1章『時期外れのクリスマス』:5
飛鳥達が店から出たのは、午後4時を過ぎた頃だった。
駅前のアーケード、その半透明な屋根から差し込む光も、夕刻を示す朱の色に染まっている。
日が落ちるのが早くなった。数か月前に感じたことを、飛鳥はもう一度感じていた。
「うわ、思ったより長居しちゃったかなこれ」
時計は見ずに、差し込む光の色で今の時刻をぼんやりと判断した泉美は、やや驚いた様子でそう言った。
「まだ4時回ったところだぞ。せいぜい2時間ぐらいじゃないか?」
ポケットから引き出したケータイで、チラリと時間を確認した飛鳥が答える。
「あれ、そうなんだ。でも2時間って結構長いような気がするんだけど」
「普通にやってたらそれぐらい経つよ。まぁ、意外とゲーム自体をやってない時間の方が長かったりするんだけど」
人気の筺体にはそれだけ人が集まるのだから、並んで待つ時間なども当然生まれる。1回当たりの待ち時間など高が知れているが、複数回重ねればそれだけで合計半時間程度にはなるのだ。
ちなみに格闘ゲームに関してだが、「すごいめんどくさい」と言って1プレイ目で泉美は早々に匙を投げてしまった。どうやらすこぶる面倒なコマンドを入力しないと技の一つも出ないという不条理を、そういうものなのだと納得できなかったらしい。
結局、その後はありきたりなリズムゲームを気のすむまでプレイしたという形になる。
ちょうど伊達が帰ったころから、だんだんと店の客が増え始めたのだ。
最初こそ連続プレイをしても周りに迷惑など掛からなかったのだが、それがだんだんと一人待ち、二人待ちとなって、前に3人が並ぶぐらいになったタイミングで見切りをつけて退店したという次第である。
「あー、なんかちょっと耳が聞こえづらい……」
耳を押さえたり離したりを繰り返しながら、泉美が顔をしかめてそう言った。
「あぁ、うるっさいからなぁ。慣れだよ慣れ」
ゲームセンターというのはどこも、ひしめき合う大量の筺体がまき散らす音楽で埋め尽くされているものだ。
飛鳥の語る通りに慣れてしまえば気にならなくはなるのだが、おそらく始めて来ただろう泉美には少し堪えたようだった。
しばらく耳をパタパタやっていた泉美は、いくらかマシになったのを感じて手を下ろす。
「あんた、ああいうトコよく行くの?」
「前はよく行ってたかな。中学の時もそうだったし、高校入ってすぐも結構行ってたよ。でも研究に関わるようになってからはかなり減った。あんまり時間無いからな。まぁ、自分でやってることなんだけど」
アーク研究だからといって、実は強制されて参加しているということはほとんど無い。結局、飛鳥が居たほうが研究はしやすいだろうが、最悪居なくてもやりようがあるという場合が多いのだ。
とはいってもコード取得のペースが早いこともあって、飛鳥の協力が必要な状況も増えているのだが。
「ふぅん……」
飛鳥自身のモチベーションの高さを感じたのだろう。もともとは飛鳥がアークに関わる事に否定的だった泉美は、そんな微妙な声を上げた。
隣で見ていた飛鳥もそれには気付いたが、今更言えることなどなく、そっと溜息をついただけだった。
会話が途切れたことに手持無沙汰を感じた飛鳥は、なんとなくポケットからケータイを引っ張り出す。そうしたのはいいものの続く行動も無くて、ただ時間を確認しただけだった。
日が落ちるのも随分早くなったものだ。
アーケードの屋根越しに見る空は朱色をしているが、夕食時というには些か早すぎる。
昼食を抜いたせいでかなりの空腹だが、完全に時分を外しているのが飛鳥には如何ともしがたかった。この時間に夕食を取っても、寝る前に空腹を感じる展開がありありと目に浮かぶのだ。
「どしたの?」
さてどうしたものか、と考え込んでいると、泉美が不思議そうな表情で飛鳥の顔を覗きこんできた。
上を見上げたままぼんやりとしていたのに気付いて、飛鳥は恥ずかしそうに被りを振る。
「いや昼食って無くてさ、腹減ったんだけど晩飯どうするかなって。まだちょっと早いからなぁ」
「あんたお昼食べてなかったの?」
「伊達と帰りにゲーセン寄って、んでそのまま。ちょっとだけで済ませて昼飯食うつもりだったんだけど、まぁ……負け越したのが釈然としないから再戦繰り返してたら、いつのまにかお前が来た時間になってたんだよ」
「なによそれ」
なんと間抜けな、と口には出さなかったがそう言いたげに、泉美はくすくすと肩を震わせた。
笑った拍子に泉美が足を止めたのに合わせて、飛鳥も立ち止まる。
少し考えるそぶりを見せた後、彼はこう言った。
「半端に時間もあるし、俺はちょっと買い物しに行くよ。最近ずっと外食で済ませてたし、たまには自炊もしないと」
「あ、そうなの?……うーん、じゃああたしもついて行こうかな。どうせ帰ってもすることないしね」
「じゃあ、そうするか」
目的地であるスーパーマーケットは、飛鳥達の住むアパートから商店街を挟んで反対側にある。自宅の方に向けてのんびりと進めていた足を反転させて、今度は飛鳥が一歩前を行く形で歩き始める。
「あんた、自炊とかするの?」
「たまにはな。つっても、そこらのファミレスのほうがまともなモノ食えるってレベルだけどさ」
後ろに続く泉美が尋ねると、飛鳥は軽い調子でそう返した。
「じゃあ、買い物も?」
「そりゃあ、自分で用意しなきゃ飯は作れないからな……。確かに、それが面倒で外食で済ませることが多いってのもあるんだけどさ」
言葉通り些か面倒臭さは感じるが、面倒だと言って帰宅したところで自宅の冷蔵庫はすっからかんのままだ。いくら面倒くさくても、製氷機にこびりついた霜をおかずにご飯を食べるというアクロバティックなことはしたくなかった。
スーパーでの買い物途中で、試食コーナーに心を折られるビジョンが一瞬飛鳥の脳裏をよぎるが、これはさすがに杞憂だろうと割り切った。
微妙に重い足取りながら、元居たゲームセンターを超えて反対側の出口に向かう。
「ん?」
ちょうど駅を過ぎたところで、飛鳥は見知った姿に目を止めた。
片手に小さめの買い物袋を提げた小柄な姿は、一目でそれが愛だと分かるものだ。
遠くの方に見えていた愛は、どうやら飛鳥達には気付いていないようで、どこか疲れのようなものが伺える足取りでのんびりと歩いていた。
俯き加減の愛に対してあと数歩というところで、飛鳥は足を止めてひょいと手を上げる。
「よう、愛」
声が聞こえたのか、あるいは立ち止まった飛鳥の足が視界に映ったのか、愛はゆっくり顔を上げた。まどろんでいるようにも見える視線が、飛鳥へと向けられる。
「……アスカ?」
小首を傾げる仕草は彼女らしくもあったが、同時に微かな違和感もあった。
「久しぶりだな、愛。最近はこっちに顔出してなかったけど、元気にしてたか?」
「うん、久しぶり。……元気は、元気」
「……そっか、それなら良かった」
独特のワンテンポ遅れた応対は健在だと思うと同時、久しぶりなものだから間の取り方を忘れているなと感じる飛鳥。
眉を寄せてこめかみを爪指先で掻いていると、後ろに居た泉美が彼の肩をトントンと叩いた。
「ねぇアスカ、その子は?」
「うん? ああ、そういやお前は会うの始めてだったか。えっと……」
振り返った飛鳥はそこで短く周囲を見渡してから、一つ頷いて続ける。
「この子も俺達と同じだよ。鞍馬脳科学研究所って所が持ってる機体のな」
「鞍馬……。ああ、じゃあその子がコードIなのね」
「…………」
視線を向けられた愛は少し戸惑った様子を見せながらも、微かに頷いた。
泉美は愛本人とは面識がなかったが、日本におけるアークの所在については調べていたのだろう。どこか値踏みするような視線を愛に向けていた。
「……泉美?」
不審がる飛鳥に呼ばれ、泉美は苦笑気味に被りを振った。
「ごめんなさい。イメージしてたのと随分違ったから。この子、私たちより年下よね?」
「ああ。今中3だから、俺達より一つ下だよ」
「そう」
泉美は頷くと、小柄な愛と目線を合わせるように腰をかがめた。
「あたしは本郷泉美。あなた、名前は?」
「コードHの……」
泉美がなんとなく作り物っぽい笑顔で尋ねるが、愛はスッと目を細めると、二人の間に立っていた飛鳥の影に身体を隠すようにして答えた。
「……如月、愛」
「そっか。愛、よろしくね」
そう言ってにこやかに交流を求める泉美だったが、愛は変わらず飛鳥の後ろから警戒心の伺える視線を送るばかりだった。
若干避けられ気味なのは泉美も感じているのか、愛がリアクションを返さないのを見て取ると、おもむろに屈めていた腰を伸ばす。
一部始終を見届けていた飛鳥は、ジト目でぼそっと呟いた。
「……お前なに微妙にキャラ作ってんだ?」
「別にそういうつもりじゃないんだけど」
いきなり失礼なことを言ってのける飛鳥に、泉美は不満げにそう返す。
腰に手を当てて短く息を吐くと、人のいいお姉さんキャラからいつもの気の強い泉美の姿に戻っていた。
「そういえば、会うの初めてなのよね……」
「なんだ、今更?」
「ちょっと気になったから。鞍馬って、東洞と研究の協力はしてないの?」
泉美が日本に来てから、つまりはホライゾンとそのライセンス所有者が東洞所属となってから、既に4ヶ月近くが経過している。
東洞グループのアーク研究機関と鞍馬脳科学研究所にいくらかでも交流があるならば、もっと早くに泉美と愛が顔を合わせる機会は有ったことだろう。
興味を持つ機会が無かったということもあって、その辺りの事情にあまり詳しくない飛鳥は、首をひねりながら記憶を探った。
「その辺どうなってんだっけ……。確か一回目のアメリカとの共同研究のときは鞍馬も一緒に居たらしいけど、俺が来てからは特にそれっぽい事はしてなかった気がするな。エンペラーの件が片付いた頃から、たまに愛が顔を出してたけど、俺がアメリカから帰った頃からはそれもなかったような……。どうなってたっけ、愛?」
口に出して思い出そうとして見るも、出てくる情報にことごとく自身が無かったため、飛鳥は振り返って愛に助けを求めた。
飛鳥にピタリと寄り添うような位置に居た愛は、ほぼ上を見上げるような形で答える。
「大体、それで合ってる。研究自体の協力は昔にしていただけで、最近はあんまり。何か連絡があったりデータのやり取りをするときに、私が行くぐらい、だった。……8月からは、鞍馬も忙しくなったから」
「だ、そうだ」
「へぇ、そうなんだ」
間に立っていた飛鳥が無意味に繋ぐのを無視して、泉美は愛の方を向いて頷いた。
実は鞍馬に関わる事については、飛鳥もほとんど知らないのだ。
VRシミュレータの開発の際に、鞍馬はその脳科学の技術で大きく貢献したということは飛鳥も知るところだが、逆に言えばその程度だ。飛鳥が関わる範囲で、鞍馬と研究上の交流がほとんど無かったということである。
同様に愛が研究に携わっている関係も知らないのだな、と飛鳥は思い至るが、いずれ知る機会はあるだろうと結論した。
「それで、愛は買い物か?」
もう一度振り返った飛鳥は、愛が手の持っていた買い物袋を見ながらそう尋ねた。
愛は頷く。
「……うん。夕飯で足りない物が有ったから、それを買ってた」
「そうか。そういえば、飯はお前が作ってるんだったか」
いつかに少しだけ聞いた愛の家庭環境を思い出して、飛鳥はそんなことを呟いた。隣で泉美が不思議そうな表情をしていたが、飛鳥から話して聞かせるような内容でもないので、彼はそれ以上は何も言わなかった。
代わりに、愛が飛鳥を見上げて尋ねる。
「……アスカは?」
「俺か? 俺も似たようなもんだ。たまの自炊をしようと思ったら冷蔵庫が空だったの思い出して、これから買いに行くところ」
「そう。……あ」
相変わらず無表情に頷いた愛は、そこでふと手首に取り付けたリング型のケータイを見て声を上げた。
「もう、時間。……帰らないと」
「ん? ああ、そうか。電車だもんな」
「……うん」
少し名残惜しそうな表情を見せた愛だったが、すぐにそれを振り払って、飛鳥達の間を抜けるようにして駅の方へ向かって歩き始めた。
「またな、愛」
遠ざかる彼女の背中に向かって手を振りながら、飛鳥は少し張った声でそう言った。
「…………」
一瞬だけ立ち止まった愛は、しかし何も言わずに足早にそこから去って行ってしまう。
そんな彼女の後姿を見送って、泉美はポツリと呟いた。
「変わった子ね」
「まぁな」
首肯して、飛鳥は身体を反転させる。
「さて、と。じゃあ、行くか」
「ええ」
本来の目的を思い出したように、二人は再びスーパーに向けて歩きだす。
忘れかけていた飛鳥の腹の虫が、誰にも聞こえない程度に小さく呻いた。