52.プリンセスロードの乙女たち
アレク様が手を引いてくれて、ダンジョン内を進む。
時折現れる魔物を、アレク様が剣でなぎ倒しながら。
今の私は足手まといでしかなくて申し訳なく思う。だけどアレク様が頼りになりすぎて、つい甘えて、握った手にぎゅっと力が入ってしまうんだ。そうするとアレク様はこちらを向いて、微笑んで安心させてくれる。
でも呑気にはしていられない。今、王都で起きていることをアレク様から教えてもらった。鐘が鳴った直後から魔法が使えなくなって、なんと王都内部に魔物が出没するようになったそうだ。アレク様もウォリック領から戻られたばかりで、大まかな報告を受けただけで詳しいことは分からないみたい。すぐにここから出て、状況を把握して私たちも対応にあたらないと。
――その時、ダンジョン内の空気が変わった。
今まで鳴り響いていた鐘の音が、止まったのだ。
併せて、魔力が戻ってきて魔法が使えるようになったことが感じられた。
「つ、使えますわ、魔法が! でも一体何が起きたのかしら?」
アレク様はしばらく考え、はっと気付いた。
「沈黙を防ぐ効果……。もしかしてブライトストーンかな?」
確かに! ブライトストーンを使えば、鐘の影響を受けずに行動ができる! ということは、マナウ神父が鐘を止めるために何かしたんだ。
「今なら、何故マナウ神父があんな行動に出たのか、分かる気がするよ」
アレク様も、マナウ神父の真の意図に気づいたみたい。
仮に、あのとき私たちがブライトストーンを持ち帰っていれば……。
100年もの間、紛失していた王家の秘宝が戻ってきたんだ。すぐに宝物庫の奥深くに厳重にしまい込むに違いない。一旦そうなってしまえば、再び取り出すことは簡単にはできなくなってしまう。沈黙の鐘に対抗する唯一の手段が、遠ざけられてしまっていたんだ。
そろそろ出口が近づいてきたのか、遠くに明かりが見えてきた。
ダンジョンの出口は、ゲームでは王都南区、裏通りの潰れた魔道具店跡である廃屋だった。この現実でも同じで、見覚えのある屋内に通じていた。
ようやく外に出られた。
このあたりは避難区域になっているみたい。魔物から避難してきた人が大勢いる。そして、彼らはみな揃って、空を見上げていた。
同じように空を見上げてみて、そこにあったものは。
ものすごく巨大な、王都全体を覆い尽くすような、瘴気溜まりだった。
瘴気溜まりから、魔物が続々と降ってきている。避難していた人々から悲鳴が聞こえ、逃げ惑う。だけど、あんな大きな瘴気溜まりだ。王都内に避難できる場所なんてどこにもない。
あれを、なんとかしなきゃ!
アレク様と目を合わせる。考えてることは同じだ。手を繋いで、反対側の手を空の瘴気溜まりへ向けた。今までで最大の大きさで、空に虹色障壁を展開した。これを思いっきり上空へ飛ばし、瘴気溜まりへ蓋をするようにぶつけた。
魔物が瘴気溜まりから出てくるのを、虹色障壁で防いで留める。そこへ、ものすごい圧力がかかってきた。でも、握ったアレク様の手のひらからはどんどん力が流れてくる。負けるもんか!
「いいぞ! 押し返せ!」
「あの虹の障壁は何? わからないけど頑張って!」
民衆の声援が聞こえてくる。頑張らなきゃ!
「お、おいあれ、アマンダルム公爵令嬢じゃないか?」
「ああ、最近あちこちで活躍してるって噂の令嬢か!」
「さすがはプリセンスロード候補生だ! 頼りになる!」
「隣にいるのは……おお! 第二王子様だ!」
「ええっ? 聞いた話じゃあ、第二王子といえばパッとしないイマイチな……おっと」
「バッカおめえ知らねぇのか。近頃じゃあミング領の怪物を倒したり、ウォリック領の反乱を鎮めたりと大活躍らしいぞ!」
アレク様の評判も、最近ではかなり上昇してきている。だんだんみんなアレク様の良さがわかってきたみたいで嬉しいわ。
みんなの応援のおかげで、まだまだ踏ん張れそう。押し返して、あの瘴気溜まりを消し飛ばしてやるんだ!
「また、私の邪魔をするのね」
恨み節とともに現れたのは……ルーベラ・トロアーバ。あのでっかい瘴気溜まりも、やはりルーベラの仕業か。
「あれは私の、究導会の研究の集大成よ。この前みたいな見せかけじゃない、本物の瘴気溜まり。時間が経てば経つほど大きくなっていくの。今はなんとか拮抗できているみたいだけれど、その程度じゃ止められないわよ」
「ルーベラ……。なんで、こんなことをするの?」
ルーベラの表情が読めない。怒っているわけでも、悲しんでいるわけでも、諦めているわけでもない。複雑な思いを抱えているだろうことは容易に想像がつくけれど、それが何かがわからない。
「沈黙の鐘はすでに止められた。レオたちとも連絡がつかない。私はもう、何者にもなれない……。リズリー、あなた言ったわよね。――思い通りにならないのは、不公平を感じるのは、他人に委ねてしまっているからだと。自分自身を貫け、と」
ルーベラは、すこしだけ笑っているように見えた。
「私には無理だったわ。どうしても他の人が気になってしまう。誰よりも上に立ちたい。誰からも見下されたくない。じゃあ、どうすればいいのか」
「その答えが、あれってこと?」
巨大な瘴気溜まりを示した。あれで、誰も彼も消してしまえ、ってことなの?
「ふふ。違うわ。あれは、できるからやっただけ。最後に、すごいでしょって見せつけてやりたかっただけ。だから、どうでもいい。消すなら好きにすればいい。でもね……。だからこそ、全力で足掻くッ! まだまだ、大きくなるわよ!」
ルーベラは魔力を振り絞って瘴気溜まりに込めていく。後はどうなってもいいと、絞り出すみたいに。
それに応えて、瘴気溜まりがどんどん大きくなって、圧力を高めていく。
「くぅぅううっ!」
私も、アレク様も喋る余裕もなく、押しつぶされそうな圧力を耐える。
ルーベラは、これで終わらせる気だ。一度滅茶苦茶にして、それに満足して、……どこかへ消えるんだろう。
ルーベラのさっきの表情、あれは多分、――寂寥だ。
人と、決別したんだ。
ああなったらもう、誰の言葉にも耳を貸さない。届かない。
それでも、放っておいたらだめだ。それには……あの瘴気溜まりを止めるしかない!
私もアレク様ももう限界に近い。ここから押し返す方法は何か――。
突如、離れた場所から火柱が立ち昇った。
火柱は私たちの虹色障壁へ吸い込まれ、混ざり合って、勢い膨れ上がる。
あの場所は……ウエストパレス学園!
さらに王宮の方角から、雪のようにキラキラした光の粒子が、虹色障壁へと注ぎ込まれる。
ハイサンド大聖堂から、聖属性の煌めく魔力が広がって、虹色障壁を包みこむ。
あちこちで、民衆の歓声が聞こえてくる。
その声を力に変えて、アレク様と私は最後の力を振り絞って虹色障壁へ注ぎ込んだ。
「いっけえっ!」
四つの方向からの魔力が混ざりあった虹色障壁は、やがて巨大な光のカーテンとなって魔力溜まりを覆いつくし、――ゆっくりと消滅させていった。
一瞬静まった民衆の声は、すぐに爆発した。
「第二王子と公爵令嬢がやってくれた!」
「王国の未来は明るいぞ! バンザイ!」
光のカーテンはそのまま曇天をも巻き込んで空へ昇っていき、見えなくなった。
数週間ぶりに、王都の空に青空が戻ってきたのだ。
避難民たちの、私たちを称える声が鳴り止まない。
その民衆をかき分けて、オーンハウル殿下が現れた。
「ルーベラ・トロアーバだな。身柄を確保させてもらう」
同行した騎士たちがルーベラを取り押さえた。ルーベラは抵抗せず、大人しく従った。
「結局、私の人生って、噛ませ犬の悪役にすぎなかったのね」
ルーベラの言葉にハッとした。
私も、前世を思い出さなかったら、悪役として破滅していたかもしれない。でもそれを免れたのは、ゲームの展開に抗ったからじゃない。ありのままに、自分らしく、この乙女ゲームの世界で生きると決めた。だから迷わずにここまでこれたんだ。
だから今、この手を握っていられる。
大好きな人の手を。
「アレク様。――大好きです!」
勢いで言っちゃった!
ずっと手を握ったままだったアレク様は、――驚いて、照れて、笑ってくれた。
「僕も、リズが大好きだ!」
嬉しい!
周りの民衆からも歓声が上がって、祝福の口笛を鳴らしてくれる。
私とアレク様は、手を繋いだまま見つめ合って。お互いちょっと恥ずかしくなって、民衆の方へ手を振って応えた。
アレク様と親密になることに、ずっと踏み切れなかったけれど。
もう、いいんだよね。だって私は悪役令嬢でも、ヒロインでも、プレイヤーでもない。私は――。
「私は、リズリー・アマンダルム!」
「ええ、ええ。そうですとも!」
突然の私の自己紹介に応えてくれる人なんて、この二人しかいない!
王都中を探し回ってくれたんだろう、へろへろになったトゥーリ様とマッキー様が駆け寄ってきた。
「ふー。やあっと見つけましたよリズリー様!」
「ごめんねえ! 心配かけたね!」
私たち三人は、抱き合ってわんわん泣いた。
そんな様子を、馬鹿にしたように、けれど少しだけ羨ましそうにルーベラが見ていた。
だけどね、あなたにも心配してくれる人はいるはず。きっと、意外なところに。――ほら。
ルーベラへ駆け寄って来たのは、お兄様のマナウ神父。こんな騎士がたくさんいるところに、手配中にも関わらず、マナウ神父が心配そうに走ってくる。騎士たちやオーンハウル殿下も多少は事情を知っているのか、マナウ神父とルーベラが話をすることを許可したみたい。ここからじゃ何を話しているか聞こえないけれど、少なくとも、ルーベラがさっき見せていた寂寥の表情はなくなって、お兄さんにきつく当たる妹の顔になっていた。
これからあの二人がどうなるかわからない。
アレク様の見解では、マナウ神父はそれほど大きな罪にはならないんじゃないかな、と。
ルーベラは少なくとも王都からは追放され、どこかの修道院にでも入れられるか。もっと大きな罰になるかもしれない。それでも、支えてくれる人がいるならきっと、変わることができる。
王都の空は、もうすっかり雲一つない、澄みきった快晴になっていた。
***
「見てキャシー。あの子たち、やったわよ」
王妃の私室のバルコニーで、つい先程まで暗雲に覆われていた青空を指さした。その青空の下では、民衆たちがあちらこちらで歓声を上げている。私はこの雰囲気を懐かしく感じていた。
まるで十七年前の、あの日みたい。
「落ち着いてテレザ。テレーゼ・テセーナ夫人。ちゃんと見てたわよ」
キャシー、いやキャサリン王妃は私を愛称ではなく、公的な呼び方をした。
それは、大きな決断をしたということだ。
「ようやく私も肩の荷を下ろせそうね」
「誰にしたの? どの子も私の自慢の教え子よ。四人のうちの、誰が選ばれても不思議じゃないわ」
私の問いかけに、いたずらな笑みを浮かべるキャサリン王妃。
「あら、もう年を取ったのかしら? テセーナ夫人。プリンセスロードを最終的に決定するのは、王室でも教会でも――ましてや前プリンセスロードでもないわよ」
そうだったわ。プリンセスロードを最後に選ぶのは――。それは、民の声。
今現在、王都中に鳴り響いている、十七年前のキャサリンを讃えた声に匹敵する民の歓声だ。……だけどこの声は、一人に向けられたものじゃない。
「今回の件で四人とも貢献度は十分満たしたわ。テセーナ夫人、あなたの見解を聞かせてちょうだい」
プリンセスロードの適正を審査する項目は、貢献度を除けば、社交、美麗、学力、魔力。
候補生第一席、アイリス・バルコデ公爵令嬢は――。
「美麗、学力、魔力は文句無し。これまで足りていなかったのは、社交です。そして此度の出来事を通して、彼女は『愛情』を知りました」
現在の王国の社交界は、絢爛ではあるものの、見栄や虚栄心が先走っていて大事な何かが欠けていた。そこへ一石を投じる存在に、彼女がなってくれるはずだわ。ミエセス殿下と一緒にね。
候補生第二席、パトリシア・メセニ侯爵令嬢は――。
「社交と美麗に優れています。学力は今は落としていますが、彼女の向上心からすれば問題はないと感じています。そして魔力は、少し寄り道したものの、おかげで期待を上回る価値を見つけました。それが、『憧れ』です」
究導会の存在は、魔法学会を逆に停滞させていた。つまらない理屈が先行し、魔法本来のあり方、可能性を閉じ込めていたのだ。端緒を開いたのはアマンダルム公爵令嬢だけど、それを押し広げ、一気に花開かせたのは間違いなくあなた。魔法に憧れていた初心に戻り、誠実に取り組んできた成果が出たわね。これからは、だれもがあなたに憧れる番よ。
候補生第三席、リズリー・アマンダルム公爵令嬢は――。
「社交、美麗、学力、魔力。どれも基準は満たしています。ですがそれは、側仕えをはじめとした周囲の支えがあってのこと。言い換えれば、彼女にはそうさせるだけの『魅力』があるということです」
目が離せない存在。それこそが、言葉では表せない価値だわ。おそらく彼女自身に自覚はないのでしょうね。彼女には、周囲を押し上げる力、周囲から支えられる力がある。それは相乗効果を生み出し、いずれ王国全土を巻き込んだ上昇気流になっていくことでしょう。
候補生第四席、レネ・アーデン伯爵令嬢は――。
「聖女に選ばれる時点で、実はこれらの項目はクリアしているのです。100年前の聖女は、それに加えメデューサ封印という功績があった……にもかかわらず候補生止まりだった。あの方に足りなかったものを、アーデン伯爵令嬢は獲得しました。それが『己』です」
どれだけの才覚や資質があろうとも、人の指示通りでは宝の持ち腐れ。誰かにコントロールされて得た幸せなんて、所詮は絵空事なのよ。それを彼女は打ち破ったのだわ。誰にでもできることじゃない。この私でも純粋に、驚嘆を禁じ得ないわ。
これが私の、彼女たちへの講評。民衆の声も十分だ――だけど、キャシーの眼差しは厳しい。
「まだ、足りないわね」
やはり、か。この民の声は四人に向けられたもの。声の大きさはプリンセスロードを称えるに十分ではあるが、四人合わせて、だ。
でもキャシーは、肩の荷を下ろすとはっきり言ったわ。では彼女の判断は一体?
「乙女制度を発動します」
その手があったか!
乙女制度――それはかつて、四代目プリンセスロードの引退の後、後任がいないまま100年近くもの空白があったときがある。その時、暫定的に制定されたのがこの制度だ。
優れた候補生が昇格し、プリンセスロードではないものの、その役を複数人で補う『プリンセスロードの乙女』たち、いわゆる、候補生よりさらに上の等級が授与される。
「今この時より、『プリンセスロードの乙女』として、アイリス・バルコデ公爵令嬢、パトリシア・メセニ侯爵令嬢、リズリー・アマンダルム公爵令嬢、レネ・アーデン伯爵令嬢。以上四名を任命します。私のプリンセスロードとしての任は、彼女たち『プリンセスロードの乙女』たちに引き継ぎますわ」
私は否もなく、黙って従うことにした。
「十七年間、お疲れ様でした。プリンセスロード・キャサリン」
そんな私に、キャシーは生き生きとした、いたずらな笑みを浮かべた。
「だたし、これで終わりではありません。彼女たち、それに他の令嬢たちにも引き続き、プリンセスロードを目指して、競い続けていただきますわよ」
***
デビュタント前の令嬢たちが、王宮の庭園に集合している。
それを私たち四人は、候補生用のサロンのバルコニーから眺めていた。
「わあ、初々しくて可愛いわ!」
ちょうど今日は、プリンセスロード選考会の最終日。これからあの慰労会が行われるところだ。
このサロンも、近い内に彼女たちに引き渡さないといけないだろう。
「レネはいなかったけれど、リズとアイリス姉は覚えてる? あの日のキャサリン王妃の言葉」
「もちろん! 一言一句、胸に刻み込んでるわ」
アイリス様も思い出して、あの言葉を諳んじてみせた。
『皆さん、楽しんでいただけているかしら。本日はこんな愛らしい皆さんにお会いできて嬉しいわ。この中から、私の次のプリンセスロードが誕生するかもしれないのね。その日を楽しみにしているわ』
私たち三人は思い出して浸っていた。レネ様はちょっと羨ましそう。
「そう、確かにおっしゃられたわ。『かもしれない』って。あの時は、この会場にいる誰かが選ばれるんだろうって思ってた。けれど今考えたら、全員が落ちる前提で、選考会は開催されていたのよね。だって、プリンセスロードはこの四百年で、たった八人しか選ばれていないんだから」
初代プリンセスロードは、今から約四百年前に誕生した。それからずっと選考会が行われてきたけれど、八代目のキャサリン王妃まで、ほとんどの期間が空席だったのだ。
でも、これからは違う。
この度、乙女制度が正式に採用された。これはプリンセスロードとほぼ同等の責務と栄誉を、複数人で補う制度だ。前回の施行時は暫定措置だったが、これからは恒常制度となるそうだ。
今回私たちが一気に四人選ばれたように、これによって、もっとたくさんの令嬢たちに、輝ける機会が訪れることになるわ。
だってここはゲームの世界じゃない。
誰もが、自分自身が主役になれる、現実だ。
胸元のラピスラズリを握りながら、私は三人の親友に呼びかけた。
「それじゃあ、行こっか」
あの日、キャサリン王妃が見せてくれた輝きを、次の令嬢たちに伝えるために。




