第25話 水も滴るいい先輩④
どうしてこうなった……。
熱々のお湯に身体を浮かべながら天井を見る。
事の顛末に思いを馳せていると、カポーンッと桶の音が響き渡った。
そう、ここはスーパー銭湯の大浴場である。
来るのは何年ぶりだろう。
鼻の奥をくすぐるヒノキの匂いに空いた窓から入る冷気。お客さんはほとんどいない。
「あ゛〜〜〜〜」
家の風呂よりも熱いお湯は、身体の疲れと普段の悩みを吹き飛ばしてくれる……最近の悩みの種といえばアレしかないが。
ここに来ることになった大原因、瑚夏さんだ。
それこそおとぎ話のような手法であれよあれよとここまで連行された。
しかもご丁寧に銭湯近くのコンビニで着替えまで買って。
結局コンビニに入るなら傘買ってそのまま帰ればいいものを……。
「なんなんだろな、この状況」
ぽつりと呟いた言葉は、露天風呂に未だ降りやまない雨に吸い込まれて消えていく。
とはいえせっかく数年ぶりのスーパー銭湯に来たんだ。
味わい尽くさねば損というもの。
ザバァと水音を立てて浴槽から這い出る。
目指すはサウナ、冷えた身体を強制的に温めよう。
ドアを開ければ日常生活では感じない熱気が顔に吹きすさぶ。
この息苦しさがいいんだよな。
ありがたいことに先客はいない。
オレンジ色の光に煌々と照らされた部屋の中で響くのはテレビの音。
腰を下ろせば肌がじりじりと焼かれていく。
ここからは至福のとき、さっきまでは何とも思っていなかった外気ですら、火照った身体を冷やす神の息吹に大変身だ。
そんならどうしようもないことを考えながら、俺は身体から溢れ出る汗に集中するべく目を閉じた。
◆ ◇ ◆ ◇
はぁ〜いい湯だった。
ワンコインでこれだけ幸せになれるなら定期的に来てもいいかもな。
しかも濡れた服に腕を通さなくていいから快適だし。
さっきの彼女じゃないけど、このままホテルにでも泊まって泥のように眠りたい気分だ。
忘れていた、瑚夏さんと来ていたんだった。
重くのしかかるプレッシャー。これから俺は風呂上がりの彼女と対峙するのか……。
「やっほー早いね、立野くん!」
言わんこっちゃない、ジュリエットのご登場だ。
振り向くのが怖い。
「お、お先でした」
「ん!温まれた?」
「はい、おかげさまで。銭湯来たの久々だったんですが、結構いいですね」
できるだけ彼女の方を見ないようにして言葉を返す。
雨に濡れた瑚夏さんでさえやばかったんだから、風呂上がりともなると……。
「もう〜こっち向いて、ね?」
自分の体温よりも高い温度の手が頬に触れる。
この歳になると、他人に触れられる機会なんて限られている。
だから普段は無意識に拒絶してしまうが、この手に不快感は覚えなかった。
俺の顔を掴んだ二本の手は、そのまま顔を瑚夏さんの方へ向ける。
「やっと目が合った!」
視界に映るのは頬を上気させた瑚夏さん。
うるうると揺れる唇に、穏やかなアイライン。メイクしているのか。
理由は……今は考えないでおこう。
それでも普段よりは薄いからか幼く見える、まるで歳下みたいに。
どくんと跳ねた心臓は、きっと理性じゃ抑えられなくて。
「どしたの?そんなじっと見つめて……やだ、あんまりメイクしてないから見ないで!」
ぷいっと顔を背ける瑚夏さん。横暴すぎる。
ただ、どれだけ理不尽でも可愛さが上回るんだからずるい。
「顔を無理やり向けたのはそっちじゃないですか」
これは正当な反抗なはずだ。
「だって立野くんが目合わせてお話してくれないから!」
数秒の沈黙。
日常なのに非日常。
空からドラゴンが降ってきたり魔法が使えたりはしないけど、最近仲良く……仲良くなったよな?先輩と仕事終わりに銭湯へ行くなんて、どんなファンタジーだ。
そんな小さな非日常が、どうやら俺は嫌いじゃないらしい。
胸が温かくなった理由はきっと、きっと風呂で温まったからだけじゃないはずだ。




