Sweet and bitter
顔を真っ赤にしながら詰るエルネインを上機嫌に抱き寄せるクロシュ。口では言いながらも本気で拒絶しないあたりがエルネインの感情を見事に表していて、誰もじゃれる二人の邪魔をしようとは思わない。やはりいつもの光景は変わることはなく、マァサの胸の内に燻る不可解さが益々大きくなっていく。
クロシュが執務室に引き上げ二人きりになったマァサは、無意識のうちに何度もエルネインの様子を窺っていた。そんなマァサを訝しく思ったエルネインが問いかける。
「マァサ、どうしたの?」
「お嬢様。お嬢様は昨晩……いえ何でもございません」
何処に居たのかと聞こうとしたが、何となく聞けなかった。
「マァサ……。ごめんなさい。私が何かしてしまったのね」
エルネインが嘘を吐いているようには見えない。悲しげに表情を曇らせる姿にマァサは胸が締め付けられた。
「違います、お嬢様。マァサが、マァサが至らない限りにっ」
「ううん。マァサは何時だって私に良くしてくれるわ。だから悪いのは私なの」
「お嬢様……」
ごめんなさいと何度も謝るエルネインの前で傅くと、握りしめられた手にそっと自分の手を重ねる。濡れた瞳を覗き込み、マァサは否定するように首を横に振った。
「申し訳ありません、お嬢様。お嬢様がそんなことをなさる筈が御座いませんのに。どうか疑ってしまったマァサを罰してくださいませ」
こんなお優しい方を一時でも疑ってしまった自分が恥ずかしい。エルネインはマァサの告白に目を見開いたが、手を振り払うことはなかった。それどころか、マァサの手をぎゅっと握りしめる。
「疑われるのは悲しいわ。けれど、それでもやっぱり私はマァサ好きだから。そんなこと、したくない」
「お嬢様……!!本当に申し訳ありません!」
「良いのよ、マァサ。もう、良いの」
エルネインの手が労るようにマァサの背を撫でる。その優しさに嗚咽を漏らさないようにするので精一杯だった。
雑多な情報を適当に流し見ていたクロシュは、眉根を寄せた。ここ頻繁に目撃されているという噂の美姫と美丈夫を見たらしい貴族からのご機嫌伺いと称した問い合わせ。万に一つでも疑ってはいないが、これでは噂好き連中の格好の餌になる事間違いない。結婚式が近づきつつある今、再び愛人騒動を蒸し返されるのは耐えがたかった。早急に手を打つべきだが、それ以上に引っかかるのはこの国の何処かにいるはずのエルネインの両親のことだ。白の王からもう少し情報を引き出しておくのだったと悔いても仕方があるまい。
彼にしては珍しく別の考えに囚われたままエルネインとの時間を過ごす。そのことに気付きながらもエルネインはクロシュの腕の中に収まったまま大人しくしていた。
「……エル」
「なぁに?」
「不甲斐なくてすまない」
婚姻に必要不可欠な名を知らなければ結婚は認められない。例え強引に進めたとしても祝福されない結婚として、一生後ろ暗い思いを抱えて生きていかなければならなかった。その名は両親が子を産んだ時に付けるもので、その名を知る前に両親と死別や再会が困難な場合のみ、神官が立ち会いの下、天帝や大地神に新たな名を授けられるのだが、エルネインの場合はそのどちらも当て嵌まらないと見なされる。なんせ、彼とエルネインを結びつけたのが天帝本人なのだから。
「それでも私はクロシュ様を愛してます」
「エル……私も愛しているよ」
何も知らないだろうに、エルネインの存在は何時もクロシュを救ってくれる。この幸せを噛み締めながら、クロシュはエルネインをきつく抱きしめた。
折角気に入っていた食堂だが、ネイフィが狙われかけた以上二度と行く気にはなれなかった。結局夜は王城で食事することを選んだ二人だが、国賓として迎えた以上放置しておく訳にもいかず、エリオスは苦行を味わっていた。最近では給仕する使用人達からも苦情の声が高まっており、それがますます彼の頭痛を煽る。
「癒やしが欲しい」
切実に。
塩辛い料理ばかりを取っているので若干荒れ気味の胃袋を押さえながら、夜遅くに訪ねてきた父親の前で弱音を吐く。口を挟めば頑なに疑われ、かといって放置していれば胸やけを起こしそうな甘ったるい空気が室内を満たす。こんなにも扱いにくい相手は初めてのことで、精神的にも相当参っていた。
「お疲れ様です。陛下がお二人の相手を一身にされているお陰か、城下からの陳情も大分減りましたよ」
「そこまで大事になっていたのか……」
恐るべし白の竜。
「先代はどのようにして付き合っておられたのだろうか」
過去の記録を紐解くと、700年ほど前に一度、白の国の竜が表敬訪問に訪れていることがわかった。当時はまだ第一線で働いていたレグルスだ、何か知っているかもしれないとほんの一縷の期待を込めて見る。そんな息子の様子にシグルスは苦笑し、頷いた。
「兄上はあの通りの御方ですからね。他国の竜だろうと容赦なく存在そのものを無視していましたよ。まあ、白の竜は総じて純朴な性格をしていますから、一度受け入れた言葉は素直に信じてしまいますしあのくらいの警戒心が必要なのかもしれません」
「それで良く国を保っていられるな」
「あそこは支える人間達が特に優秀なんですよ。市井に施す教育も充実していますし、我が国と違って人間でも主要な役職に就けます。国民達はおおらかで、犯罪率も極少ないとか」
「羨ましいな」
「一長一短ですよ。代わりに力を持たないので、周辺の国の竜と積極的に交わることで穏便に済ませるよう方針を取っています」
竜にしては子沢山の一族なのだ。現王も7匹の竜を設けており、その子供達も平均で5匹は産んでいる。一生のうちで4匹産めば多いとされているのだから、繁殖力の強さは分かっていただけるだろう。そこには白い竜の性格が表れているとも言える。
「……明日は私がお二人の相手をしましょう。これ以上陛下ばかりに負担を掛けると政務に支障が出ますから」
「ありがとう、父上」
「偶には父親に甘えなさい」
とうにエリオスの精神状態などお見通しらしい。レグルスの言葉に甘え、エリオスは二人を任せることにした。




