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左の彼  作者: まつたね
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5


あの後どう仕事をして、

どう終わらせて、どう帰って来たのか

覚えていない。



仕事は確かにしたけれど、

もちろんミスなく

普段通りの手順に沿って

抜かりなく仕事をしたけれど、

記憶が無い。



気が付けば今朝のことを

思い出していた。



あの映画のようなワンシーンを、

繰り返し繰り返し思い出していた。



目が合って、目が離せなくて、

空いた場所を指さして、

席を譲ってくれた彼。


そのおかげで無事に

会社まで歩いて来られたし、

帰りはあまり気にならなかった。


気にしている余裕が無かったともいう。



たったあれだけのことを

何度も何度も思い返していて、

我ながら変だとは思いながらも

どうしても頭から離れなかった。



見た光景を鮮明に、

そのまま記録しておけたら

いいのになあと思う。



私の大切な思い出として、

擦り切れない思い出として。





お風呂もご飯も早々に済ませた。


足の傷口はふやけてしまったけれど、

今朝ほどの痛みは無くなっていた。



これなら明日はもう大丈夫かな、

なんて思いながら

今日は早々にお布団へと潜る。



落ち着いて考えたかった。


今日の出来事と、

そして明日からのことを。



お礼をしたいと思ったのだ。


でもそんなこと、

怖いだろうかと不安に思ったりもした。



ただ席を譲っただけの相手に、

後日お礼をされたら怖いだろうか。



私だったらどうだろうと考えて、

私だったらほっこりするなと思った。



きっと恐縮する気持ちはある。


そんなそんな、

お気になさらないでください、

と。



でも後からじんわり、

善い行いをしたのだと

ほっこりするような気がした。



でもだからといって。

相手もそう感じるとは限らない。



だからとても、悩んでいる。

だからとても、迷っている。



私はどうしたいだろうか


私は、お礼がしたい。




ならば

お礼をしよう。




怖がられたら次からは

電車を1本遅らせたって良い。



何も言わないまま

いつも通り右側に立って、

何も伝えないまま

いつも通り過ごすのは嫌だった。



ただお礼を言うだけでいいのだろうか。


その後気まずいだろうか。


何か物を添えるべきなのだろうか。


添えるとしたらなんだろう


お菓子?飲み物?


でも他人から急にもらう飲食物は怖いだろうか。



ぐるぐるぐるぐる、

あれやこれや。



沢山考えていたら、

気が付けば眠りに落ちていた。






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