第52話 千波ちなはそれでもメインヒロインである
side:千波ちな
カラン、カラン、と足元で音を鳴らす。
私はまだ舞台に立てているだろうか。今踏みしめている地面がライトの当たる部分なのか、袖の暗い部分なのかわからない。
頑張って選んだ浴衣も、時間をかけて編んだ髪も、結局はだめだった。
打ち上げられた気持ちは、遅れて聞こえてきた拒絶の言葉で幕を引いた。まるで花火みたいに。
涙が頬を伝ってぽたぽたとアスファルトに落ちていく。今が夜でよかった、私が泣いたことは世界でたった一人にしかバレないから。
こんなに感情が溢れて止まらないのはいつぶりだろう。大人になると、喜び方、悲しみ方一つとっても気を遣わなければならない。
まったく、社会とかいうステージはでこぼこで歩きにくいものだ。
いっそ私が泣いてることを世界で唯一知っている彼が、この水滴を辿って追いかけてくれたら、なんてヘンゼルとグレーテルのような甘すぎる想像をしては、頭を振ってかき消す。
そんなことはありえない、駅まで送るという申し出を私が断ったのだから。
ぼんやりと空を眺めれば、淡い月の光が雲間から差し混む。
花で埋め尽くされた形跡は何一つ残っていない、それはそれは綺麗な空だった。
「ずっと好きだったのになぁ」
積み上げるのにいくら時間がかかったとしても、壊れるのは一瞬だ。重ねたトランプタワーの最下層の一枚を抜いたのは自分だというのに。
ただ春の夜の夢の如し。
驕れる人も久しからず、なんてよく言ったものだわ。楽しい時間こそ長くは続かないものね。
物事にはきっとタイミングがあって、それを逃すと二度と手に入らない。
巻き戻しもゲームリセットもできない人生なんて、最悪のコンテンツだ。
でも、でもだからこそ逆説的に美しい。
二度とは手に入らないものだからこそ、手に入った時の輝きも強くなる。
同じように今私が抱えている気持ちも、これから先一生経験できないものだろう。
「ほんっと……あいつは!」
口からこぼれるのはいつもの軽口だ。結局いつも通りが一番落ち着く。
少しずつアスファルトを蹴る音が早くなる。
頬に残った一本の筋は未だ乾いていないけれど、もう地面に滴が落ちることもない。
「最後まで優しいところがムカつく。いっそ酷い言葉で振ってくれれば諦めもつくのにさ」
虚空に向けて放った言葉は、空気を揺らして自分の耳へ返ってきた。
何度も反芻すれば、彼の顔が、仕草が、声が頭に蘇る。
「そういうところが、そういうところも好きだったんだよね」
彼は言った。友人でありたいと、そして大切だとも。
私は待とうじゃないか。来るかどうかも定かではないその時を、最高のタイミングを。
燃え上がった炎はやがて勢いを失い、炭の中でぼんやりと熱を持つに留まるのだろう。
ならばせめて自然に消えるまでは、好きなだけ燃え続けてもらおう。
そしていつか再び「その時」が来たならば、まだ私の心の中に熱が残っているならば。
今度は彼から言わせてやる。
恋愛関係はフラれた側が圧倒的に強者である。これは古今東西変わらない事実だ。
彼の負い目を盾にして、たくさんわがままを聞いてもらおう。取り急ぎ、私のことはこれからも「ちな」って呼んでもらわないと。
こっちは心を全部売り渡そうとしたんだ。向こうの心の一部くらいは削ってもらわないと割に合わない。
この告白が決して無意味なものではなかったと、確かに私は成果を得たと言うためにも。
潔く散るのが美しさだとしても、この演目が終わるまでは、いや私が終わらせるまでは、華々しく舞っていたい。
それが役者としての矜恃である。
そしていつか胸を張って言うんだ。
たとえ彼が別の人を選んだとしても、それでも私は私の人生の主人公、メインヒロインであると。
この30歳間近だったあの時の私が、立野圭という人間を好きになったのは正真正銘、誰に文句を言われるでもなく、確かに正解であったと。
胸に広がる恋の火は、まるで線香花火のように弾けた。
花は散り際が一番美しい。




