I'm in deep trouble!
「早く出てこないかな?」
「気が早いぞ。昨日今日で生まれるわけがないだろう」
「だって、私と君の子供だよ。大番狂わせもあり得るじゃない」
「だからって頼むから落とそうとかするなよ。間違っても、だ!」
「わかってるよ。ちょっと突っつくだけだから」
「頼むからやめてくれ」
「頑張って!もう少しだよ」
「そうだ。あとちょっとだから頑張れ!」
「キャー!生まれた、生まれたよ!お父さん、おかあさん」
「おいこら、危ないから走るな!……全く。お前のママはおっちょこちょいなんだよ」
『ママ……?』
「そうだ。俺はパパだ。パーパ。ほら言ってみろ」
『パーパ?ママ?』
「そうだぞ。よろしくな……・…・……!」
クロシュ邸の使用人達は漸くご主人様の奇行に慣れつつあり、この日もまたうんざりするような甘ったるい空気の中を耐えていた。普段は食後まで続く苦行なのだが、この日は突如邸を襲った大規模な揺れによって中断される。
「何事だ?」
エルネインの身体を抱き留めたクロシュは、眉根を寄せたまま廊下へと厳しい目を向ける。耳を澄ませば騒がしい声が聞こえてきて、あからさまに溜息を吐いた。
「……ゼファ様?」
同じく耳を澄ませていたエルネインが意外な思いで声の持ち主の名を挙げる。まるで図ったようなタイミングで扉が部屋に吹っ飛んだ。
「クロシュ!てめぇ」
「朝から騒々しいな」
「ふざけんなよ!今の今まであんた絶対俺のこと忘れてただろ」
「そうだな」
「しらばっくれんな……って、マジで忘れてたのかよ!」
クロシュを相手にするのもいい加減疲れて、ゼファはその場にへなへなと座り込んでしまった。窶れた姿にエルネインが痛ましげに覗き込む。
「大丈夫ですか、ゼファ様?何かお召し上がりになりますか?」
「悪いな」
エルネインが触れたところから暖かいものが身体に染みこんでくる。服を脱げば爛れた右足が瞬く間に修復されていくのが分かっただろう。凄まじい形相で睨み付けるクロシュを他所に暫く身を任せていたゼファだが、ある程度気力が戻ってきた時点で、礼を言って離れる。
「今まで戦いっぱなしで流石に疲れたぜ。飯よりも風呂に入りてぇ」
「では直ぐに準備を」
エルネインが目配せすれば、侍女が一礼して出て行く。ゼファが知っているエルネインならば侍女を使おうとは考えずに自分で動こうとした筈なので、そこに月日の差を実感してしまった。
「今は何時だ?」
「1の月だな」
「……は?え、ちょっと待て!俺が最後にアンタと会ったのが5の月……てことは」
5回分の月が過ぎていることになる。ゼファは突きつけられた事実に蒼白になり、目に見えて焦りだした。
「やべえ、やべえ!」
「落ち着け」
「これが落ち着いてられっか!てかアンタが一番焦れよ!」
「安心しろ。既に式には呼んである」
「もっとやべぇよ!」
やべぇやべぇと忙しなく部屋を行ったり来たりするゼファははたと足を止めた。エルネインに目を止めると怖いくらい真剣に肩を掴む。
「エル。お前承諾したのか?」
「何をですか?」
「しらばっくれんな。あいつの求婚を、だ」
目を瞬かせたエルネインは、頬を赤く染めながらゆっくりと頷いた。ゼファはエルネインを抱き寄せると空を仰ぐ。
「だああ!俺がいない内にすっかり絆されやがって!なんかすげえむかつく」
「煩い。早くエルを放せ」
「やだね!エルは俺の娘みたいなもんなんだぞ」
「……勝手に決めつけるな」
「ゼファ様の娘だったら嬉しいです」
「ほらな?」
エルネインを挟んで二人が取り合う。それでもやはり最後はクロシュの中に収まった。
「本当に良いのか?考え直すなら今の内だ」
鬱陶しげに見やったクロシュだが、僅かにエルネインを抱く手に力を入れただけで何も言わない。そんなクロシュの手に自分の手を添えたエルネインはゼファ様、と呼んだ。
「私はクロシュ様を愛してます。だから……有り難う御座います」
「エル……。私も愛しているよ」
感極まったクロシュが項にキスを落とす。見せつけられたゼファは、大きく息を吐いた。こうなってしまえば二人を引き離すのは困難だろう。故郷の地に残してきた家族を想い、ゼファは心の中で謝罪しながら肩を落とした。
白の竜が治める国、ルーイン。白を貴色とするこの国の王は、在位千年を超える老竜だ。そんな彼を頂点とする白の竜の一族は、老竜から数えて三等親の血縁が居り、竜の一族にとっては稀に見る大家族であった。
「父上!あの子は一体どうしてるの」
執務の間に日向ぼっこしていた王を起こしたのは、彼の末の娘だった。娘の夫にあたる次男の息子は申し訳なさそうに頭を下げている。
「それが五の月以来知らせがなくてのぅ。困ったものよ」
ほけほけと笑う顔は皺だらけで、困った困ったと長い顎髭を撫でつける。
「ゼファはどうしたの?昨日赤の国に問い合わせたら帰ってないって……」
「儂も知らぬよ。まあ元気でやっておろうて」
「あいつのことはどうでも良いんだよ。私が知りたいのはあの子の様子だけ!」
娘が思い出すのは攫われてしまった幼い我が子のことだ。以来捜索を続け、漸く黒の国に居ることまでは突き止めたのだ。捜索については父に一任している為、娘は我が子の現状を全く知らない。
「ネーイ。お祖父様を困らせるな」
「君は心配じゃないの?!」
「心配に決まっている!」
夫の剣幕に娘の涙は引っ込んだ。彼がここまで感情を露わにするのはとても珍しい。怯えさせてしまったかと妻の長い髪を梳きながら額に口付ける。
「今は伯父上を信じて待とう」
「うん……」
若い夫婦の遣り取りを見守っていた国王は、少し考えた後に提案する。
「そう言えばあちらの王はつい最近百歳を迎えたらしい。祝いがてら行ってきたらどうじゃ?黒の国に」
「いいの?兄様の仕事でしょ?」
「あれも暫く休暇に出掛けておってのぅ。まぁいいじゃろう」
ほぼ鎖国状態の白の国の外交を一手に引き受けているのは、娘の一番上の兄だ。年波には勝てんと二年ほど前に旅に出たきり様が知れない。時折商人を通じて送られてくる手紙を読む限りでは元気そうだったが。
娘は夫を仰ぎ、許可を得て、父の提案を受け入れた。




