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アークライセンス  作者: 植伊 蒼
第2部‐暴君、出現‐
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4章『誰がための力』:1

 エンペラー暴走事件のあった翌日。

 授業も全てが終わった学校の廊下で、のそりのそりと歩く人影があった。

「ったく、いちいち気使い過ぎなんだっての……」

 そうぼやいたのは飛鳥だった。

 朝の授業前には伊達から、昼食時には美倉から顔色が悪いとのことで心配されまくったのだ。飛鳥本人としてはそこまで気にされるような状態だとは思っていなかったので、心配してくれるのは嬉しい反面対応に困ってしまったのだった。

 隼斗は何も言わなかったが、飛鳥の方を気にしているのはチラチラと視線を飛ばしてくることからも明らかだった。

 ともあれそれが放課後まで続くようなことはない。

 伊達と美倉は揃って部活に、隼斗は生徒会の活動のためにそれぞれ活動場所に行ってしまっていた。どうやら今日は生徒会の活動があるとのことで、遥も今は研究所ではなく生徒会室にいるとのことだ。

 当の飛鳥はというと、別れ際の「とりあえずお前顔洗ってこい」という伊達の言葉にしぶしぶ従う形で、トイレに行った後だった。

 ぬれた顔を袖口で拭っても、額に張り付く前髪の湿り気までは取れてくれない。それでも春の穏やかな暖かさはとうに息をひそめたこの季節、日陰にこもる熱ですら汗をかくのだからさして気になりはしなかった。

 爪でひっかくようにして前髪を弄りながら、廊下側の窓から外を眺める。

 そちらから見えるのは陸上競技用の大きなトラック。そこでは既に陸上部が活動を始めており、トラックの内側ではサッカー部が活動中だ。ちなみに、教室側の窓からは運動場が見える。曜日的には今は野球部辺りが活動しているはずである。

 ところで、星印学園は何気に敷地が広い。

 それはつまり陸上競技場と運動場とがそれぞれあることが理由の一端なのだが、そこからもうかがえる通り実はこの学校、部活動の範囲に限定されるもののスポーツが結構盛んだったりもする。

 学年定員が今のところ320人で、1期生である2年はともかく2期生である1年、つまり飛鳥の学年に関しては既に生徒数が280人程度いる。そしてこの点はやはり部活動の設備のよさに起因しているのだ。

 決して学力が低い学校ではないが、進学優先というより伊達のように体育会系の部活動を目的に受験した学生も多い。

 反面、文科系の部に所属している生徒は少ない。そもそも部の数が少ないのもあるのだが、例えば美倉の所属する文芸部なんかは部員総数が5人程度しかいない。全校でカウントしても文化系の部に所属している人数は恐らく200人といないだろう。

 それでも部室棟と銘打って、設立時点で存在している部活の数プラスアルファ程度の部屋を集めた校舎もある。

 どことなく土地や金の無駄遣いに見えなくもないが、これは実際には地下に広がる巨大な研究所をカモフラージュするため地上に大きく土地を確保しなければならなかったからだ。

 飛鳥も遥が苦笑交じりに語っていたのを話半分に聞いていた程度なのだが、どうやらやたらめったら大きな土地が欲しいとき、私立学校というのは口実として意外と便利なのだそうだ。

 ここで私立大学でなく私立高校なのは、アークのパイロットに選ばれる年代のことを考えてのことである。

 とまぁこういった裏事情を知る生徒はまずいない。つまり、知っているのは関係者というわけだ。

 そしてその関係者である飛鳥は、ぼんやりとトラックを見ながら大きく欠伸をしていた。

 傍目には寝不足にも見えるが、実際は少し違う。

 顔を洗ってすっきりしたように感じた飛鳥だったが、すぐにそれは勘違いだったことに気付いた。一分足らずの間窓のサッシにもたれかかっていただけで、取り除かれたはずの憂鬱な気分が頭の中を席巻していた。

 その憂鬱さを生むのは、昨日の夜ひたすら彼の頭に聞こえていた「役立たず」という言葉。誰に言われたわけでもないが、自分に向けた罵倒の言葉がまるで幻聴のように聞こえ続けていた。

 大きく息を吐いて、頭をブンブンと振りまわす。けれどその程度では、頭にこびりついた汚い言葉がはがれてくれはしない。

「はぁ……」

 思わずもれたため息は、飛鳥自身も驚くほどに疲れたものだった。

 飛鳥とは対照的に元気な声が響く窓の外を見る。頬を撫でる風は生温かく、清々しい気分にはなれそうもなかった。

「……今日はもう帰るか」

 いつもなら迷わず研究所に行ってシミュレーションで鍛えるなり、休憩中の遥や隼斗と駄弁って時間を潰してから帰るのだが、今はどうにもそんな気分ではない。遥とは雰囲気の悪いまま別れてしまったし、たったの一晩で気持ちを切り替えられるほど飛鳥はさばけた人間ではなかった。

 それ以前に、遥からはしばらくアークから離れるようにメールで言われてしまっていた。固執すれば、また昨日と同じような事態になると考えたからだろう。

 指先に引っ掛けるようにしていた薄っぺらい鞄を握り直し、肩に担ぐようにして窓から背を離す。

 放課後の喧騒は外にばかり集中していて、校舎の中は酷く静かで。

 気を紛らわすこともできない状況に多少の不満を感じながらも、文句を言う相手もいない飛鳥は黙って階段を目指す。

「帰って何するわけでもないけど…………。つーか、パイロットになる前って放課後何してたんだっけ」

 ひとり言を呟きながら、かつりかつりとリノリウムの廊下を歩く。

 ゆっくりとした歩みは、帰宅後待っているであろう暇な数時間に対するせめてもの抵抗だった。

 視線は下に向いたまま、ゴミ一つ落ちていない、というか遠目には汚れすら見当たらないやたらときれいな廊下を見ていると、自分があるいているのか止まっているのか分からなくなる。

 自分が今どのあたりにいるのかも曖昧な飛鳥の歩みが、校舎の中央部分にある階段に差し掛かった時だった。

「いてっ」

 鈍い音と共に、飛鳥の頭が真後ろにはじかれた。

「おっと」

 どうやら誰かとぶつかってしまったらしい。ぶつかった相手がたたらを踏んで後ろに下がるのがその足元から伺えた。

「あー、すいません」

 額を抑えた飛鳥がめまいに似た感覚に耐えながら謝罪すると、

「いえいえ、こちらも不注意でしたから」

 と丁寧な口調で返事が返ってきた。

 なんとなく自分の気の抜けた謝罪が恥ずかしくなった飛鳥が目を合わさないように軽く頭を下げつつそそくさと立ち去ろうとすると、その背後に再び声が掛けられた。

「おや、星野君じゃないですか」

 聞き覚えのある声に飛鳥が振り向くと、眼鏡をかけた端正な顔立ちの少年が柔和な笑みを浮かべてこちらに向かって手を上げていた。

「こんにちは、星野君」

「あ、九十九先輩。ども、お久しぶりっす」

 飛鳥が軽く会釈をすると、彼は満足そうにうなずいた。

 彼の名は九十九一ツクモハジメ。この学園の二年生だ。

 少し長めのまっすぐな黒髪に、目鼻立ちは整っていて、黒縁の細い眼鏡も相まって理知的な印象を与える。まっすぐな立ち姿やしわ一つない制服、人の良さそうな表情、相手を問わない柔らかな物腰、どれをとっても『模範的』を絵にしたような少年だった。

「星野君はこれから帰るのですか?」

「ええ、まぁ。特にすることもないですから」

 飛鳥と九十九は、学年が違うことを鑑みれば割と親しい間柄だったりする。それは飛鳥が入学して間もないころに校舎の中で見事に迷子になっているところを、九十九に助けられたことから始まる。その際には特に何ということもなかったのだが、それで顔と名前を覚えあった飛鳥と九十九は、会うたびに軽く挨拶する程度の仲になっていた。

 もっとも、学園内でも人望の厚い九十九にとってはそういう相手が珍しいということはない。飛鳥がその中でも特別なのは、彼が九十九の『裏の顔』を知っているからだ。

「ところで星野君、結局部活には入らなかったんでしたか?」

「えぇと、はい。特別やりたいこともなかったんで」

 これは嘘だが、相手も関係者でない限り星印学園地下研究所に関係することは基本的に他言無用だ。隠れ蓑である古代技術研究会にしても、ごまかしとしての最後の手段のような色合いもあるためこれも切羽詰まった時以外は名前を出さないことになっている。

「そうですか。けれど、この学校は部の数も多いですし、何か一つぐらいやりたいことが見つかったりはししなかったんですか?」

「一応、そうっすけど。今更スポーツを頑張る気にもならないですし」

「ふむ、確かにそうなると選択肢は限られてきますね……。それでも、文科系の部もそれなりにありますよ」

「どれも無茶苦茶地味じゃないすか。全部なんちゃって部みたいなもんでしょ」

 ぶすっとそう答える飛鳥に、九十九も流石に回答に困った様子を見せた。

「ははは……。まぁ確かに人気もなくて人も少ない分大きな活動をしているところはないですが……。そうですね、だったら自分で作ってみるとかどうでしょう? 最初は同好会になりますが」

「いや、いいっすよ。そこまでしてやりたいこともないんで。それに、時間は自分のペースで使いたいから部活はあんまりやりたくないし」

「ふむふむ、マイペースにいきたいというわけですか。それなら既にある同好会に入会してみるのも一つの手ですよ。部活でない以上は縛られることもないでしょうし、自分で立ちあげるほどの労力と責任もありません」

「同好会ってそんな選ぶほどありましたっけ?」

 部活ほど目立って活動していないうえ、活動紹介のための場も設けられない同好会はどうしても記憶に残り辛い。飛鳥が知るのはそれこそ古代技術研究会ぐらいで、これに関しては全くと言っていいほど広報活動をしていない。そのため、存在を知るのは学校の中でもごく一部の生徒だけだ。

 飛鳥が疑問に首をかしげる中、九十九は事もなげにこう言った。

「例えば、生徒会長が立ちあげた『古代技術研究会』なんてどうでしょう?」

「…………」

 出るはずがないと思っていた名前に、飛鳥が一瞬眉を寄せる。

(知られてる……?)

 飛鳥は動揺する気持ちを抑えて必死で平静を装う。しかし、そのせいで今度は九十九に返事をすることもできず、完全に無表情になってしまった。

 そんな飛鳥を見て、九十九が小さく首をかしげた、

「どうかしましたか?」

「あ……い、いや、そんなことをまで知ってるなんて、九十九先輩って結構詳しいんすね」

 慌てて取り繕う飛鳥を見て、九十九はクスリと笑った、

「それは、僕は生徒会副会長ですからね。学校のことについては一般生徒よりも詳しくて然るべきです」

「……あー、そりゃそうっすよね」

 九十九が生徒会副会長であることを、飛鳥は完全に失念していた。

 そのせいで妙な態度を見せてしまったが、一応話題を逸らせたので自分でもよしとしておくことにした。

「しかし……、確かにやるかやらないかも生徒の自主性ですし、無理に勧めるのも間違っているのでしょうか」

「えと、たぶん。あんまり気にしてくれなくていいっすよ、もし気が向いたら自分で考えて入るんで」

 さっさと話を終わらせようとする飛鳥の気持ちを知ってか知らずか、九十九は恥ずかしそうに後頭部を掻いた。

「そうですか。どうやら僕はおせっかいを焼いてしまったようですね。申し訳ない」

「や、そんな謝らんで下さい。別に悪いことしたわけじゃないんですから」

「そうですか? それは良かった。…………ではおせっかいついでにもう一つ」

「…………?」

 意味深な発言に飛鳥が怪訝な表情を浮かべていると、彼より一回り背の高い九十九は腰をかがめて飛鳥の顔を覗き込んできた。眼鏡越しに邪気のない目で見据えられ、飛鳥は一瞬たじろいだ。

「星野君、なにか悩みごとでもありませんか?」

「えっ……」

 図星をつかれた飛鳥が驚いて目を見開くと、間近に寄せられた九十九の顔が微笑みの表情を浮かべた。飛鳥は軽く頬を引きつらせながら、ひたすらぎこちない愛想笑いを浮かべる。

「…………わかります?」

「目をつぶってもわかりそうなぐらい、なんと言うか悩んでいる人の空気感で満ちていますよ」

「そんなにっすか」

「そんなにです。……どうです、暇な先輩相手にお悩み相談でもしてみますか? そうでなくても愚痴ぐらいなら聞きますよ」

 とまぁ親切心の塊のようなことを言われ、なんと答えたものやらと困った様子の飛鳥。

 しかし正直なところ他人に語って聞かせられるような内容でもないため、首を横に振った。

「いや、いいっす。自分で何とかするんで」

「いえいえ、そう遠慮せずに」

「遠慮してないですって。大丈夫ですから」

「僕のことは気にしないで、愚痴ってみましょうよ」

「や、もうほんと大丈夫っすから。それじゃ、俺はこれで」

 これ以上何かを言われる前に立ち去ってしまおうと、軽く会釈して背中を向けそそくさと立ち去ろうとした飛鳥。しかしそのカッターシャツの襟首が、強い力でむんずと掴まれた。

「おごぉっ!? な、何すんすか先輩!」

「すげぇ声上げたなアスカ、まるで喉を握りつぶされたウシガエルのようだ」

「たとえがひでぇよ!!」

 襟元で首が閉まるような形になった飛鳥が抗議の声を上げるが、九十九は大して気にした様子は無い。それどころか、がらりと口調が変わっている。さっきまでの優しげな物腰はどこへやら、その低い声は剣呑さをも孕んでおり、有無を言わさぬ力強さもあった。

 振り返った飛鳥の目に映ったのは、眼鏡をはずして胸ポケットに引っ掛けた九十九の姿。ただし、もはや別人かと思えるほどに目つきが鋭い。

 つまり、これが九十九の裏の顔だった。

「まぁ、ちょっとぐらい話して行けや。悪い様にはしねぇから」

「…………拒否権はありませんか?」

「んなもんは基本的人権の範囲外だ」

「俺にはそれ以外の権利が無いってか!?」

「ごちゃごちゃうるせぇ、ほら行くぞ」

 投げやりな対応のまま、飛鳥の襟首を引っ掴んで廊下を引きずっていく。

「あ~れ~」などというこちらも投げやりな言葉だけが、静かな放課後の廊下に響いたのだった。

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