2章『閃光は海を越えて』:1
夏の真っただ中であるためか、午後の6時前であっても空はまだ明るい。田舎ならばいい加減に一番星でも見え始めるころかもしれないが、都会のど真ん中ではそれもかなわない。
そんな曖昧な空の下を結構なスピードで駆け抜けていた一台の黒い車両が、とある大きな建物の前で滑らかに停止した。
「ありがとうございました」
一言そう言った飛鳥は後部座席から、運転手のシート背面につけられたパネルにケータイを押しつける。一拍置いて、ケータイ内の電子マネーにより料金の支払いが終わったのを確認して、飛鳥はドアを開いた。
車内へなだれ込んでくる熱気を孕んだ空気に押し返されそうになったものの、気を取り直して黒いキャリーバッグを引っ掴んで車を出た。
夜にもかかわらず、壁のように身体に押し付けられた熱気だったが、どうにも中は中で冷房が利きすぎていて少し寒かったのだ。今はそのギャップが心地よかった。
ドアが自動で閉まって、すぐに走り去って行ったタクシーの運転手に軽く頭を下げつつ見送る。
夏とはいえ、そこは夜。暑いのは確かだが、この短時間で汗ばむほどの熱気ではない。かといってずっとそこにいたいようなものでもないため、さっさと目的地に向かうことにした。
手元の時計を確認するが、約束の時間にはまだ少しの余裕があった。
「よし、わざわざタクシーで来ただけあって、遅刻ってわけじゃないな。ともかく行くか」
飛鳥はくるりと振り返ると、目的地である建物へと相対する。
そこは空港だった。
2日ほど前に遥から届いた連絡によると、本日8時に国際空港に集合とのことだった。本来なら飛鳥は空港まで電車で来るつもりだったのだが、こんなときにまで持ち前の遅刻癖を見事に発揮した結果、電車に乗ってくると時間に間に合わないことが判明したのだ。
そのため多少金がかかることは承知で、タクシーに乗ってきたというわけである。彼はそこまで金銭的に厳しい生活を送っているわけではないが、いかんせん電車とタクシーでは金額差が大きい。出費が痛いなぁ、などと思いながら、飛鳥は空港の入口へと足を進めて行ったのだった。
割と最近できた空港ではあるのだが、国際空港というだけあってその規模はかなり大きい。
「えーっと、たしか3番ゲートだったっけ……? この建物、どこ行ってもおんなじ景色で場所が分かり辛いんだよなぁ」
空港の中でものの見事に迷子気味となっていた飛鳥は、空間投射ディスプレイであちこちに表示されている案内の矢印を見ながら、自身のなさそうな足取りで歩みを進めていた。
キャスター付きのキャリーバッグはあまり重さを感じないが、それでも同じ手で引きずり続けていると腕が疲れてくる。取っ手を掴む手を持ちかえながら、やはり不安そうに歩いていく。
よくあることではあるが、道が分からないと歩くスピードというのは遅くなりがちだ。実際今の飛鳥も普段の歩くスピードからは半分ぐらいの早さになっていた。その上で行き先があっているのかも曖昧という状況でもある。
もうこうなってしまうといい加減地図でも見て場所を確認してから向かった方がいいのだが、そもそも飛鳥にそういう発想はない。宙に浮かぶ矢印に振り回されながら、彼はしばらく建物内を歩き続けた。
それから数分後、きょろきょろと周りを見ながらではあったが、飛鳥はなんとか3番ゲートのある区画までたどり着くことができた。
「えーっと、ここが三番ゲートでいいんだよな。皆は……?」
「アスカくーん、こっちこっちー!」
「お、遥さん?」
ふと聞こえた声にとっさに振り向くと、そこには腕を勢いよくぶんぶんと振りまわす遥の姿があった。そのすぐ近くには隼斗と一葉の姿もある。まだ集合時間まで5分はあるが、当然のように全員揃っているようだ。
どうやら遅れそうで慌ててきた飛鳥よりも、他の皆の方が早く到着していたらしい。飛行機に遅れでもしたらあとの処理が恐ろしく大変なのだから、当然と言えば当然なのだが。
飛鳥にしてもそうなのだが、全員揃って制服ではなく私服だ。学校の活動で来ているわけではないのだから当然だが、このメンツで全員が私服というのもひどく珍しい。
遥はそもそも学園か研究所でしか合わないし、休日だろうがなんだろうが学園の敷地内にいる限りは常に制服を着ているのだそうだ。研究所は学園の地下にあるためこれも敷地内にあたる。
そもそも彼女、研究所に寝泊まりしていることが多いらしく、数週間制服と寝巻しか着ていないとかもザラだとのこと。
一葉にしてもやはり飛鳥は学園か研究所でしか合わない。以前一緒に行ったときを含め、たまにゲームセンターで出会うこともあるのだが、それも学園からの帰りによりみちというパターンなので全て制服の時だ。
そんなこんなで実は飛鳥は隼斗のは何度か見たことがあるものの、今いる女子2名の私服を見るのは初めてだった。
遥は上は白のキャミソール、下は黒いフリルスカートだった。キャミソールは内側の黒いインナーと一体になっているもので、襟元などにレースがあしらわれていて、黒いスカートの裾からは白いフリルが覗いていた。モノクロながら比較的装飾が多く、簡素ではないものの活動的にも見えた。
海外旅行ということを考えると若干飾りっ気が強すぎるようにも見えるが、足元はヒールなどではなく茶色いブーツである辺り、長時間の移動は考慮しているようだ。ブーツから出ない程度のソックスのことも加味するとどうにも露出が多いが、季節もあってか遥は寒そうにはしていない。
ただそれら以上に目を引くのが、遥が普段は付けていない黒いカチューシャだった。髪を上げるという役目は果たしていないため飾りなのだろうが、左側のリボンで形作られた花が特徴的だった。照明の光を強く反射する、透き通るような銀色の髪の中でもその存在感を示していた。
個々のパーツが強烈に目立つわけでもないのに、全体の調和として不思議とその銀髪が目立たないようになっている。特徴的な髪色もファッションの一環に組み込まれているようで、派手ではあるがコスプレじみたイロモノっぽさはない。
そんな割と目立つ格好をしている遥に対して、一葉は落ち着いたものだ。
たまご色の半そでシャツの上から黄緑の薄手のブラウスを羽織り、深い青のロングスカートを身につけていた。スカートの丈は足首まで届きそうなほどで、これも季節を考えてか薄手のものだった。
目立ったアクセサリーなどもないため飾りっ気もほぼ無いが、彩度の高い色の割に大人びた印象で、一葉のおとなしい性格がよく出ているようにも見える。その分足元の白いスニーカーが妙に目立っているが、海外旅行だと考えればこれは仕方のないことなのだろう。
傍らの隼斗は白地に水色のラインの入ったポロシャツに明るめの紺のジーンズで、それ以上に特筆することは何もない。全体的にラフにまとまっているが、これに関しては飛鳥もよく見ているためさしたる興味もなかった。
かくいう飛鳥も適当なTシャツの上から白と赤の半そでパーカーを重ね、あとはカーキ色のカーゴパンツをはいただけというかなりラフな方だ。普段から着ている私服の延長で、変な文字の書いていないものを集めただけだった。
なんにせよ一日の外出ならともかく、旅行となると着飾らないほうが妥当なのだろう。
3人のがいるのを見つけた飛鳥は、安堵の息を吐くと共にキャリーバッグを引きずって小走りでそちらへ向かう。すぐ近くまで着くと、何やら隼斗が笑みを浮かべていた。
「珍しく遅刻はしなかったみたいだね、アスカ」
「こんなときまで遅刻するかっての。飛行機乗り遅れたらしゃれじゃ済まないだろうに」
「それはそうだけど、遅刻はしかかったんじゃないか? そっちはタクシー乗り場だからね」
「ええい、無駄に察しのいい奴め! そうだよ、電車じゃ遅れるからタクシー乗ってきたんだよ」
結果として間に合ったのだから何も悪いことはないのだが、こうも的確に指摘されると悪いことをしたかのように感じてしまう。
飛鳥がふてくされたようにつま先で地面を叩いていると、傍らの遥が周りをぐるりと見渡した。
「よし、なにはともあれ全員揃ったわね」
「学生組はそうだけど、飛騨先生がいないんじゃないですか? 一緒に行くって話だったでしょう?」
「飛騨先生は全員集まった頃にこっちに来るって言っていたわ。集合時間までまだあと5分くらいあるし、時間ぎりぎりにはここに来るんじゃないかしら。虎鉄なんかは技術者側だから私たちとは別に船で行くことになっているの」
少しそわそわとしながら尋ねた一葉にそう答えた遥。
全員いるにはいるが、この場には揃っていないということらしい。飛騨も熱血教師然としているが、公私はしっかり分ける人間だ。今の状況が公に当たるのか私に当たるのかは分からないが、どちらにせよ必要以上にこの4人と関わるつもりはないらしい。早い話、学園以外ではあまり愛想がいい方ではないのだ。
さて、この待ち時間をただぼーっとしているのもつまらない話である。そんなわけで、飛鳥は時間つぶしの雑談に興じることにした。
「そういえば、一葉さんのパスポートって結局間に合ったんですか? 期間的にはどう考えても無理だったはずですけど」
「ああ、それね。まぁなんとか間に合わせたわ、いろいろ無理はしちゃったけど。……まったく、海外へ行くことは前もって伝えてあったのだから、パスポートは事前に用意しておくものじゃないのかしら?」
「ええ、そうですよね。ごめんなさいです…………」
遥に視線を向けられてかわいそうなぐらい縮こまった一葉を見かねて、飛鳥が慌てて二人の間に入る。飛鳥に罪はないが、話題を向けてしまったのは彼だ。
「ま、まぁいいじゃないっすか。一度も海外へ行った経験が無いなら、海外旅行イコールパスポートが必要って繋がらなかったという可能性も、なきにしもあらずというか」
「ないわよ」
飛鳥が言いきるか否かというタイミングで放たれた迷いのない言葉に、飛鳥は脱力して「ですよねー」などと言ってしまう。味方になったかに見せかけて一瞬で折れてしまった後輩男子を目の前に、一葉は瞳に絶望の色を湛えながら、ひたすらオロオロとしていた。
そしてこういうときに頼りになるのは、やはり隼斗だった。
「その点に関してはあらかじめパスポートが必要だと念を押せば回避できたことでもあります。用意して当たり前、とは言ってもそれは慣れている人間の考え方です。それに正確な日程が決まったのも直前だったでしょう、僕らにも責任はありますよ」
「……ま、それもそうね」
若干不服そうにしながらも、噛みつく様子は見せずにさらっと身を引いた遥。口元に若干の笑みが浮かんでいるのを見るに、怒ったふりをしてからかっていたのだろう。
ただ一葉が本気でビビるほどマジな怒りの雰囲気を纏った言葉を発する程度には、手続きや何やらで奔走する羽目になったのだろう。
飛鳥は心の中でご愁傷さまですと言いつつ、自分の黒い腕時計をちらりと見て話題を変える。
「そろそろ手続きが始まる時間か……。出発まで2時間ありますけど、それまで何するんすか? この時間に集まった以上はすぐに手続きに行くんですよね」
「ええ、そうよ。待っている間は、適当にラウンジで時間を潰せばいいんじゃないかしら。全員分のチケットはビジネスクラスで取っているから、そこも利用できるでしょうし。たかだか2時間足らずの時間を潰すのに困るようなものではないはずよ」
「ビジネスクラスですか、また偉く豪勢ですね。ファーストクラスじゃないだけ一般的か……」
「実際旅行じゃなくてビジネスだもの、多少は優遇してもらえるわ。ただ遊び気分が透けて見えたのかファーストクラスまではもらえなかったわね。全く、金ならあり余っているでしょうに」
「会長、いくら大財閥の系列でもそういう浪費をするわけにはいきませんって。別にいじわるされているわけではないでしょう」
「そんなこと言われなくても分かってるわよ。相変わらず冗談が通じないわね。……まぁ、そこがらしくていいのだけど」
最後に何やらをぼそっとつぶやいた遥は、顎に手を当てて少し俯いてしまう。ややあって顔を上げた遥は、物珍しそうに空港のあちこちに目を付けては瞳をキラキラさせている一葉を横目に見ながらつぶやいた。
「そうね……、どうせ遊び気分が入っていると思われているのなら、いっそのことそうするべきかしら」
口の中でこもったような声を聞く分に、恐らくそれはひとり言だったのだろうが、ほぼ真横にいた飛鳥にはしっかりと聞こえてしまっている。
「一葉さんとのことですか?」
「あ、あら、聞こえていたのね。……ええ、いつか何かの形でお礼をしたいとは思っていたから。……いえ、お礼というより仲直り、かしら」
「まだ二人とも気を使ってますもんね。普段通りにしようとしてるっていうか、自然に接するように心がけているというか」
一葉を研究所に引き戻したのは他でもない飛鳥だ。彼が直接頼み込んだというわけではないが、彼自身のための行為が間接的に一葉と研究所を再び結びつけたのだ。責任というほど大層なものではないが、二人の様子は普段から気に掛けてはいたのだ。
本人たちは努めて普通に接しようとしているのだろうが、意識的に見ていればその辺りの不自然さはおぼろげだが見えてくる。飛鳥としても、気にならないわけではないのだ。
予想外に図星を疲れたからか、遥は彼女らしくもなくキョトンとしていた。
「そんなこと、分かるものなのね」
「人の顔色伺うのは慣れてるんで、自慢にはなりませんけど。……俺、こう見えて空気は読める方ですよ?」
「ふふっ、それは自分でいうことじゃないわ」
あまり良い経験だったとは言えないが、こうして悩んでいる相手をむやみに傷つけずに踏み込んで行けるのだから、役には立っているのかもしれない。どちらにせよ、ヒーローを目指すとのたまうにはあまりにも情けないが。
そんな彼の葛藤を知ってか知らずか、傍らの遥はどこか楽しそうに頭をひねっていた。案外、遊びの計画でも練っているのかもしれない。
遥も変に大人びている分、子供らしくごめんなさいから即親友に、とはいかないのだろう。一葉も引っ込み思案なところもあるため、お互いうまく歩み寄れないのだ。どちらも距離を測りかねているというか。
だから、飛鳥はその力になろうと思った。
「それじゃあ、遥さんはどうするんすか? それなりにいい機会だとは思いますよ」
「ハワイは観光地だし、忙しくてもそれなりにできることもあるでしょうね。飛行機に乗っている間にでも考えておくわ」
「そっすか。……良い思い出になるといいですね」
「ええ。…………ありがとう、アスカ君」
ひどく優しい声音で、ポツリと呟かれた感謝の言葉。照れくさくて、飛鳥は聞こえないふりをしていた。
そうして視線を逸らした先から、男性が一人歩み寄ってくるのが見える。
正装のはずなのにどこか着崩した印象を与える黒のスーツを着たその男性は、星印学園の数学教師であり、今回のハワイ遠征でも監督役でもある飛騨弾一だった。
飛鳥達と違ってラフさを表に出さないからか、飛鳥はこれはビジネスなのだと思い知らされたような感覚を受けていた。
彼は特にこれと言った挨拶も無しに、すぐ近くまで来ると間髪いれずこう言う。
「全員揃ってるな。それじゃあ手続きに向かうぞ」
4人はおのおの適当に返事をして、すぐに歩きだしてしまった飛騨の跡を追うのだった。




