2章『アーク・ライセンス』:3
それから数時間後。
この日の予定は全て伊達がセッティングしており、今は予定通り映画を観終わったところである。
どうにも開場から映画の上映開始までは1時間程度の時間があったようで、それまではアクエル内にあるショッピングモールで時間を潰すことになり、その後映画を見に行くことになった。
しかしこうなると飛鳥としては、何故自分の遅刻にあれほど文句を言われることになったのかと疑問だったが、今更蒸し返しても仕方が無いので黙っておくことにした。
ちなみに彼らが観ていた映画はデフォルメされたキャラクター達が繰り広げるポップなファンタジーだ。ホラーでもなければ恋愛ものでもなく、ましてや暴力的なシーンがあるわけもない、良くも悪くも万人受けしそうな無難な内容だった。
つまらないというわけでもなかったので飛鳥もそれなりに楽しんでいたが、伊達や美倉はもう少し楽しそうにしていたように思う。伊達には別の理由もありそうだが。愛もスクリーンを食い入るように見つめていた辺り、それなりには楽しんでいたのだろう。
そうして映画を観終わった一行は、複数の施設が集まるアミューズメントゾーンの真ん中あたりにいた。
「次どこ行くんだっけ?」
腕時計で時間を確認しながら、飛鳥はそう尋ねる。時計が指す時間は11時30分過ぎ。そろそろ昼食が食べたくなる時間だった。
「そうだなぁ。とりあえず遊園地ゾーンに行くつもりをしてはいるんだが、昼飯どうすっかな」
「その遊園地ゾーンとやらの中には食事できるところは無いのか? ちょっとしたファストフードモドキぐらいはあるだろ」
飛鳥の指摘を受けて、伊達はポケットから青いケータイを取り出す。ボタンを何度か入力すると、空間投射式のディスプレイに遊園地ゾーン内の施設のリストが表示された。
「モドキっつーか、カフェテリアってのか? そういうのはあるみたいだ。俺はそこでもいいんだけど皆はそれでいいか?」
飛鳥は提案した側なので問題ないだろうと考えて、伊達は振り返って美倉と愛に尋ねた。
「私はそこでいいよ」
「……私も、構わない」
反応はかなり違うが、二人とも肯定的だった。
「じゃあそうするか。とりあえずは遊園地ゾーンに入って、昼飯を済ませてからだな」
伊達は頷いて、もう一度ケータイを操作して表示させたマップを確認する。カフェテリアの位置を改めて確認して、少し顔をしかめた。
「うぇ、入口から相当遠いな。直行する人のことなんかは考えられてないのか」
何事かと飛鳥も同じようにマップを覗き込んで、思わず苦笑してしまった。
「みたいだな。そもそも遊園地ゾーン以外に食事できる場所はあるし、わざわざ飯を食いに中に入るってのは想定されてないんだろうよ」
マップに表示されているカフェテリアの店舗の位置は、飛鳥達の居る南入場口のほぼ反対側、北入場口から少し離れた辺りにあった。
「別にいいんじゃないか? そんなに腹が減ってるわけでもないだろうし、ちょっと遠くても大丈夫だろ」
飛鳥の指摘に伊達は頷くと、空間投射ディプレイを切ったケータイをポケットに押し込んだ。
「そうだな。……じゃ、俺チケット買ってくるよ」
言うや否や、伊達は離れたところにあるチケット売り場に向かって走って行ってしまう。本人はそんなに急いでいるつもりはないのかもしれないが、やはりかなりのスピードだ。
遠ざかって行くその背をぼんやりと眺めていた飛鳥は、いつの間にか隣に来ていた美倉にこう尋ねた。
「そういやさ、アクエルに入るのにもチケットって必要だったよな。遊園地ゾーンはまた別にチケットがいるのか?」
それは遊園地ゾーンのチケットという名前が出てきたときから、飛鳥が微妙に気になっていた内容だった。学校手の様子を見るに、美倉はアクエルに詳しいだろうと思っての質問だったが、飛鳥の予想は正しかった。
「アクエルのチケットは人が多くなり過ぎないようにするためのもので、応募も含めて無料なの。遊園地ゾーンは普通に入場料なんじゃないかな? それにアクエル自体の入場チケットは応募数がある程度減ったら廃止されるみたいだよ」
「ほう、なるほどねぇ」
つまりアクエルそのものの入場チケットはあくまでも臨時のもので、本来は必要のないものということなのだろう。そして遊園地ゾーンのチケットはそうではないということだ。
納得した飛鳥は何度か頷くと、そのままきょろきょろとあたりを見渡した。
「あ、あった」
そう言いながら飛鳥が歩み寄って行ったのは、すぐ近くに置かれていた自販機だった。ポケットからケータイを引っ張り出しながら自販機に向かい合う飛鳥を見て、美倉が首をかしげた。
「飲み物ならカフェテリアでも売ってるんじゃないの?」
「そりゃ売ってるだろうけど、値段高そうだろ? 中に入ってから自販機探すのも嫌だし、そもそも今微妙に喉乾いてるからさ」
後ろを振り返った飛鳥はそう答えながら、片手で自販機の適当なところのボタンを押した。料金支払いを現金ではなくケータイ内の電子マネーで済ませる。即座にガタゴトという音が鳴って、取り出し口に飲み物が落ちてくる。それをしゃがんで取り出しながら、飛鳥は続けた。
「まったく、いくら冷房聞いてたからって調子のってポップコーンなんかバク食いするもんじゃねぇよな。飲み物がSサイズでポップコーンLってかなりバランス悪かったし。流石に喉も乾くわ」
「愛ちゃん結局ポップコーン食べなかったもんね……」
映画館では飛鳥と伊達が両サイドで、飛鳥の隣に愛、伊達の隣に美倉という席配置だった。飲み物は各々一人で飲むとしてポップコーンは2人で一つずつ購入したのだが、愛が映画に集中し過ぎたため飛鳥がLサイズを一人で片付けることになってしまったのだ。
その辺りの飛鳥の苦労も考えてか、若干気の毒そうにしながら美倉は恐る恐る尋ねる。
「……ところで、星野君?」
「ん、なんだ?」
彼女は顔を引きつらせて、疑問の表情を浮かべる飛鳥の手元を指さした。
「それ、ホントに飲むの?」
「は? 何言って……」
そう言いながら吸い寄せられるように自分の握った飲み物の缶を視界にとらえた飛鳥が見たのは、
「おしるこ!? なんだこれ!?」
「なんだって、星野君が自分で選んだんじゃない……」
側面に『おしるこ』と書かれた茶色の缶を見て驚愕する飛鳥に、美倉は呆れたようにそう言った。しかし冷静に指摘されたからといってこれは飛鳥には到底納得できない内容だ。
「いやいやいや、おかしいおかしい。確かに俺は商品を見ずにボタンを押してしまったけど、だからってこのチョイスはおかしい。そもそもおしるこがラインナップに存在してること自体がおかしい」
これでもかというほど目いっぱい目を見開いて、壊れた人形のようにひたすら首を横に振り続ける飛鳥。まるで意味不明な内容に、彼自身情報を処理しきれていないのだ。
「だいたいおしることかこの季節のどこに需要があるってんだよ。しかもなんかちゃっかり缶冷たいし! 冷たいおしることか365日どことっても需要なんかねぇよ! 誰が得するんだよこれ!!」
「明らかに一発ネタだよね、それ……」
冷たいおしるこ片手に喚き散らす飛鳥と、脱力した様子で苦笑する美倉。しばらくありえないありえないと騒いでいた飛鳥だったが、ついに手元の現実と無言で向き合った。
数秒後、
「いる?」
「いらない!」
サッ、と突きつけられたおしるこを前に美倉は慌ててその場を飛び退いた。焦りというか恐怖にも近い感情をその顔に浮かべながら、全力で首を横に振っている。
「絶対いらないよ! それに星野君が自分で買ったんだから責任を持って自分で飲むべきだと思う!」
「んなこと言ったってこれ見えてる地雷だぞ? それ踏むほど俺は馬鹿じゃねぇよ」
「だからって押しつけないでよ! だいたい、ロクに見もしないで自販機のボタン押してる時点で星野君は十分馬鹿なんだよ!」
「お前それちょっと酷くね!?」
わーわーぎゃーぎゃーと人目もはばからず叫び倒す高校生二人。近くを通った人が何事かと視線を送るが、その争いの原因がおしるこなのだから世も末である。
しかし争っている当人達にそんなことは関係なかった。
「いややっぱり俺これは無理だわ。そもそも甘いもの好きでもないし、しかもおしるこって……。余計に喉乾いちまうし頼むって。うん、きっとうまいから!」
「そのデメリット全部こっちに押し付けようとしてない!? それに美味しいっていうんなら自分で飲みなよ!」
「え、えぇー……」
これほどアルミ缶のプルタブを恐ろしいと感じたことがかつてあっただろうか、などと下らない思考でお茶を濁しつつ、飛鳥は恐る恐るその手をプルタブに伸ばしていく。だが指先が触れる寸前、突如横からその缶を掻っ攫われた。
「お?」
「いらないなら、もらう」
驚いた飛鳥がすぐさまそちらに目を向けると、そこには飛鳥から奪い取ったおしるこの缶を両手で握りしめた愛が居た。もらってもいいか、と彼女は飛鳥に視線で尋ねていた。
「いいけど、そのゲテモノ飲むのか……?」
飛鳥の質問に愛は黙ってうなずくと、そのままおしるこの缶とにらめっこを始めてしまう。よくは分からないが、つめたいおしるこには彼女の琴線に触れる何かがあったのだろう。
「とりあえずスポーツドリンクで良いか」
とばっちりを食らわなくて済んだからか、安心したように胸をなでおろす美倉を横目に、飛鳥は再度事犯家へと向かうとスポーツドリンクを購入した。先のおしるこの分は無駄な出費だが、隣の愛が一応それを飲んでいるのでよしとすることにした。
ややあって、飛鳥はペットボトルのスポーツドリンクを喉に通すと、おしるこを一気に飲み干してしまったらしい愛に視線を向けた。
「それ、うまい……か?」
妙に甘ったるいにおいのする缶から口を離した愛は、無表情で小さくうなずいた。マジで、と飛鳥が驚く中、愛は視線を手に持った缶に固定したまま答える。
「味は悪くない。これを作ろうという考えも興味深い。……けど、季節感がないのと、溶け切れてない部分が底にたまってるっぽくて、薄い。60点」
「……それうまいって言うのか?」
激しく微妙な点数に飛鳥が思わずそう尋ねたが、愛は自信たっぷりに頷いた。
「意外性はバツグン。発想の勝利」
無表情は無表情なのだが、いつもと比べて微妙に目がキラキラしているようにも見える。
なんとなく今日の愛の行動を見ていて、飛鳥は彼女がほとんど興味で判断しているということに気付いた。誰かに似ているな、と思っていたら、普段の遥になんとなく通じるところがあるのだと思い至った。
「ま、まぁうまいんならそれでいいんだけどな」
よくわからない感性に戸惑いながらも飛鳥がそう言ったところで、チケットの購入を終えたらしい伊達がこちらへ駆け寄ってきた。
「おーい、チケット買い終わったぞ」
「おお、伊達か。えらく早かったな」
伊達がチケットを買いに行ってからまだ5分経ったかどうか程度だ。それなりに人も並んでいただろうし、それにしてはかなり早かったように飛鳥には感じられた。
伊達は先ほど買ってきたチケットを、傍らに立つ飛鳥や美倉に手渡していく。
「電子マネーでチケットの購入もできたからな、そっちで買うって言ったら購入も一瞬だったぜ。なんか良くわかんねぇけどツレの年齢確認とかすっ飛ばしてたんだよな。そのくせ中学生以下のチケット一枚渡されてるんだよ。……っと、ほい、これは如月さんの分」
「……うん」
頷いてチケットを受け取った愛は、またしてもそのチケットを眺めて無言になっている。その様子をぼんやりと眺めながら、飛鳥はしかめっ面で呟く。
「ケータイのアドレス登録とGPS情報あたりからデータ出るのかね。まぁ何にせよVNATって相変わらずセキュリティが大丈夫なのか心配だぜ……」
「上級アクセス権は管理者扱いってなってるものね。それでも範囲が限定的だし問題ないんじゃないかな?」
美倉の指摘を受けても、やはり飛鳥は首をかしげたままだった。ポケットから白いケータイを引っ張り出して、顔をしかめたままそれを眺める。
この時代、ケータイと言えばVNATだ。VNATとは可変ネットワーク接続端末のことで、バリアブル・ネットワークと呼ばれる特殊なネットワークに接続できる唯一の機器である。
バリアブル・ネットワーク、つまりVネットは有り体に言えばホストとクライアントが常に変化し続けるネットワークのことだ。全ての端末が一部の例外を除いた他のあらゆる端末から、サーバーを介さず直接データを引き出す機能を持っているため、他の端末を踏み台にすることで特定の電波塔無しでのデータ通信が可能となっている。
つまり、普通は電波の届かないジャングルや砂漠のど真ん中でも複数のVNATどうしが通信可能距離で連続して存在していると、通話やメールが可能というわけだ。
他にも色々な機能があるのだが、携帯電話としての大きな要素はそれだ。ちなみに日本では多くの場合ケータイと呼ばれるが、ナットやスーパーフォンとも呼ばれている。
飛鳥がごちゃごちゃと考えている間に、伊達はポケットから小さな青いケータイを取り出すと、チケットをそれにかざした。安っぽい電子音と共に、空間投射式のディスプレイに何事かが表示される。
「なにやってんだ?」
「これか? ここのチケットってフリーパスも兼ねてるみたいなんだけどさ、チケットについてるチップをナットにかざして登録させると、ナット自体がフリーパスチケットの代わりになるんだってさ」
横から覗き込んだ飛鳥に、伊達は本人もよくわかっていない様子でそう答えた。その説明を傍らで聞いていた美倉が、感心したように頷く。
「へぇ、そうなんだ、便利だね。じゃあ私も登録しとこっと」
「じゃ、俺もそうするか」
美倉が自分のケータイにチケットをかざすのを見て、飛鳥も真似をして自分のそれにチケットをかざした。
飛鳥は美倉のケータイを見つめて、ふとこう尋ねた。
「そういや、美倉のは腕時計型なんだっけ」
「うん、高校合格が決まった時に買ってもらったんだ」
嬉しそうに左手の赤い腕時計を見せびらかす美倉。
どうやら腕時計に見えたそれは実は彼女のVNATだったらしい。このように、さまざまな形をしているのもこの端末の特徴だ。
伊達が興味深そうにそちらをのぞき込む。
「そりゃすげぇな。たしか腕時計型って高いんじゃなかったか? 10万位してた気がするんだが」
美倉はそのケータイを触りながら、首を振った。
「ううん、詳しい金額は忘れたけどこれはそんなに高くないよ。たぶん伊達君が見たのは高級な時計ブランドとのコラボ商品じゃないかな。そういうのは機能以上に高くなるし」
「そんなもんなのか。……ところで、如月さんはフリーパス移したのか?」
伊達は飛鳥の隣でさっきからずっとチケットを眺めっぱなしだった愛に目を向ける。チケットを両手で持ったまま、視線だけを伊達に向けた愛は数秒黙ったあと小さく頷いた。
「……ん、登録する。忘れてた」
そう言って、愛は自分の右手首に着けているシルバーのブレスレットをチケットに近付けた。どうやら彼女のそれもVNATらしい。
それを見た美倉が幾分か興奮したように愛の方に近付いて、彼女の手を取ってその手首を覗きこんだ。
「わぁー! アクセサリータイプなんだね。しかもこの石とかすごく綺麗なデザイン! いいなぁー」
よく見ると、単なる銀色の輪っかではなく中心に浅いくぼみがあり、また手の甲側にいくつかの桃色のガラス細工のようなものがあしらわれている。
愛は本当にうらやましそうにそれを見る美倉を、無感情な瞳で見つめつつ、
「もともとはただのリング。飾り付けは自分」
「え、じゃあこのデコレーション自分でしたの? すごいなぁ、そんなことできるんだ」
愛はハイテンションに詰め寄ってくる美倉の態度に、少し照れくさそうにうなずいて答える。
「細かい作業は、得意。楽しい」
「そっかぁ。じゃあね、もしよかったら今度私のにもしてくれない?」
唐突な美倉の提案に愛はしばらくキョトンとしていたが、自分のブレスレット型のケータイに視線を落して曖昧に頷いた。
「もし、時間があれば。期待は、しないでほしい」
「うん、期待してる!」
「…………話、聞いてない」
「スマン、そいつ実はそんな奴なんだ」
目をキラキラさせたままガンガン詰め寄って行く美倉。愛はちょっぴり涙目のまま視線で飛鳥に助けを求めたのだが、飛鳥は目を逸らしてそう返した。少し困ったような表情の割に普通の口ぶりだったので、嫌がっているわけではないのだろうと飛鳥は判断したからだ。
「よし、それじゃあそろそろいくか」
美倉と愛の様子をほほえましい表情で眺めていた伊達だったが、ややあってそう切り出した。
「それもそうだな、あんまり時間を無駄にしても仕方ないし」
そう言って飛鳥が入口に向けて歩きだそうとしたところで、その服の端がいきなり引っ張られた。「なんだ?」と言いながら飛鳥が振り返ると、そこでは飛鳥の服を摘まんだ愛がいた。
「……近道、ある」
「近道って、カフェテリアまでのか?」
飛鳥の質問に無言でうなずくと、愛は自分のケータイを操作してアクエル全体のマップを表示した。
「ここ。ビジネスゾーンを通り抜けたほうが、たぶん早い」
遊園地ゾーンにとなり合うように存在しているのが、アクエルの経営を行っている東洞財閥という財閥の関連企業のオフィスビルや、複数の宿泊施設が集まったビジネスゾーンだ。
「遊園地ゾーンは、アトラクションがあるから、まっすぐ進めない。ビジネスゾーンなら、直線」
パッと見では遊園地ゾーンを通ったほうが地かそうに見えるが、愛の言う通りならば確かにビジネスゾーンを通ったほうが近いのだろう。つまりはその程度の差しかない。
「あんまり変わらないように見えるけど、一応はそっちの方が早いかもな。どうする、伊達?」
「そんなに急いで飯が食いたいわけではないけど……。どうする、如月さん。ビジネスゾーン通って行くか?」
言葉通りどっちでもよさげな態度で伊達は尋ねる。
「…………」
こくり、と愛は黙ってうなずくのだった。