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第39話 ジュリエットは匂わせる①

 デート。

 親しい男女が日時を決めて会うこと。


 最近よくその言葉を耳にするようになった。社会人になってこれまで、全く縁がなかったのに。


 瑚夏さんも千波も一体どうしてしまったんだ。まるで夏の魔法にかかったみたいに……。


 「これはデートである」と定義付け、宣言されてしまえば二人で会うことはデートになってしまう。

 すなわち、私たちは「親しい間柄ですよ」という一種の洗脳なのだ。


 こういう面倒なことを考えてるから恋人ができないのか?

 でも気になるだろ、どこからがデートなのか……どこからがいわゆる親しい間柄なのか。


 友人や同僚、先輩後輩と恋人の最後のラインはどこに引かれているんだ。


 あの日からまだ、瑚夏さんとは会っていない。

 避けているわけではないが、会ってしまえば何かが終わる気がして。


 別に普段通り過ごしていれば広報課のジュリエットと会う機会もない。

 だから余計に、これまでの逢瀬が彼女の努力によるものだったと思い知らされる。


 なんとなくだが、千波と花火大会に行く話は瑚夏さんに言わない方がいい気がする。

 社畜の予感は当たる。


 ただ言わないなら言わないで、何か悪いことをしている気持ちになるんだよな。

 別に通す義理なんてどこにもないのに。


 そんなふわふわとしたことを考えながら、昼下がりの会社のオフィスを歩いていく。

 夕方から法務課の会議があるからその設営だ。


 俺や同僚みたいな下っ端が準備するのが常だが、今回彼は報告事項があるとかなんとかで資料を作っている。

 まぁ軽い会議の設営くらい一人でできる。机動かしたりプロジェクターの設定するだけだし。


 お目当ての会議室をノック、返事はない。

 鍵を差し込むと空回り。あれ、誰か中にいるのか。


 スケジューラーにはどこの課が使うって書いてたっけ。


 抵抗することなく開いたドアに身体を滑り込ませると、現れたのは……。


「や、やぁ立野くん」


 持っていた資料をバラバラと机の上に落とす瑚夏さん。

 ぎこちない挨拶にここから逃げ出したくなる。


「ど、どうも」


 流石に顔を見て部屋から出ていくのは失礼だ。

 なんとか平常心を保ちながら言葉を返す。


「こんなところで奇遇ね、あ、あの日以来だし」


 かぁっと頬に熱が集まる。そうか、瑚夏さんってこんな声だったっけ。

 柔らかくて色があって、耳の奥をくすぐるような優しい声。


 あぁ自分も相当やられてるな。

 別に他部署の先輩が会議の片付けをしていただけじゃないか。


 同僚と一緒に来なくて本当に良かった。

 変なところで勘ぐられると一番ダメージがでかい。


「……さっきまで広報課が使ってたんですね」


 長いテーブルに指をつぅと走らせるジュリエット。

 妙に芝居がかった仕草が寂しい。やっぱり自分は素の「瑚夏ゆり」と話す権利を失ってしまったんだろうか。


 キスで目が覚めるのはお姫様だけでいい。


「そうなの、次は法務課?」


「えぇ、夕方からの定例会議で」


「なるほどなるほど」


 沈黙。

 彼女と出会って今日まで、こんなに重い時間があっただろうか。


 きっと、きっと居酒屋の前で潰れている瑚夏さんと会わなければこれくらいの関係だったんだろう。


 未だ息を吐き出す空調だけが、この世界に音を与えている。


「よしっ」


 小さな声が部屋に舞った。

 それは舞台が終わった後の楽屋で聞く類のもので。


「やめやめ!私らしくない!ごめんね、立野くん。この前キ……キ、キスしちゃってからなんか私変でさ!」


 一息に言葉を並べると、瑚夏さんは真っ赤な顔をこちらへ向けた。

 昼下がりの会議室ではおよそ聞くとは思えない言葉。


 地面に投げつけられたそれは、スーパーボールのように心の中を跳ね回る。


 万に一つの確率であの日のことは全部夢だったのでは、なんて都合の悪い(・・・・・)想像が破壊された。

 他でもない、口付けをした彼女自身の手によって。


「それを言うならこっちもですよ、ほんとに」


 溜まっていたものを吐き出すように、言葉を投げつける。


「なによ、立野くんなんかあの後何も言わず帰っちゃったじない」


「そりゃそうでしょ、突然だったから」


「私嫌われちゃったのかと」


「こっちの台詞ですよ」


 音沙汰もないし、顔も見られない。

 一度着いた色が剥がれていくような日々。

 ……せっかく「これが当たり前だ」と納得しかけていたのに。


「だめだな私、他の役者さんの台詞奪っちゃうなんて女優失格だ」


 目を閉じて歌うように呟く瑚夏さん。

 まるでスポットライトを浴びて始まるモノローグのようだ。


「女優だったんですか?広報課の職員だと思ってました」


「ふへっ、そうだよ。君が一番よく知ってるみたいにね」


 会社で今、この会議室の中だけは弱さも全部さらけ出していい。

 完全に隔絶された空間にはしかし、残念ながら時間制限がある。


「さぁ、何も知らないですよ。面倒なことには手を出さない主義なんで」


「知ってる」


 未だ彼女は目を閉じたまま。


「……またこうやって話したい、立野くんと」


「……」


 多分踏み込まねばならぬのはこちら側。

 必要なのは言葉と、一握りの勇気。


「俺もですよ、瑚夏さん」


「ねぇ一回だけでいいから名前で呼んでよ」


 なるほど、親しい間柄とはこうやって示すのか。

 デートなんて小っ恥ずかしいことをしなくとも、相手への目線を口にするだけでいい。


「一回だけですよ?」


「うんうん」


「……ゆり、さん」


 目を開けると、彼女は笑った。

 プラネタリウムで満天の星が視界を埋め尽くすみたいに、トンネルを抜けて花畑を目の当たりにするみたいに、真っ暗だった夜空に大輪の花が咲くみたいに。


「なーに、圭くん」


 後ろで手を組んでくるりと一回転。

 ゆりさんはドアノブに手をかける。


「またお話しましょう、会社でも」


 これが俺にできる精一杯。


 果たしてそれは正解……とまではいかなかったにしても、彼女を満足させるラインは超えていたようで。


「へへっ、そうしましょう。今日は会えてよかったわ」


 微笑むジュリエット。


 ガチャリとドアが開く。

 それがおとぎ話と現実を切り替える音だった。幕が降りてセットが変わるみたいに、景色が色褪せていく。


 足を踏み出した彼女が振り返る。

 何か忘れ物だろうか。


「あ、そうだ。言うの忘れてた。」


 何もかもを見透かしたような目で、心臓が射止められる。


「私を悲劇のヒロインにしないでね?」


 揺れるブラウスの袖、廊下の無機質なライトを反射した髪に目を奪われる。

 夏が始まろうとしていた。

3章開幕です!

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