The second attack
クロシュに連れられたエルネインは広大な面積の庭にまず驚き、庭と言うには首を傾げてしまうような造りに、小さく笑った。
「とても素敵な庭ですね……」
「雑然として醜いとはよく言われるけれど、素敵と言ってくれたのはエルが初めてだ」
「あら、だって面白いじゃありませんか。畑があって池があって林があって……まるであの家みたい」
三人だけで暮らした小さな家はエルネインにとってとても大事な場所だ。
「……エルはあの家に帰りたい?」
クロシュの問いかけに、エルネインは曖昧に微笑んだ。恐らくここで頷けばクロシュはきっと叶えてくれるだろう。けれども同時にきっと昨日の出来事も思い出してしまうのだ。クロシュはきっとそのことを心配している。そしてエルネインもまた、時間が必要だということを理解していた。
「ここは沢山のもので溢れています。本来のクロシュ様はここに居るべき方ですが、私は……私はどうすれば良いんでしょうか?あの家には私の役目があった。でもここは?掃除は侍女の皆さんがやってくれますし、料理だって同じ。だったら私がここに居る意味なんて、」
後ろから伸びた腕がエルネインの身体を強く捕らえる。泣いているのかもしれない。ふとそう思った。
「私が望んでいる!それだけでは足らないですか?」
「足らないです。じゃあ、私は貴方にとって何?」
さあ、と冷たい風が通り過ぎていく。拒絶すれば良いのにそれが出来ない自分はなんて弱いのだろう。
「……愛しているんだ」
「それは何故?ずっと不思議だったんです。クロシュ様程の御方がどうして田舎の孤児なんかに求婚したのか。だって私がクロシュ様に会ったのはあの時が初めての、」
「違う!違うんだよ、エル。私がエル、貴方と出会ったのはもっとずっと前だ……」
この前の大雨よりも更に酷い嵐の夜。微かな声がクロシュに届いた。
「……分からないんです。自分の気持ちが。クロシュ様のことは好きなのに、それだけじゃいけないように思えて」
クロシュが本来居る世界を垣間見て、エルネインは本能的に恐れていた。自分の知る世界とはあまりにもかけ離れ過ぎていて、クロシュの隣に居るには分不相応な自分に気付いてしまう。
「前に私が言ったことを憶えている?『知識はそうやって培っていくものだよ。だから、焦らないで少しずつ学んでいけばいい』最初は誰だって一からスタートするんだ。エルの気持ちさえあれば、あとはゴールに向かっていけば良い」
「それじゃ遅いんです!だって直ぐに追いつかないと、クロシュ様は、」
他の人に取られてしまう。
これだけ素敵な人なのだ。きっと多くの女性が彼を狙っているに違いない。今は傍に居てくれるけれど、それが今後も傍に居てくれる保証は無いのだ。
悩んでいるエルネインには悪いが、クロシュの機嫌は何時になく最高だった。ずっと想い続けた相手に漸く想いを返されれば、クロシュで無くとも舞い上がっているだろう。
しかも嫉妬までしてくれているのだから、浮かれるなと言う方が無理がある。無上の幸せとはこういうものかと噛み締めながら、クロシュはありったけの想いを込めて抱きしめた。
「ああ、もう!エルは可愛い!可愛すぎ!」
「クロシュ様!私は本気で……」
「私だって本気だよ。貴方が不安なら何度だって愛していると伝えよう。だからエル。どうか私を放さないで。貴方が居なくなったら私はもう片時だって生きていられないんだよ」
これは本当のこと。エルネインが居なくなれば、迷わず心臓を貫き、ゼファに焼いてもらう。クロシュにとってはエルネインが全てで、エルネインに出会ってから退屈な世界が変わったのだ。会えなくても同じ空の下にいるというだけで愛おしい。月々の報告の中で生きるエルネインを感じ、焦がれ、やっと手元に届いたのだ。たとえエルネインが彼以外を選んでも、その男を殺してエルネインを誰の手にも届かない場所に閉じ込めただろう。きっとエルネインは悲しむだろうが、他の男に渡すくらいなら憎まれてでも手元に置いておきたい。
そんな狂気を抱かせるくらい、クロシュはエルネインに囚われている。
「私が持っているお金では、クロシュ様に楽な生活をさせてあげられません」
「私がエルを養うくらい蓄えているよ」
「頭も良くないですし」
「旧天語が読めれば十分だ」
「顔も、身体だって貧相です」
「容姿に関してはあまり言いたくないけど、エルは誰もが見惚れるくらい可愛いよ。出来るなら誰にも見せたくないくらい。身体は……確かに豊満ではないけれど、私には十分魅力的だ」
「料理や掃除は出来ますけど、実は洗濯が苦手なんです」
「私はどれ一つ出来ない」
「身長が高くありません」
「今くらいが可愛くて丁度良い。キスしたければ屈むだけだ」
「甲斐性は、その、どうでしょう?」
「お人好し過ぎるけど、私は気に入っているよ」
「身体の相性が……」
「試してみなければ分からないけれど。何なら今からベッドに行く?」
エルネインが力一杯首を横に振ると、クロシュは少し残念そうだったが強要はしなかった。エルネインはどうしよう、どうしよう、と考える。これでは”結婚の条件”に当て嵌まってしまう。逆にクロシュと結婚しない選択肢が見つからない。
「エル」
「はい?……んっ」
吐息さえも奪うような深い口付けに、身体は呆気なく力を無くす。かき抱くクロシュの腕に支えられ、エルネインは応えようと必死だった。どれだけ合わせていたのだろう、漸く離された時には酸欠で意識が朦朧とする。近場のベンチに座らされ、クロシュのたくましい身体に凭れ掛かっていた。
「エル」
「はい?」
「愛してるよ」
今度は触れるだけの軽い口付け。何時もならここで、エルネインが顔を赤くして終わり。けれども、今は素直に言葉が零れた。
「私も愛してます」
クロシュが目を見張り、次いで笑いたいのに失敗して泣いてしまったような、そんな情けない表情を晒す。ぎゅっと抱きしめられ、クロシュの顔が肩に埋まれる。嗚咽に混じってありがとう、と呟く声がエルネインの耳に届いた。




