三、決着!スサノオV.Sヤマタノオロチ!!―血に飢えし男―
「…ふう…」
スサノオは夜空に輝く月の方を見上げながら一息つく。
今は完全に真夜中。
スサノオは一人、斐伊川の河原でオロチがやってくるのを待っている。
明るいうちにすでに強い酒が用意され、それが八つのツボにいっぱいに入っている。
作業を終えたあとアシナヅチとテナヅチは家に戻って壊れた戸も直し、今は完全に引きこもってしまっている。
クシナダはスサノオの呪力で櫛に姿を変えられ、今もスサノオの髪に引っかけられている。
スサノオがクシナダを櫛に変えようとしたとき、クシナダはスサノオのすぐそばにいることに不安を感じたのか、難色を示した。
そのためにスサノオは少なくともオロチに見つかるよりは自分のすぐそばにいるほうが安全だ、と説得してクシナダを納得させた。
スサノオは水面のすぐそばに立ち川の水で自分の顔を映してみる。
今は満月のおかげで辺りは真夜中とは思えぬほど明るく、スサノオの顔もはっきりと水面に映る。
水の上のスサノオの顔はひげもまったくなく、ずいぶんとすっきりとしている。
スサノオがまだ高天原にいたころは無精ひげが伸び放題だった。
しかし高天原から追放される際に罰として高天原の神々にひげを全てそり落とされてしまったのである。
(…意外に悪くないな…)
もっともスサノオは今見えている自分の顔に案外満足していた。
これならばすぐにでもクシナダも自分に惚れ込むはずだとうぬぼれたほどである。
その時である。
「…来たか…」
周囲が突然真っ暗になり、水面に映ったスサノオの顔も見えなくなってしまう。
月の光をも完全にかき消してしまうほどの巨大な影がいきなり現れる。
それは月どころか夜空の星の光をも全て消してしまうほどの巨大さでスサノオのほうに覆いかぶさってくる。
ヤマタノオロチだ!
そう直感したスサノオは急いで自分が今いる位置から最も近いツボのそばに身を隠す。
ヤマタノオロチ。
目は真っ赤。
胴体は一つで頭と尾は八つ。
その全身には苔、ヒノキ、杉が生えており、体の全長は八つの谷と峰に渡る。
そして腹は一面いつも血でただれている。
そんな本当にこの世に存在するのかと思える怪物がついにスサノオの前にその姿を現したのである。
『娘はどこだ!』
『娘を喰わせろ!』
オロチはクシナダを求めて全身をゆっくりと這わせながら、その八つの首を縦横無尽に動かす。
『…これは?』
『…このにおいは?』
『酒だ!』
『酒があるぞ!』
オロチは酒の存在に気づき、首を盛んに動かしてにおいの出所を突き止めようとする。
『ここだ!』
『おお、このツボの中に!』
『酒が入っているぞ!』
そうしてついに酒の入ったツボに気がつき、その八つの首をそれぞれ八つのツボに入れて、酒をグビグビと飲み始める。
さらにそのまま夢中で酒を飲み続けたオロチはすっかり酒が全身に回ってしまい、その場に倒れて眠りこけ始める。
「…ハッハッハッ、うまくいったぞ…」
その様子を見届けたスサノオはほくそ笑みながらツボの陰から飛び出す。
「…よしよし、すっかり酔いが回っているな…」
スサノオは八つの首が皆完全に眠りについていることを確認する。
「…さてと、それではさっさとオロチを切り刻んでやるとするかな…」
スサノオは愛用の十拳剣を鞘から抜くと、まずはすぐ近くに転がっていた首の一つを一刀の元に切り落とす。
「なにっ!」
その瞬間、スサノオは二つの理由で驚く。
一つは眠っていたまだ切り落とされていない七つの首がグギャアアアアアーッ、という辺り一帯にこだまするほどの凄まじい叫び声とともに目を覚ましたために。
もう一つは切り落としたオロチの首の断面から大量の赤い液体が噴き出し、それがスサノオの全身にかかったために。
「…なんと、もう目を覚ましおったのか!」
もっともひとまずは目を覚ました首への対処を優先させる。
今は生死がかかった戦いの真っ最中。
それこそがこの戦闘を生き延びるための最優先事項である。
「こうなったら急いでやつらの首を切り落とすしか…、んっ?」
その時である。
ふとすぐそばの地面に転がっているオロチの首が目に入る。
当然スサノオの剣に切られた断面にはいまだに血がこびりついている。
「…こ、これは…?」
スサノオは思わず自分の手を確認してみる。
そこにもオロチの血がこびりついている。
さらにスサノオは自分の着ている服も確認してみる。
もともと白かった服はオロチを切ったときに浴びた返り血で完全に真っ赤に染まっている。
「…クックックックッ…」
それらのものを見たあと、スサノオの中にある衝動が沸き起こってくる。
「…そうか、そういうことか…」
スサノオは自分の中に突然現れた衝動の正体を確認する。
「…血を、…俺は血を求めているんだっ!」
そう叫んだ瞬間、スサノオはかつてないほど自らの精神が高揚していくのを感じる。
「…血を、…もっと血を…」
スサノオは自分が凶暴な衝動に支配されていくのを感じる。
「…ヤツをぶっ殺して、切り刻んで、肉をそぎ落として、大地を、川を、全てをヤツの血で染め上げるのだーッ!」
スサノオはその身をもだえさせながら、大声で叫ぶ。
「ヤツの肉で大地を豊かにし、ヤツの血で地上を潤す、そしてそれを礎としてこの地上に我が王国を築き上げるのだ!」
スサノオは暗い天上を見上げながら〝宣言〟する。
「ウオオオオオオオオオーッ!」
そうしてスサノオはその〝本能〟が命じるがままにオロチへと向かっていくのだった。
長い夜が明けた。
スサノオは山際から顔をのぞかせた朝日をまぶしそうに見上げる。
それはおそらくは長く激しい戦いだった。
なぜ〝おそらく〟と言わねばならないのか?
それは昨夜いったいどのようにオロチと戦ったのかという部分に関するスサノオの記憶が完全に欠落しているからである。
スサノオはまったく本能的にオロチに立ち向かったのである。
オロチは酒に酔って動きが鈍くなっていたかもしれないにせよ、激しく抵抗したのではないかと思われるがそれも今となっては定かではない。
はっきりしているのはスサノオがふと気づいたときにはすでに周囲は明るくなりかけていたこと。
自分の立っている場所から見える位置に八つのオロチの首が転がっていたこと。
バラバラに切り刻まれたオロチの死体からは大量の血が流れ出ており、それは斐伊川の水を真っ赤に染めるほどであったこと、である。
このあと、スサノオはクシナダヒメと結ばれ、出雲の国の須賀という地に新たに宮殿を立てアシナヅチ、テナヅチらともいっしょにそこに移り住んだ。
そして日本の歴史上初めてと言われる短歌を詠んだのである。
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を
<完>
『スサノオV.Sヤマタノオロチ』を最後まで読んでいただきありがとうございます。
宣伝になってしまいますが、もしスサノオのさらなる活躍ぶりを見てみたい、という方がいらっしゃれば自分が投稿している小説『七柱記―それは神々と鬼たちとの戦い。書物では決して語られることのなかった日本の神話の裏面史である―』を見られることをお勧めします。
ちなみに最後の和歌の意味ですが
多くの雲が立っている。その雲が多くの垣根のように私の家を取り巻いている。その中に私は妻をこもらせる。雲が垣根をつくっている。多くの多くの垣根をつくっている。
といったような意味です。