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アークライセンス  作者: 植伊 蒼
第2部‐暴君、出現‐
43/259

4章『誰がための力』:2

「ほら、奢りだ」

「……どもっす」

「不満そうだな、いらないんだったら思いっきりシェイクしてから蓋開けてやろうか?」

「奪うよりタチの悪いことを平然と! 炭酸買ったのはそれが狙いかよ!」

 炭酸まみれの未来を想像して、本気で抗議の声を上げる飛鳥。しかし九十九は怒った後輩の顔をニヤニヤとゲスい笑みで眺めるばかりだった。

「まぁそう言うなって、テンション下がった時はシュワッと炭酸飲料を頭から被るとスッキリすると思うぞ」

「なんで飲むって方向に至らないんだよベタつくだけじゃねぇか!! だいたい、なんで一回下まで降りでジュース買ってからわざわざ屋上まで上がるんですか。どう考えても無駄でしょこれ」

「いや俺パシリはしない主義だし」

「俺の労力が減る可能性は考慮されないのか。そもそも屋上に来た理由を聞いてんすよ!」

 不満タラタラながらも、飛鳥はとりあえず渡された缶ジュースのプルタブをあける。既にシェイクされた可能性も考慮して口を九十九の方に向けながら開けてみたが、特に中身が噴き出すこともない。

「失礼な奴だな」

「先輩の普段の行いが悪いんすよ……。つーか、眼鏡外した途端キャラ変わるその仕様やめてくれません? 対応に困るんすけど」

「俺はこっちが素だよ、知ってるだろ? キャラ作るのって何かと疲れるんだよ」

 肩に手を当ててぐるりと頭を回す。肩がこったようなしぐさを見て、飛鳥が大げさにため息をついた。

「だったらやんなきゃいいのに……」

「そういうわけにもいかないんだな、これが。どうせ真似しねーだろうから言っとくけど、優等生って何かと便利なんだぜ。コストに見合ったパフォーマンスを発揮する程度には」

「そりゃ耳寄りな情報どうも。絶対やんないですけど」

「言うと思った」

 九十九はからからと笑いながらブラックの缶コーヒーの蓋をあけて柵に寄りかかり、中身を一口煽った。

 今飛鳥達がいるのは、校舎の屋上。向きとしてはグラウンド側で、今は野球部が大きな声を上げながら活動していた。

 高校生らしいというか、空に響くような元気な声が屋上まで届いていて、屋上という場所も相まってひたすらに暑い。セミの声が聞こえていないのが不思議なレベルの、10分で汗だくになるような環境だ。

 そもそもからして午後2時を少し過ぎた程度、一日の中で最も気温が高くなる時間帯なのだ。

「平和なもんだよなぁ、みんな。それがいいんだけど」

「何言ってんすか?」

「ひとり言」

「そっすか」

 今の彼らしくはない穏やかな笑みを浮かべて何事かを呟いた九十九と適当に言葉を掛け合いながら、飛鳥はしゃがみこんでいたその場所から立ち上がる。

 飛鳥は九十九に貰った缶ジュースを額に当てて、ちょうど日陰になっている入口の傍に向かった。壁に背を持たれかけるようにして、飛鳥は千切れ雲の浮かぶ青い空を見上げてみる。

 上空にはうっすらと飛行機雲が残っているのが見える。一面の青に一筋の白いラインは何の飾り気もないのにそれだけで綺麗に感じられた。

 ぼんやりと空を見上げて、そういえば昨日もこんな天気だったよなぁ、などと思ったところで思わずため息が出た。やはり一度意識したものはそうそう頭から離れてはくれない、何を考えていてもふとした拍子に頭をよぎってしまう。

「相当重症みたいだな。昼間っからたそがれてんなよ」

 暗い表情を浮かべた飛鳥の右隣に、九十九が腰掛ける。

「別にたそがれてるわけじゃ……」

「けど悩みはある、と」

 ふざけたような笑みを引っ込めて、真剣なまなざしで飛鳥を見る九十九。鋭い視線に射抜かれた飛鳥は、縮こまったのを肩をすくめてごまかした。

「悩みってほど大したものじゃないですけどね、まぁちょっと決めかねてることがあるっていうか」

「ふぅん。で、具体的に話せるような内容?」

「無理っす」

 酷い回答だが、そもそも帰ろうとした飛鳥を無理矢理ここに引っ張ってきたのは九十九の方なので、飛鳥は一切反省の色を見せない。

 さらっと答えた飛鳥に、九十九は隠す様子もなくカラカラと笑う。どうも悩んでいる人間に対する姿勢ではないが、軽く応じてくれた方が飛鳥も気が楽であった。

 ひとしきり肩を震わせた後、大きく息を吐いた。

「なるほど、意外とややこしい話題なんだな。なんだ、恋愛か?」

「半分はそれですけど、そっち系は先輩には訊きません」

「それは辛辣な上に興味深いな、なんで?」

「イケメンの言うことはアテにならないからです」

 飛鳥は不機嫌さ全開である。そしてそのイライラをぶつけられたはずの九十九はというと、どうやら彼は笑いのツボにもろに入ったらしく、ひっくり返りそうなほどげらげらと笑っている。

 眼鏡をかければ理知的、眼鏡を外せば野性的、となんだか反則的容姿の九十九。彼ほど幅が広いというわけではないが隼斗も似たようなもので、この手の手合いの恋愛指南は腹が立つだけで役には立たない。聞くだけ無駄というものである。

 しかしどうして親しい仲になる相手はこんなのばっかなんだろう、と飛鳥が人生の過ちを振り返りかけた辺りで、九十九がやっと笑いを収めた。

「まぁ、だったら抽象的でいい。要点まとめるのが面倒ならただの愚痴でも構わん。吐き出したいもんがあるなら言ってみ。返事が欲しくないなら黙っててやるし」

「…………ふぅ、わかりましたよ」

 聞く気満々というか、正直断る理由が丸ごと取り除かれてしまっては受け入れるより他にない。ここまで真面目にお節介を焼いてくる九十九も珍しく、その分譲る気が無いのが表情からもうかがえた。

「カッコ悪いんすよね、どうしようもなく」

 お言葉に甘えて、というわけではないが、話す内容は決めずに飛鳥は思いついたことを口に出した。要点をまるでまとめていないのには、少し困らせてやろうというささやかな八つ当たりも含まれている。

「身の程もわきまえないで、強くなったつもりになって……。アテにされてないのが分かったら今度はムキになって無茶して、結局危ない目にあって心配かけて……。なんつーか、ほんと自分がカッコ悪くて仕方ないんですよ」

 九十九は黙ってうなずく。

「それで叱られるのかと思えば、励まされたあげく焦っちゃダメだとか諭される始末だったんすよね。もうどうしようもなく情けないって感じで。……ちょっと他人と違うようになったからって、特別になったとか思ってたんすかね、俺は。ははっ」

 最後は気恥ずかしくなって乾いた笑いでごまかした。

 らしくないな、と飛鳥自身が思っていると、案の定九十九が冷たい視線を向けてきた。

「らしくねぇな」

 缶コーヒーを一口煽ってコンクリートの地面に置くと、九十九は空に視線を向けながらひとり言のように話し始める。

「本当にらしくない。お前の自虐は面白くない上に絵にならん。根拠のないまま自信満々にしてる方がまだお前らしいぞ」

「人をバカみたいに……、けど情けないって思うのは本当なんすよ。だから強くなりたいって思ったけど、そこを焦るなって言われてて……。俺だって、焦っても仕方ないってのは理解してますよ、そのせいで失敗したんですから。でも……」

「割り切れないのか」

 図星だった飛鳥は、顔を俯けたまま黙ってうなずく。

 その様子を見て、何か考え込む様子を見せた九十九。数秒の後、空を仰ぎながら語りだした。

「人間誰だって自分のどこかは特別だって思ってる、あるいは思いたいって考えてるもんだ。そりゃあ凡俗なのよりはちょっとぐらい特別な方がいいわな、じゃないとアイデンティティの欠片もない奴になる。それをつまらないって感じるのは、いたって正常なことだろうさ。だけど、世の中そうそう自分が突出してる根拠なんて見当たらない。ちょっと特別になったかな、とか考えて周りを見渡してみるとあっちこっちに自分の倍は尖った奴らで溢れてる」

 何が言いたいのか飛鳥にはよくわからないが、適当な言葉をぶつけたのは飛鳥も同じなので、今は黙って九十九の話に耳を傾けている。

「実際そんなもんだよな。だからこそ、自分は特別だとか思い込む。思い込まないとやってられないからだ。そして現実を思い知らされて痛い目を見る。定番だな。けどまぁ、そっからどうするかは人それぞれだ。思い知ってなお自分は特別だと思いこむか、現実を知った上で目標を立て直して努力するとか。逆に自分はその程度だと割り切るか。どれがいいと思う?」

「どれがって、う~ん…………まぁ、順当に2番目じゃないすか?」

「まぁそりゃそうだ、普通に考えたらな。でも俺は1番でもいいと思うわけだが」

「なんでっすか? ただの妄想癖にしか聞こえませんけど」

 よくわからない九十九の理論に、飛鳥は露骨に首をかしげる。飛鳥の態度を横目に見て、九十九は口の端を釣り上げた。

「まぁそうバッサリ切り捨てんなや。思いこんだからって、それが全部マイナスに働くわけでもない。そりゃあ自分は特別だから努力なんて無縁です、なんて馬鹿な結論に至る奴はダメだがな。けど特別だ、特別なはずだって、自分をそっちに近付けていける奴ならあるいはプラスに働くかもしれん。そういう奴は雑念が無いからな、がむしゃらってのは一つの力だ」

 飛鳥には、何も答えられない。何を答えればいいか分からないのは、何よりも答えを求めているのが彼自身だったからだ。

 屋上に来る前後とは違う、飛鳥の真剣な目。それを見て、九十九はニヤリと笑った。

「焦るなって言われて、焦らずのんびりなんてできるほどお前は器用じゃないもんな?」

「それは、まぁ……」

「けど、身の程を知ってなお他人の忠告を無視できるほど間抜けでもない、と?」

「そのつもりでは、ありますけど」

 曖昧に飛鳥は答える。

 ニュアンスしか伝えていないはずなのに、九十九の言葉には芯がある。論理的とも言えるだろう。

 飛鳥の抽象的な言葉をどう切り取ればここまで自信満々に話せるのか、飛鳥にはまるで想像もつかない。彼自身の自覚するところとして、飛鳥の考えの方がブレているほどだった。

「頑張らないってのは、絶対楽じゃねーもんな。特に、目標がはっきりしてるときはさ」

 片手に持った缶コーヒーを飲みほして、九十九は大きく伸びをしながらそう言った。その言葉は、まるで自分のことを語っているようにも聞こえる。

「腰据えて構えてんのが正しいとしても、それを自分が理解してるとしても、はやる気持ちがおさまるわけなんてない。どれだけ論理で意地張っても、感情はそれとぶつかりまくる」

「……自分のことみたいに言いますけど、経験談すか?」

「ちょっと前まで葛藤してた」

「は?」

「いいんだよ、俺のことは。今はもう悩んじゃいねーし」

 そう言ってはぐらかした九十九は、少し恥ずかしそうに笑って視線を逸らした。

 恐らく、互いに話していることの本質は伝わっていないのだろう。触れることのできない根幹の部分に認識の齟齬を抱えながら、曖昧な輪郭だけを曖昧なまま言葉に乗せる。

 くさい会話だ、と飛鳥は思う。

 九十九も似たように感じているのか、頭をガリガリと掻いては飛鳥の方に視線を向けないようにやっきになっているのが伺えた。

「まぁ先駆者ってほどでもないし、お前と俺じゃ状況も何も違うだろうし、説教をするつもりじゃないけどさ。とりあえず、悩むのも焦るのも別に悪くないと思うぜ。悩んでる時間もないってほど焦るのはよくないがな」

「けど、このままダラダラ引きずるのは、性に会わないんすよ」

「ま、そうだろうな。お前の場合、悩んだって結局答えは出なさそうだ」

 何故か断定的な九十九の口調に、飛鳥は訝しげな表情で首をかしげる。

 納得がいっていない様子の飛鳥を見て、九十九が小さく肩を震わせてこんなことを言った。

「だってお前、頭悪いだろ?」

「ここでそれ言いますか!? ……いや否定はしませんけど」

「だろ。まぁ分かってるならいいんだ。…………確かに、悩むのも考えるのも大事だ。一番いい選択をするためにはそれも必要だからな。でもな、本気で悩み抜くのって実は簡単じゃないんだ。そりゃ悩んでるフリは簡単さ、答えの無い堂々巡りを頭の中で回してりゃいいんだから。それだけで『自分は悩んでます。問題に真摯に向き合ってます』だなんて自分に言い訳が出来ちまう。けど本気悩むってのはそういうもんじゃない。一つの問題にぶち当たるたびに、結論が出るまで片っ端から手段を考えてシミュレーションして、ってのを永遠に繰り返さなきゃならない。答えが出ちまえば、最後に選んだもの以外はまるで無駄になるのに、だ。だから意外と皆、マジに悩むことは避けてる。悩むってのは無駄が多いし苦しいからな」

 経験談だと語っていた分、他人事のような軽い口調ながらも九十九の言葉には重みがあった。

 だから飛鳥も、本音をぶつける。

「けど、それでも悩まないわけにはいかないじゃないですか。他の人の忠告があったとして、全部それに従うなんてできないっすよ。それが正しいって分かってても」

「だったら、お前がどうしたいかだ」

 飛鳥が吐き出すようにして紡いだ言葉を、九十九はたった一言でそう断じた。

「そこまで踏まえて結論が出てないって言うなら、お前はきっと、もう充分に悩んだんだろ」

「まだ1日しか経ってないですけどね」

「期間じゃねぇよ、重要なのは」

 飛鳥の無駄口を苦笑交じりに切り捨てながら、今度はしっかり飛鳥の方に目を向けた。

「何が正しくて何が間違ってるのか、それはもうお前自身が理解してる。それでもまだ悩んでるって言うなら、理屈で説得できないぐらいお前の気持ちは強いんだろう。そいつが納得してくれるまで考え抜くっていうのは、並大抵の苦労じゃないぞ」

「だからって、考えないわけには……」

「だがお前が必要としてんのは、頑張ったって経過じゃなくて、お前の納得できる結論だろ?」

「っ…………」

 図星だったため、返答に詰まった飛鳥。そんな飛鳥の反応を見て、九十九は逆にニヤリと笑った。

「考えて、でも考え抜かずに出した結論には、いつだって感情が楔を打つ。これでよかったのかって不安が、これから動くって時に喚きだすんだ。……お前は賢い方じゃないだろ。どうせ納得できるまで悩めないなら、自分の気持ちに任せてみればいいんじゃないか? そうしておけば、たとえ正解でなくともいざって時に本気になれるはずだ」

 九十九はそれだけ言うと、一度飛鳥から視線を外した。けれど、それ以上は何も言わない。

 きっと、ここでここで決めろということなのだろう。

 そう理解した飛鳥は、炭酸の抜けてぬるくなったジュースを一気に飲み干した。空になった缶を下において、深く息を吐いた。

「中途半端に理屈に頼るな。だからアスカ、お前はどうしたい?」

 九十九のことだ、飛鳥がなんと答えるのか分かっているのだろう。その上で改めて投げかけられた問い。

「……頑張りたい」

 飛鳥は隣の九十九の方を見ることすらなく、ただ前だけを見てそう答えた。

 どうしたいかということは決まっていて、あとはどうするべきかという理屈とどちらを選ぶかでしかなかった。そして、飛鳥は自分の気持ちに従ってそう結論した。

「頑張りたいです」

 もう一度飛鳥がそう言うと、九十九は清々しい笑みを浮かべた。

「ならそうすりゃ良い」

 何のことはない、最初から決まっていたようなものだった。

 あまりにも簡単な答えに、飛鳥が脱力して息を吐いていると、いつの間にか立ちあがった九十九が飛鳥の前を横切った。そのままドアの前に向かって行く。

 その背に、飛鳥は衝動的に声をかけていた。

「九十九先輩!」

 九十九は二本の空き缶を掴んだ手を軽く振った。

「礼とか言うなよ、気持ち悪い」

「なんで先にそういうこと言っちゃうかなアンタは!? ちょっとシリアスにしようかと思ったらこれだよ! ……はぁ、そのゴミ、自分の分は自分で捨てますよ」

 今回ばかりは真面目に感謝しようと思った飛鳥だったが、九十九の酷いリアクションにその気が丸ごと失せた。こうなってしまっては素直に礼など言えるはずもなく、飛鳥は誤魔化すように九十九の手元を指さした。

 しかし、九十九は背中越しに見ているかのように首を横に振る。

「いいよ、そこまで含めて奢りだ。それに、んなことしてる暇があんなら気が変わらないうちにさっさと行動しとけ。ま、あとは自分なりに頑張れや。それじゃあな」

 そう言いながら九十九はドアノブに手を掛けて、そこでふと動きを止めた。

「あー、そうだアスカ」

「何すか?」

 振り返ることなく話す九十九に、飛鳥が首をかしげていると、

「お前、ちょっと喋りすぎだぜ?」

「――は?」

 意味不明な発言に、飛鳥が怪訝な表情を浮かべる。そんな気配を背中で感じ取ったのか、九十九が軽く肩を揺らしながらドアをくぐった。

「え、ちょっ、どういう意味……」

 思わず前に手を伸ばして呼びとめようとしたが、その時にはもう九十九の姿はそこには無かった。

 重たい音を立てて、金属製の無骨なドアが勝手に閉じた。行く当てを失った手を下ろして、飛鳥は一人でぼんやりとしていた。

「なんだったんだ?」

 尋ねてみるも、当然ながら答えはない。

 数秒考察を巡らせて、どうせわからないだろうと思ったところで考えるのをやめた。

「まぁいいや、行こう」

 九十九のアドバイスで、飛鳥は自身の答えにたどりついている。次は、それを実行するときだ。

 重いドアを押し開き、薄暗い階段に一歩踏み出す。

 温度差の影響か、冷たい感覚に飛鳥は身体を震わせる。そこでようやく、自分の背中を濡らしているのが冷や汗であることに彼は気付いた。

 もっとも、それが何故かはわからなかったが。

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