シャーロット・シャリアール、甘酒で花見をする。
3月31日。
シャーロット・シャリアールの使う暗黒魔法とは、腐食や破壊などネガティブな力が原則にある。それを発展させて沈静・治癒などに用いることも可能だ。
神聖不可侵の力ではあるし、シャリアール家も敬われている。けれど、どこか死を想起させるものであるのは人間の本能上仕方のないことだし、シャーロット自身も、そうなのだろう。
三年、もう四年前になるのだろうか? 初めてシャーロットに出会った時、彼女は魔導の修業を始めたばかりで、暗黒魔力の制御なんてまったくできていなかった。
厳重に封印加工を施された革手袋をしていないと、触れたるものから生命力を奪う状態で、花に触れれば即座に枯らしてしまう有様で。
それはまあ鬱まっしぐらな死んだ眼をしていた。
それでも彼女がまっすぐに成長できたのは、周りにいた人達が彼女と真剣に向き合ってくれていたからだと思う。己の力をコントロールできるように、真剣に魔導を教える三人の家庭教師。
なんて名前だったかな。僕、人の名前覚えるの苦手なんだよな。
えらい耳の長いいっつも顔を隠した才媛と、くっそ髭の長い小太りのじい様と、頭に角の生えた関取。
まあ、いいや。もう会うことないだろうし。
しかし、あれよな。僕もその頃のシャーロットに一回触られて、精気を奪われたことがある。
体重が5kg減ったんだよな、一晩で。
最近、もう一回あれやってくんねえかなと言いたくなるけれど、それはシャーロットを傷つけるから言えない。
魔力のコントロールに成功してから初めて花に触れて匂いを嗅いだ時の、ドヤ顔と泣き顔を足して2掛けたような顔を思い出すと、自分で地道にダイエットするしかない。
するしかないんだけれど、週二ペースで飯たかりに来る暗黒騎士様は、カロリー高いものを好まれるんだよなあ。
今日は、とても晴れていて、月も綺麗なものだった。
季節が過ぎて、冬なら夜でも今なら黄昏時という時間に遊びにきた異世界人を歩いて河川敷まで連れて行った。
そこは斜面沿いに桜が植えられていて、土手を歩くと真横に桜が映る、美しい道である。
一年間で、桜の花びらが臨界点に達する一晩。
僕の住むこの町では、それが今日の夜であり、暗黒騎士が何を思って今日を外出の日として選んだのかは知らないけれど、連れて行ってやらねばならないと思った。こう、闇の流れでなんとなく。
シャーロット・シャリアールに、桜を見せてやった。
『綺麗』
涙を流して喜ぶとは思わなかったけれど。
『本当に、綺麗。ダイジロウ、素敵ね。ハンカチ貸して』
鼻水出てるじゃねーか、そんなに感動したのかよほらハンカチ。
『この世界に、こんなに美しいものがあったのね』
そこまで喜んでもらえるなら、何よりだ。
『私の世界に持って帰れないかしら』
世話が大変だから止めた方が。
そうして、しばらく静かにはしゃぐ彼女を見ていた。
道すがらの自販機で購入した甘酒二つ。一つを彼女に渡す。
まだ四月に入る前。
体の温まる飲み物を飲んで、幸せを感じるくらいの夜。
『これって、お酒?』
桜を眺めて、並んで立っている。一口飲んで彼女は初めて飲んだ種類の飲み物にびっくりしていた。アルコールは飛んでると思うけれど、舌の敏感な彼女には何かわかるのだろうか?
酒粕から作ってることを説明する。
あんまりわかってもらえなかったけれど、特にそこはこだわるわけではないらしく『へー』で流された。
『これ、私の世界に持って帰れないかしら』
いや、確かムーンスレイブ王国にも似たような飲み物があったはずだ。これほど甘くはないけれど。
『あなたはなんでも美味しいものを知ってるのね。こんな綺麗なものがここにあることも知っている。ダイジロウ、すごいわ』
別に僕がすごいわけでなく、ソメイヨシノを飲料メーカーがすごいだけだ。
でも、『関係ねーよ』と彼女の感動を混ぜ返すのも無粋な気がして、何も言わない。
少しだけ、体の温まる夜。
金色の髪が、夜風に薙いだ。
まだまだ三月は少し冷える。特にここは水辺だから、花見としゃれこむにはアレだ。もう少し離れた公園にはここの3倍くらいの桜が群れた花見スポットがある。ちゃんと照明もセッティングされているから、皆そちらで楽しむ。
ここには、月の光しかない。
青白い月影に照らされて、花弁が少し散る。
シャーロットが、枝に手を伸ばす。斜面の高低差のおかげで、桜の枝はシャーロットと同じ海抜に存在するのだ。
シャーロットの手は、薄墨色の光に包まれている。
枝に指先が触れる。もう少し眺めていたかったが、一応訊いてみる。
『おい、シャーロットお前それなんの暗黒魔法よ』
『特に何ってわけじゃないの。ただ、魔力を通してこの美しいものに触れているだけ。こうしていると、この美しいものの中の闇と融け合えるの。それが、心地よくて』
薄墨色に光る花弁が、暗黒騎士の周りを舞う。
嗚呼。
美しいと思う。きっとこれはこの世の光景ではない。
一年で一度の桜が咲き切った瞬間に、一生に一度出会えた友人を連れてきた。
きっと、これはこの世の光景ではない。
『そろそろ帰ろうか』
ぼんやりしていたら、いつの間にか桜に触れた手を戻したシャーロットに顔を覗きこまれていた。
少し狼狽したのがバレてないかドキドキしたが、いつものオテンバ娘に戻った彼女は夕食のことしか頭にないようだ。
このまま花見にしゃれこむのもいいが、今の光景を他の誰かに見せてしまうのが、社会的にまずい気もするし、個人的には、その、惜しいとか思っている。
そんな迷いを振り切ろうと話題を変えた。
『シャーロット、何が食べたい?』
『炭火焼肉』
や、焼肉?!
今の幻想的な風景から?!
『前に連れて行ってもらった、たっちぱねるとか使える店』
お前、ただタッチパネル使いたいだけだろ。
『カルビ、ロース、アツギリシオタン!』
僕薄切りの方が好きなのに。
こいつが言ってるのは、以前連れて行った焼肉屋だろう。目立つ異世界人でも落ち着いて食事ができるように完全個室になって、タッチパネルで注文する店を選んだのだが、どうやら肉を焼いて食べるのに加えてその店の様式がなんか面白かったらしい。
『私もやってみたい』とか言うから任せたら、しおだれキャベツだのきゅうりの漬物だのばっかり三つも四つも頼みやがったのだった。
ただその店隣町にあるから、ここから結構距離のある駅まで歩くか、一度僕の家に車を取りに戻るかしないといけない。
『シャーロット、結構距離あるけどいいのか……ってどこ行ってやがる?!』
桜の方ばかり見て土手から足を滑り落としそうになったシャーロットの手を掴んだ。相変わらず温い手だ。
『馬鹿、ちゃんと足元見ろ』
怒ると、どこで覚えたのかてへぺろしてきた。……いや、本当どこでそんなの覚えた。
とりあえず、遠いし焼肉は今度にして今日はこの夕方もやってる食堂で食べることにした。
ここから、歩いて10分程度だ。
並んで歩く。
彼女は身長低い割に足が長いから、結構がんばって早歩きしないと置いていけれる。この女、道を知らない癖にさっさと先に行くからな。いや、闇の流れでなんとなく道はわかるんだったか?
けれど、今日は妙に歩みが遅い。まるで、僕の歩幅に合わせるみたいだ。
『ねえ、ダイジロウ。覚えてる? 昔私の手を握って私を叱ったこと』
覚えていなかった。
『私が、まだ魔力制御ができていなくて、触れた人の生命力を奪ってしまってた時。こんな自分の力が厭になって、わざと革手袋を取ってあなたに触ろうとした時』
え、お前そんなことしたの。あ、思い出したわ、体重が5kg減った時だな。
『あなた、怒ったよね』
そりゃ、普通怒るだろ。
『誰も、私を怒らなかったから。闇を畏れて怯えて、テセパイ先生達も、どこか遠慮していたのに、あなたは自然に私を叱ってくれた』
まさかそこまで危険な能力だと思わなかったから。今思えば、魔力全開の君の手を握るなんて、僕も死んでてもおかしくなかったんだな。
『嬉しかったなあ』
なんか恥ずかしい。
『セルフうどん店で、割り箸が綺麗に二つに割れた時くらい嬉しかった』
それってどのレベルなん。
『私が暗黒騎士としての修業、頑張れたのはダイジロウのお陰だよ』
『関係ねーよ』と返事して、その後は食堂まで無言が続いた。
川沿いの桜並木は終わってしまい、青白い夜に包まれた何もない土手道を、並んで歩く。




