2章『交わる時』:4
いろいろと事情はあったのだろうが、ともかく腰を落ち着けて話したいとのことで、飛鳥達は発端である愛と共に視聴覚室にいた。理由は単純、愛が見せたい映像があるからとのことだった。
ということだったのだが、視聴覚室に着いてすぐパソコンを要求してきた愛はこう語った。
「クラッキングがしたい」
「なんでだよ!?」
いきなりやって来た人物が「ちょっとクラッキングしたいからパソコン貸して」などと言い出したのだ、飛鳥の叫びももっともだろう。ただ、言われた側の愛は相変わらずキョトンとした表情で飛鳥の顔をぼんやりと眺めている。
「ノートパソコンでいい? あまりいい性能のものではないけど」
「ちょ、なんで事情も聞かずに出してんすか!」
「事情は今から聞くわ」
「順序がおかしい!」
当然遥は愛と面識があるようで、愛の突拍子もない言動にも動じていない様子だ。
遥は恐らくプロジェクターないしスクリーンと接続する用のパソコンを棚から取り出して愛の前に置いた。
視聴覚室は階段状になった部屋に半円型の大きなテーブルが複数設置された部屋だ。前方には普通のスクリーンと共に、大型の空間投射ディスプレイが設置されている。ノートパソコンとの接続は有線のようで、下から3段目の位置の愛がいるテーブルのところまで、長いケーブルが伸ばされていた。
愛は飛鳥達のやり取りには目もくれず、最初の遥の質問に答える。
「そんなに性能はいらない。下準備は済ませてる」
そう言いながら、愛は羽織ったクリーム色のパーカーのポケットから小型のチップを取り出すと、ノートパソコン横のスロットに挿入した。
画面に音もなくウィンドウが現れると、その内側にファイルの実行ボタンが現れる。どうやらチップには単一のファイルしか入っていないようで、実行ボタン以外にはセキュリティスキャンしか現れなかった。
愛は無言で実行ボタンに視線を向ける。
目線を読み取りマウスクリックの代わりにする機能は、パソコンにはずいぶん前から実装されている。いまどき設置型ディスプレイにさえカメラが付いている方が普通なので、ほぼ全ての市販OSの基本システムとなっているのだ。当然このノートパソコンにもカメラはついている。とはいえ目線をうまく固定できない人などからすると使い辛いのは確かなので、マウスやらタッチセンサー等複数の機能が併用されているのだが。
実行ボタンがポンという音と共に一瞬自己主張をすると、掻き消えるようにフェードアウトした。
入れ替わるように現われたのは、白い英数字が踊る真っ黒なウィンドウ。愛はそれを確認すると、素早くキーボードを叩き始めた。
「な、なぁきさら……じゃない、愛。お前クラッキングって何するつもりなんだ?」
「いろいろ。大丈夫、悪いことじゃない」
「ならハッキングって言ってくれ……」
淡々と嘘をつく愛に、飛鳥が言いようのない疲れを感じてガックリと肩を落とす。そんな飛鳥を横目に見ながら遥が愛に歩み寄った。さっきのは飛鳥をからかうつもりだったのか、今は一転して真面目な表情だ。
「それで、そろそろ要件を聞いていいかしら? 悪いことはしないだろうとは思っているけど、一応ね」
「一緒に、見てもらいたいものがある。特ダネ、持ってきた」
愛は画面から目を話さずそう答えた。
「特ダネ?」
「ついさっき情報が入ってきた。鞍馬で確認してる、確度は保証できる」
「内容は?」
「神原財団。コードEの適合者を見つけたって」
「なんですって!?」
相変わらずキーボードを連打しながら放たれた愛の言葉に、遥は取り乱してそう叫んだ。しかしすぐにかぶりを振ると、努めて落ち着いた様子で話を続けた。
「それは、いつの話?」
「ついさっき、研究所のモノ好きが拾ってきた。今は起動実験をしてるはず」
「早いわね……。ところで、クラッキングはどういう手順? できれば足跡を残してほしくはないのだけど」
「発信元は詐称してる。……囮の破壊性ウィルスデータを送りこんでる。あとで手薄になったセキュリティーを利用して埋め込んだバックドアから、情報をもらうだけ。プログラムの埋め込みは、鞍馬で済ませてる」
「ターゲットは?」
「現場にいる民間人のハンディカム。相手は、GPSで確認してる。神原のカメラは無理。セキュリティが強い」
何やら専門的な話になってしまった。なんとなく雰囲気は伝わってくるあたり、かなり要点を抑えて話しているのだろうが、こういった方面に心得のない飛鳥にはもはや異国の言葉だ。
「まぁ妥当なところかしら……」とかなんとか言って黙り込んだ遥の背中に目を向けるが、彼女が飛鳥に気付いたような様子はない。というか完全に思考の世界に入ってしまっているので、おそらく話しかけても反応を返されないだろう。
ただ、自称しているわけではないが割と常識人の飛鳥にとっては、目の前で『クラッキング』やら『ウィルス』やらを連呼されているのは居心地が悪い。どうにも見て見ぬふりをしきれなくなったらしく、飛鳥は返事をしてくれそうだと一縷の望みをかけて愛の背中に声をかけた。
「なぁ、愛。当たり前のようにクラッキングとかしてるけど、それ大丈夫なのか? えと、普通に法律的に」
「アウト」
さらっと答える愛。おいおい、と飛鳥は思わず頭を抱えたが、彼女は無表情のままこう続けた。
「だけど、特に迷惑はかけない。撮影してる映像、横からのぞかせてもらうだけ。それ以外は何もしないし、終わったらバックドアも消す。ネットは少し重くなるけど、どうせただのカメラ。あんまり迷惑にはならない」
「う、うぅ~ん……」
なんと言うか、バレなきゃ何やってもいいや理論に通ずるものを感じた飛鳥。確かに理屈としては間違っていないものの、なんとなく釈然としない。しかし、ここで倫理を説いても間違いなく何の生産性もないため、仕方ないかと飛鳥は諦めた。
ただ一応聞いておきたいことはあったので、何の気なしに声をかけた。
「愛ってそういうの得意なのか? その、ハッキングとか」
クラッキングでは問答無用にアウトなので、専門的にはセーフなハッキングという言葉を使っておいた飛鳥。多少根のチキンさがにじみ出ているが、愛は特に言及しない。
「得意、ではない。鞍馬に詳しい人がいて、少しかじった程度。今は借り物のショートカットのセットを、回してるだけ。手順を覚えたら、意外と簡単」
「ふぅん……。ところでさ、神原財団って……」
「ごめん。少し集中する」
「おっと、悪い」
飛鳥もしつこく話しかけたが、愛にたしなめられると特に引き下がらず一歩引き下がった。
とはいえ疑問は消えていないので、飛鳥の横で黙って様子を見守っていた隼斗の方を振り返る。目が合うと言いたいことが伝わったのか、隼斗は小さく頷くと、
「神原財団って言うのは、創始円教団って宗教法人を母体にした財団のことだよ。創始円教団自体は以前の経済危機の時に活躍した組織なんだけど、そっちは知ってるよね?」
「まぁ、ニュースで見た程度なら」
質問したいと思っていたことにピンポイントで解説が返ってきた。こういう以心伝心な感じが、飛鳥が隼斗を親友だと思っている理由でもあったりする。
隼斗は十分だというように頷くと、片手をヒラヒラと振りながら話を続ける。
「神原はアークの研究もしていてね、持っているのがコードE『アーク・エンペラー』なんだ。詳細は僕も知らないけど、適合者がいなくて今日まで一度も起動したことが無いって話だよ。……あぁ、如月さんが持ってきた情報が本当なら、今日が初起動になるのかな」
「なるほど。けどさ、適合者がいないのに研究って成り立つのか? ほとんど何のデータも取れないと思うんだが。……いや、俺がアストラルのパイロットになる前から結構研究は進んでたみたいだし、データ取ること自体はできるのか」
疑問の途中でそう否定した飛鳥だったが、隼斗は逆に首を横に振った。
「アストラルが正式起動前からデータを持っていたのは、会長がダミーライセンスで起動させていたからなんだよ。そうじゃなかったらそれこそほとんど何のデータも取れなかったと思う。大まかな機能関連と表層システムぐらいじゃないかな」
「あ、そういやそうか」
ダミーライセンスとは、アークのライセンス認証を偽証する生体埋め込み式のナノデバイスだ。要するにこれを使えば誰でもアークに乗れるというものなのだが、どういうわけか遥にしか使えない特殊なアイテムでもあった。
ベストな状態ではないにしろ一応の起動は可能なので、飛鳥がパイロットになるまではどうやらそれを使って参考程度のデータを収集していたらしい。
しかし、だとすれば一つ疑問が生まれる。
「それじゃあ、その神原財団が研究を進められてるのって……」
「まぁ順当な手段じゃないよね。確証のある情報じゃないけど、どうにもまともに調べずにアークのハードやらソフトやらに手を出しているって話だ」
「マジで? で、でも、アークって人の意識に作用するシステム多かったよな。分からないまま弄るって、それ……」
数十分前に隼斗が『精神最適化システムの評価シート』なるものをまとめていたのだ。そのことからも窺える通り、アークのシステム系、特に精神や脳関連は非常にデリケートなのだ。
緊張感を孕んだ飛鳥の言葉の途中で、隼斗は首肯して話を引き継いだ。
「まずいだろうね。たぶん如月さんがわざわざここに来たのも、その辺りが関係していると思うんだ」
「会長が驚いてたのもそういうことか……」
「繋がった」
飛鳥が呟いたところで、ノートパソコンのキーを叩いていた愛が突然声を上げた。
なんだなんだと飛鳥がそちらを振り向くと、愛が机の上に伸びていたケーブルをノートパソコンに突き刺すところだった。
ブゥン、という虫の羽音のような耳障りな音が鳴り、前方の空間にウィンドウが現れる。数秒後、空間投射ディスプレイに映像が映り込む。
「これ」
映し出されたのは、紺青の巨人がその二本の足で、今まさに大地に立ちあがろうとする光景だった。




