だが、兵士の派遣など民間軍事会社としての側面も持つ特殊な企業だ。
エタニティはコードG、アーク・ガイアを所持する企業である。正式には『エタニティ企業連合』という名前で、その名の通り複数の中小エネルギー開発関連企業が一つになったものである。もとになった企業の特色を受け継ぎ、新エネルギーの開発を行っている。
VRシミュレーターが開発されたのは、今から1年半ほど前のことだ。その時は鞍馬研究所も含めて、日米のアーク関連組織が協力してVR技術の研究、そしてアークのシミュレーターの開発へと至ったのだ。
「ふぅむ。いろいろあるんすねぇ……」
「まったくアスカ君、話が大きくなったとたん自分には関係がないみたいな態度をとるのはよくないわよ? まだ高校生だとは言っても、ライセンス所有者は周りに与える影響も多いわ。近い将来、世界を視野に入れていかなければならないかもしれないわよ」
ノートPCから手を離し、少し真剣な表情を浮かべる遥。まっすぐに見据えられ、しかし飛鳥はおどけたように肩をすくめて見せた。
「それは分かってますよ、こうして海外へ行くことになってる時点で大きなことに関わっているっていう自覚はあります。けど、こんなただの移動時間ぐらいはもう少し気楽でいいじゃないですか。……というわけで少し身近なところの話をしましょうよ」
「身近なところ?」
「ええ、それです。そのカチューシャ」
飛鳥が指さしたのは、遥が飾りとして着けていた黒いカチューシャだった。まばゆい銀色の髪の中で、リボンが形作る黒い花が咲いている様は、どこか芸術的な美しさも内包していた。
「これのこと?」
指を刺されたカチューシャの、飾りのリボン部分に触れた遥がそう尋ねると、飛鳥は軽く頷いた。
「よく似合ってますよ。それ、買ったんですか?」
「買ったというか、貰ったの。今月の7日にね、誕生日プレゼントだって。……それが、どうかしたの?」
リボンを軽くつまみながら、顔をほころばせた遥はチラリと右に視線を送って、首をかしげる。
「いや、普段そういう髪飾りを着けてるのは見たことがなかったんで、珍しいなと。でも7月7日っすか。それ、学校では着けてないですよね。何故なんです?」
空港で遥に会った時、飛鳥の目が真っ先に捉えたのは彼女のこのカチューシャだった。
普段遥はこういったアクセサリーの類を一切付けないので、珍しさから見入ってしまったのだ。彼女の銀髪にはよくなじんでいるのに、学校でそれを着けているのを飛鳥は見たことがないからだ。
遥は飛鳥の質問の意図を理解したの、何度か小さく頷いた。
「やっぱり目立っちゃうから、かしら。今はこんな風にヒラヒラした服だからそんなにだけど、制服と合わせるとどうしても浮いちゃって。だから学校では着けていないの。こんな髪色だから、似合う髪飾りもあまりないし、ホントは着けていたいのだけどね」
「遥さんの髪ってすごい綺麗な銀色ですよね。ただの白とも少し違う感じがします」
「ふふ、ありがと。でも、綺麗なのはいいのだけど、これはコレで目立って仕方がないのよ。……色素異常でもないみたいだし、どうしてこんなことになっているのかしらねぇ」
苦笑気味に答えた遥は、カチューシャに触れていた指で自分の髪の毛を摘まんでくるくると弄ぶ。その様子を見ていて、飛鳥はふと疑問を浮かべた。
「そういえば、遥さんってハーフとかクォーターなんでしたっけ? その髪の色って、純粋な日本人じゃ出ないですよね」
「ええそうね。……けど、ハーフかどうかは私には分からないわ」
「分からない?」
いまいちよくわからない発言に飛鳥が首をかしげると、遥は本当に何でもないことのようにこう言った。
「ええ。父親が誰か、どんな人か、私は知らないのよ」
「え……、それは…………」
不用意に余計なところに踏み込んでしまった気がして、飛鳥は顔をしかめて口をつぐんだ。しかし、どうにも当の遥本人は気にした様子もない。
「そんな申し訳なさそうにしなくてもいいわよ、気にしてないから。物心ついたころにはもう母親と二人で暮らしていたし、私にはそれが普通だったから」
「そうだったんですか? じゃあやっぱり父親は……」
「行方不明、どころか誰かも分からいないって母は言ってたわ。それに、こんなのは後輩に言うようなことじゃないのでしょうけど…………」
遥は彼女の言う通り、少し言い辛そうに首をひねった。
「それ……。教えて、もらえますか?」
興味本位で首を突っ込んでいい話題なのかは判断しかねるが、重々しい口調の割に遥の表情に翳りはない。だから大丈夫なのだろう、と。そんな勘と興味が勝って、飛鳥は無意識のうちにそう尋ねていた。
遥は過去を懐かしむように、軽く上を見上げた。
「私の母は昔から海外旅行……というか放浪が趣味な上にすごい遊び人だったみたいで、同時に多くの人と付き合っていた時期もあったんだって。そのせいで、私を孕んだ時の相手が誰か分からないのだそうよ。国内だけじゃなくて海外にも恋人がいたとか言っていたし、そもそもどんな人種の血が流れてるのかも分からないの。母は日本人なのだけどね」
「そんなこと…………。遥さんは……それが嫌だと感じたことはないんですか?」
思い切って、かつ慎重に尋ねられた飛鳥の問いに、遥は首を横に振った。
「あの人はきっと、母親である前に女だったのよ。そして私はそんな母が嫌いじゃないの。子供のころから振りまわされてばかりだったけど、子供の私より自分勝手で適当で、でも誰よりも自由で楽しそうだったわ。あの人と一緒に暮らしていたから、私は多くのものを見れたし、聞けたし、知れた。だから特別感謝もしないけど、嫌いと言うわけでもないのよ」
「は、はぁ。……それは父親が分からないことを踏まえても、ですか?」
「ええ、そうよ。本当に良くも悪くも綺麗な人だったから、目標にはしないまでもあこがれはしていたわ。……いえ、きっと今もそうね。まぁ海外へ行ったきりどこにいるのかも連絡を寄こさないのは流石にどうかと思うのだけど」
そう言って、遥は悪戯っぽくチロリと舌を出した。空気感を考えないある種場違いな遥の行為に、飛鳥も思わず吹き出してしまう。つられた遥も笑って、二人揃って小さく肩を震わせていた。
少しして、息を整えた飛鳥がふと首をひねった。
「じゃあ、やっぱり遥さんはハーフなんですかね?」
「どうかしら。でも、たしか金髪とかって遺伝子的には劣勢だから、基本的には表には出てきづらいのよ。私の母は黒髪で純粋な東洋人だから、私にもこの髪や目の色の理由はよく分からないの」
「そんなもんなんですか……」
白よりもなお澄んで見える銀色の髪、海のそれよりも深い藍色の瞳、とても日差しの下を歩けるようには見えないほどの白い肌、とあまりにも人間離れした容姿を持つ少女。それが遥だった。
「隔世遺伝かしらね。自分のことだけどあまり興味ないのよ」
変な感性だと自分でも思うのか、遥は苦笑気味にそう付け足した。
会話が途切れたそのタイミングで、ノートPCの画面端に表示された時間をそっと確認した遥。となりで若干瞼を重そうに持ち上げている飛鳥を見て、くすっと笑った。
「さて、そろそろ眠ったほうが良いんじゃないかしら? 明日も早いのだし」
「はい、そうします。……そういや、遥さんは結局そのパソコンで何してるんすか?」
「え? ああ、これはあれよ、その……。まぁ時間があったら、観光とか遊んだりもできるかなって、いろいろ調べてるの。それだけ」
「一葉さんとっすか?」
回りくどく尋ねるには若干眠たかったため、飛鳥は直球でそう尋ねた。珍しく頬を紅潮させた遥が頷いて、照れ隠しなのかプイとそっぽを向いた。
「まぁ、ね。ほら、早く寝なさいな。私もそろそろ終わろうと思うし」
「はいはい、それじゃあ一足先にお休みなさいっす。……楽しみですか?」
「それは、ね。……はい、おやすみ」
軽い調子の飛鳥に答えると、遥は再び画面の上に視線を落した。飛鳥はそんな遥に背を向けるように身体をひねると、一葉と同じ高さになるようにリクライニングのシートを倒した。
遥が真剣に画面と向き合っている気配を背中で感じながら、飛鳥は規則的な呼吸をしている一葉に向けて囁くように小さな声で、こう言うのだ。
「……楽しみなんだってさ、一葉さん」
寝ている彼女には、そんな言葉は聞こえるわけもないだろう。
だけど飛鳥には、
「……うん」
と、小さく頷いたようにも感じられた。




