2章『真実を求めて』:1
学園の終業式があった翌日も、飛鳥は変わらず研究所へと行っていた。
長期休みに研究所へ行くのは夏休み以来だが、朝のうちから研究をすること自体は休日に毎週のようにやっていることなので、さして珍しいものではない。
いつものように同好会室のエレベーターを利用するのではなく、東洞系列のオフィスビルから、テレポーターを使用して研究所へ向かうのである。
同好会室へ行く場合は一度学園へと行くことになるので、休日だろうと長期休みだろうと基本的には制服でなければならないのだが、そうでない場合、飛鳥は大抵私服である。
昨日から今日にかけて寒冷前線が通過したとかで、一晩明ければ随分気温が下がっていた。雪が降っていたなどという事はないものの、寒さからか街並みもどこか白みがかって見えていた。
今年に入って初めて厚手のコートを引っ張り出したのも、その寒さによるものだ。そしてそれを纏ってなお、飛鳥が十分な寒さを感じるほどに気温は低い。
前日までは例年と比較してもかなり暖かかったので、その差はかなり堪えた。たとえば目覚まし時計に叩き起こされた彼の朝が、どういうわけかセルフ簀巻き状態から始まったぐらいには寒かったのだ。
ちなみに地球温暖化というものは、単に年間を通して気温が高くなるというだけでなく、寒い時は極端に寒くなるのもその影響なのだという説もある。
なんにせよ、これが大量の化石燃料を文明の原動力としていた時代が、今も続いていることの弊害だというのなら、アーク技術の発展はそれを解消する一助となるかもしれない。
そう考えてみると、こうして寒い中研究所へ向かうことにも、大きな意味があるように思えてくるのだ。それもまた、ある意味でいつものように。
この冬はどこかしらで雪の一つでも降りそうだなと、飛鳥はオフィスビルのガラスに映った曇天を見上げ思う。
せっかくなら積もってくれればいいななどと子供のような事を考えながら、彼はオフィスビルの自動ドアを潜り抜けた。
指先がひりつくほどの寒さも、建物に入ってしまえばまるでどこか遠い場所のように思える。
テレポーターで地下の研究所に辿り着けば、いよいよコートどころかその下に来ていた上着もいらないほどだった。
研究所のある地中深くは地上ほど温度変化が大きくないのか、あるいは十分に空調を利かせているからか、着込まずとも快適に過ごせる環境は整えられていた。
歩きながら羽織っていたコートと上着を順に脱いで、いくらか身軽になった身体で研究所を闊歩する。
周囲を見渡す限り、いつもよりいくらか研究員たちが慌ただしげにしている。年末特有のせわしない空気とも取れるが、果たして研究員たちは師に該当するのだろうか。
忙しいなりにもすれ違う研究員の大半は飛鳥を見かけると会釈をしてくる。これは礼儀云々というより、それだけ飛鳥達ライセンス所有者がアーク研究において重要だということだ。
文化祭からテスト期間と、飛鳥達がしばらく研究に集中できない期間が続いた分、遅れを取り返すべく走りまわっているのだろう。
研究所全体のせわしなさの原因は恐らくはそれと、あとは隼斗がなにやら言っていた欧州の研究機関との交流に絡んだ事だろうというのは予想できた。
「ま、確認した方が早いか」
頭の体操もほどほどに、飛鳥は例の如く休憩室へと真っ直ぐ向かった。
隔てるドアをノックもせずに開けば、いつも通りの顔ぶれがそこにはそろっている。
ただいつも通りというのは、学校でのいつも通りというもので、遥と一葉の姿はそこにはなかった。
「おはよーっす」
こちらも例の如く軽い調子の挨拶。ソファに座って各々のんびりとしていた隼斗と泉美の視線が、一斉に飛鳥へと集まった。
「おはよう、アスカ」
ひょいと手を上げてそう言う隼斗に、飛鳥も軽く手を上げて返した。
休憩室は人口密度が高いからか、部屋の外よりもいくらか温度か湿度が高いように感じる。不快ではない程度だが、コートはともかく上着も要り用になる事はなさそうだった。
「遅かったじゃない。もっと早く来ると思ってた」
畳んだコートと上着をわきに置きながらソファに腰掛けた飛鳥。ちょうどその隣に居た泉美そう言った。
「遅いも何も、午前中ってだけで特に時間決めてなかっただろ」
「別に遅刻とかの話じゃないわよ」
「……それもそうか」
自意識過剰気味になっているのかもしれない、と飛鳥は反省する。
文化祭前辺りから遅刻癖がクラス、というか友達の間にネタにされまくったせいでアレルギーを起こしていたようだ。
飛鳥は被りを振ると、小さく伸びをしながら言った。
「久々の長期休みだから気が抜けてたんだよ。二度寝寸前でなんとか飛び起きたけど、まぁこんな時間だ」
昨日隼斗からの連絡で、午前に集まるようにとの指示を受けていた。しかし午前は午前だが、そろそろ12時になろうかという時間である。
飛鳥は取り繕うような事は言わなかったが、彼の妙に他人事のような口ぶりに、泉美は呆れた様子で息を吐いた。苦笑気味の隼斗と目が合うと、飛鳥は不服そうに唇を尖らせる。
彼は向かいのソファで肩をすくめる隼斗にこう尋ねた。
「遥さんと一葉さんは?」
「二人なら今は、研究員たちと話をしに行っているよ。たしか全機体に多少の改修を行うらしいからね。みんなが忙しそうにしてるのは見ただろう?」
「そういや、久しぶりにかなり慌ただしい感じだったな」
「アストラルもいくらか手を加えるはずだけど、飛鳥は何も聞いてないのかい?」
そんな事はないはずだが、と言外に告げる隼斗の言葉を、飛鳥は迷わず首肯した。
「聞いてるよ。ただいつやるってトコまでは聞いてなかったからさ。今日だったんだな、詰め込み過ぎじゃないか? その感じだとホライゾンも何かやってるんだろ」
「ホライゾンはあんまり大した修正はしてないわよ。せいぜいアストラルの技術をフィードバックしてエネルギー系の伝達効率改善とか、キャパシタを高容量の物に換装したりとか、それぐらい。メインはアストラルなんじゃない?」
「あれ、そうなのか。でもそれにしては慌ただし過ぎる気がするけど、気のせいか」
泉美がケータイを弄りながら応えるのに、飛鳥は若干しっくりこないといった様子ながら曖昧に頷いた。
「気のせいじゃないとは思うけどね」
「どういうことだ?」
小さく呟いた隼斗は、首を傾げる飛鳥に向けて補足した。
「昨日確か言ったけど、欧州の研究機関と最近交流が活発だから、色々と新しい情報が入ってくるのさ。ウチでは推進装置関係は今のところあまり手を出していないんだけど、欧州の研究機関ではその分野の開発も結構進んでいるんだ。向こうは航空機の開発をしている企業も研究に携わっているからね。まぁ、それは東洞もなんだけど」
「ってことは、研究員の人達が忙しそうにしてるのは、その関係で何か新しい物を作ってるってことか?」
「大体はそんな感じかな。また新しく研究チームが結成されたりとかで多少人の入れ替わりもあるのと、機体の改修ついでに調べられるだけ調べるように、ってなっているみたいだから、今は急ぎ気味なんだろう」
「新しい研究チームって、じゃあここの研究員さん増えたのか? なにげに人数凄いことになってそうだな」
感心した様子でそう言う飛鳥だったが、隼斗は首を横に振った。
「いや、そういうわけじゃないんだ。研究所全体の研究員は同じで、その中でチームを組み直したんだ。プロジェクトって言った方が正しいかな。まぁ簡単に言えば、他の事を研究していた人達の一部が、新たに推進系の研究を始めたってことだよ」
「そういうことか、なるほど。じゃあ研究所自体の人の入れ替わりとかは無いのか」
「ごくたまにあるけどね。まぁそもそもんなに人数も多くないし、情報の機密度も高いから入れ替わりの頻度はそう多くないよ。この地下研究所ができる前から、東洞のアーク研究は少数精鋭だからね。少数というには、少し多いかもしれないけど」
どこか誇らしげな態度で答える隼斗。
ライセンス所有者の中では一番の古株である彼は、飛鳥達よりもこの研究所に対する思い入れは強いのかもしれない。
その時、音を立てて部屋に一つしかないドアが開いた。
「あらアスカ君、来ていたのね」
ちょうど会話が途切れたタイミングで、先ほど飛鳥が入って来たドアから、遥と一葉が並んで入室してくる。
飛鳥はソファの上で振り返ると、背もたれに腕を乗せたまま軽く会釈をした。
「こんちわっす。さっき来たとこですけどね」
相変わらずな飛鳥の言葉に苦笑しながら、遥は部屋の奥にあるデスクへと歩いていく。
その後ろに続く形で並んで入ってきていた一葉は、飛鳥の対面、隼斗の隣に腰かけた。
顔を上げた一葉は飛鳥の顔をチラリと伺うと、手に持っていた書類をおもむろに彼の方へと差し出した。
「アスカくん。アストラルの強化計画については覚えていますよね?」
「ええ、覚えてますよ」
書類を受け取りながら、飛鳥は頷く。
ちなみにこうして書類でのやり取りを行うのは、この研究所の中でもごく少数だ。
研究所内において、情報は基本的に電子化されたデータで扱われる。印刷物はそもそも物体であるため嵩張る上、規模が規模だけに紙やインクにかかる費用も馬鹿にはならない。
それに加えて電子データならコピーされた履歴も残せるため、それと比べると取り扱いの痕跡が残り辛いのだ。セキュリティ面からも基本的には電子データでの利用が推奨されている。休憩室に置かれているテーブルにもガラス内に映像を表示する機能が組み込まれているのは、そう言った理由からだ。
とはいえ強制ではない辺りが、この研究所の特徴でもあるのだが。
遥はアメリカの大学で研究をしていた時の名残で、研究の進捗確認程度なら紙媒体で行なうことが多い。
アメリカの学校は日本よりも電子化の利用は進んでいるのだが、教授と呼ばれる人間の大半は慣れから紙媒体を選ぶ者が多いのだ。そのためそこで研究を行う学生も、必然的にレポートなどの扱いは紙媒体を利用する事になる。遥もそれだった。
アメリカと比較しても、日本の教育機関はあまり電子データの利用に積極的ではない。そのこともあって、一葉も自身の慣れの問題から紙媒体を利用する事が多いわけだ。
そういった事情は特に気にせず、飛鳥はペラペラと束ねられた書類をめくる。
「むぅ…………」
なにやら真面目な表情を浮かべているが、こういう時の彼は基本的に何も考えていない。眉間にしわが寄っているのは、難しい考えが頭をめぐっているからではなく、文章を作る随所の単語の意味がよく分からないからだ。
一葉も最初から分かっていたのか、しかめっ面の飛鳥に対してこう言った。
「書いてあるのは、件の強化計画の内容についてですよ。今回も引き続きシステム面が中心になりますね」
「みたいっすね。あんまり機体そのものは弄らないんですか?」
「アストラルに関しては特にその必要が無いんでしょう。機体の改修それ自体は、そもそもここの研究目的とも合致しませんしね」
「確かに、それもそうっすね」
アストラルに関してはこれまで細かく調整を加えられていたが、戦闘面での目立った変更点と言えばフォトンライフルのヒートモードがオミットされ、代わりにフルロードモードが追加された事。そしてハンドストライクの追加、クロッククラッカの搭載と、あとはシステム面の調整ばかりだ。
既存の物に手を加えるというのが主で、新しく武器が開発されたりということもほとんどなかった。ハンドストライクは新しい武器ともいえるが、これはアーク波の性質を解明し利用法を確立するためのプロジェクトの一環として開発されたものだった。
制御システムの一つであるオーバークロックも、アークの制御系の特徴である「機械の側から人間の脳に干渉する」仕組みを応用し、人間の認識を拡張するシステムの実用例として作られたものなのだ。
かろうじてフォトンライフルの変更部分は戦闘向きの変更と取れるが、こちらにしても重光子制御技術の一つとして試作されたものに過ぎない。
要するに、純粋な戦闘目的での開発はほぼ行われていないということだ。
その割には飛鳥の戦闘経験はかなりの物になっているわけだが、こればかりは単に時の巡り合わせでしかない。
「でも今回は割と戦闘向けな感じじゃないですか? まぁ相変わらずシステム関係ですけど」
「そうですね。変更というよりは追加ですが、扱い辛かったオーバークロック関連に調整を加える計画ですよ。以前にも説明した通り、近接格闘戦に特化した『ソードブレイブ』、機動射撃戦に特化した『ガンサバイブ』のシステムを追加したいとのことです。アスカくんの許可が必要なのですが、いいですか?」
「俺は全然構いませんよ。ってことは、また調整を手伝いに行けばいいんですよね」
「ええ、そうなります。よろしくお願いしますね」
「はい、わかりました」
実はこれは事前に聞いていた話なので、飛鳥はあまり考え込まずに了承した。
積極的に研究に関わっていける頭が無い分、彼は多少の負担は渋らず受け入れようと考えているのだ。
そうして飛鳥が受け取った書類を一葉に返したとき、部屋のドアが音を立てて開いた。
「おっと。皆集まっているようだね」
そう口にしたのはこの研究所の所長である、御影五郎だった。




