第24話 水も滴るいい先輩③
「……なんです?これ」
画面に浮かんだ雨粒が滲んで文字が読めない。
「銭湯!この近くの!行ってみたかったのよ」
「なんで突然銭湯……」
直前の彼女の言葉を思い出す。確か温まれるところとかお姉さんがなんとか……。
ツギハギだらけの情報を脳が処理する。つまり、瑚夏さんと。
「それはダメでしょ!!」
勢いよく飛び出す否定の言葉。
「突然大きな声出さないで〜よしよしダメじゃないよ〜」
あやすように宥められる。俺は赤ちゃんか。
改めて思うけどダメだろ、常識的に考えて。
「瑚夏さん、もっと自分を大切にしてください。そんなにほいほい男を誘うから大変な思いしてるんでしょ?」
ここは正論パンチだ。なんとかこの状況を抜け出さないと。
「別に私から誘ってないもん」
これのどこが!?誘いまくりだろ。
俺が夏の虫なら瑚夏さんは火だ。
だめだ、混乱してわけのわからない喩えしか出てこない。
「今まさに目の前で誘ってるじゃないですか!」
彼女はきゅっと手をグーの形に握りしめる。流石に言い訳するには無理がある。
俺の記憶という完全無欠の証拠があるから。
「それは立野くんだから。他の人は誘ってないよ」
真剣な眼差しに心臓を撃ち抜かれる。
くっと歯を食いしばって理性を呼び起こす。
「あとね、別に銭湯くらいいいじゃない!それとももっと……うん、ホテルとかの方が良かった?」
常識というストッパーがぶっ壊れてる。
そもそも軽率にホテルに誘う瑚夏さんは、なんだか解釈違いだ。
最後の一線は固くあって欲しい、そう思うのはしがない後輩のエゴだろうか。
「それこそまさかですよ……というか今瑚夏さんから言ったから許されてますけど、自分から言ったら一発アウトものですからね」
「アウトよりのセーフね!」
グレーですらない真っ黒なアウトだろうが。
想像して見てほしい。冴えない社畜が社内でも人気の美人な先輩に「雨で身体が冷えるから……ホテルでも行こうか」なんて声をかける図を。
一瞬でサイレンが鳴り響き、現行犯逮捕。
数年は塀の向こうで暮らすことになるだろう。囚人番号は572で頼む。
「その心は……?」
「相手が私だから!」
ドヤ顔の瑚夏さん。何回見てもかわいいのは流石だ。
あざといって。
こんなの仕事に脳を焼かれている俺じゃなければコロッと行くぞコロッと。おむすびもびっかりの転がりようだ。
とはいえ危なすぎる橋だよな、渡るどころか叩く気にもなれない。
この話怖いからなんとか方向転換しないと。
「私たちってもう大人じゃない」
「残念なことに」
アラサーという名の急勾配な坂をひいひい言いながら登ってますよ。
体力、若さ、人生の楽しい時間のピークは20代前半だと言われるが、それをヒシヒシと感じているところだ。
「じゃあ自分の責任は自分でとらなきゃいけないわけよ」
まぁ、それはそう。
突然年上のお姉さんみたいなこと言い出してどうしたんだ……いや、年上のお姉さんだったわ。
普段の言動で忘れそうになるけど。
ただ経験則から分かる。
普段破天荒な人が常識的なことを言い出したときには裏がある。
「まぁ自立してますからね」
真面目な話に乗っておく。さっきのホテルがどうこうの問答よりはマシだろう。
そうこうしているうちに、瑚夏さんは小刻みに震えてるし。
寒いならさっさと電車乗って帰ろうぜ。
「ということはね!」
人差し指がビシィッと突き立てられる。
「別に会社の先輩と銭湯に行ったって責任さえ自分でとれればいいのよ!」
「その責任が怖いって言ってるんですってば」
「もうわからずやだな〜いいから立野くんは私と一緒に温まりにいけばいいのよ。ほら、じゃあ方針が決まったら後は動くのみ!行くわよ!」
言うが早いか彼女は俺の腕をホールドすると、土砂降りの中へダイブした。
もう濡れているからだろうか。大粒の雨を厭わずに進むその姿を、どうにも美しいと思ってしまった。
だから踏ん張り忘れたのも仕方がない、仕方がないんだ。
こうやって引っ張られるのも何度目だろう。
もう慣れてしまった身体は、彼女のなすがまま足を踏み出した。




