その男、鎖を外す
ノーカルミアの奴隷市場は、朝からひどく騒がしかった。
客を呼び込む商人の声。
値段を交渉する男たちの笑い声。
そして時折、その隙間に混じる鉄鎖の音。
ジジ・ガルシアは、その雑踏の中を一人で歩いていた。
肩にかかる黒髪を風に揺らしながら、
露店を覗くでもなく、誰かを探すでもなく、
ただ市場の奥へと進んでいく。
腰には長剣。
黒を基調とした旅装には、長い旅の跡が残っていた。
大柄な体格も相まって、道行く者が自然と進路を空けていく。
本人は、そんな周囲の視線など気にもしていなかった。
ふと。
ジジの足が止まった。
通りの端に並べられた、いくつもの檻。
その中のひとつ。
金色の長い髪をした女が、膝を抱えて座っていた。
――エルフ。
尖った耳が、汚れた髪の隙間から覗いている。
手首と足首には鉄枷。
首にも太い首輪が嵌められていた。
痩せている。
けれど、俯いた顔立ちにはまだ気高さのようなものが残っていた。
ジジは黙ったまま、その女を見る。
「お兄さん」
目ざとくそれに気づいた商人が、揉み手をしながら近寄ってきた。
「見る目があるねぇ。こいつはエルフだよ」
ジジは女から視線を外さない。
商人はそれを興味の表れだと思ったらしい。機嫌よく話を続けた。
「ちょいと気は強いがね。顔も悪くない。
まあ、少し躾けりゃ――」
「いくら」
低い声に、商人の口が止まった。
「……へ?」
ジジがようやく商人を見る。
「いくらだ」
「あ、ああ。そういうことか」
商人はすぐに笑顔を取り戻し、指を立てて金額を告げた。
それなりの額だった。
だがジジは眉一つ動かさない。
腰の革袋を開き、金貨を数える。
商人の掌へ、そのまま落とした。
「毎度あり!」
途端に商人の声が弾む。
檻の鍵が開けられた。
その音に反応して、女がゆっくりと顔を上げる。
黒髪の男を見て、一瞬だけ瞳を細めた。
大きい。
まず、そう思った。
そして強い。
奴隷生活が長ければ、
人を見る目くらいは嫌でも身につく。
立ち方。
剣の位置。
身体に残る古傷。
目の動き。
目の前の男が、
ただの旅人ではないことくらいは分かった。
――また、買われた。
女は何も言わず立ち上がった。
「ほら、出ろ」
商人が檻へ腕を入れ、首輪から伸びる鎖を掴む。
その手首を、ジジが掴んだ。
「鎖に触んじゃねぇ」
「……旦那?」
「鍵、貸せ」
「いやいや、外で全部取るのは――」
ジジの視線が、商人へ向く。
怒鳴りもしない。
剣に手をかけることもしない。
ただ見ただけだった。
商人は数秒黙り、
「……はいよ」
腰から鍵束を外した。
ジジはそれを受け取ると、エルフの前にしゃがみ込む。
エルフは警戒したように身を固くした。
だがジジは彼女の身体には触れず、
まず足首の枷へ鍵を差し込んだ。
かちり。
鉄が外れる。
次に手首。
最後に首輪。
重い金属が地面へ落ちた。
エルフは、自分の手首を見る。
長い間そこにあったものが、急になくなった。
擦れて赤くなった皮膚を指でなぞりながら、
眉をひそめる。
<……何のつもりなの…この男>
小さな声だった。
しかし、使われた言葉は人間の共通語ではない。
エルフ語。
商人は意味が分からず、二人を交互に見る。
ジジは落とした首輪を地面へ置くと、
そのままエルフ語で答えた。
<別に>
エルフは勢いよく顔を上げる。
<……あなた>
先ほどまでとは違う目で、ジジを見る。
<なぜ人間がエルフ語を話せるの…?>
ジジは立ち上がりながら、鍵束を商人へ返した。
<昔、教わった>
<…誰に?>
一瞬。
ジジの手が止まった。
けれど、すぐに何でもないような顔へ戻る。
<エルフに>
<だから、誰だと聞いてるの>
<昔の知り合い>
それ以上答える気はないらしい。
訝しげに睨んでいる横で、
ジジは商人に背を向けた。
「じゃ」
そのまま歩き出そうとする。
エルフは目を瞬いた。
「待って」
ジジが振り返る。
「何」
「……どこへ行くの?」
「宿」
「私は?」
ジジは数秒、エルフを見る。
質問の意味がよく分かっていないような顔だった。
「好きにすればいいだろ」
「……何と?」
「もう自由なんだから」
エルフの表情が消えた。
「あなたは私を買った」
「そうだな」
「なら、何をさせるつもり?」
「別に何も」
「そんなわけないでしょう」
即座に返された言葉に、
今度はジジが少し眉を寄せた。
「じゃあどうすりゃいいんだよ」
「それを私に聞かないで」
「俺も分からん」
言葉を失った。
ジジは頭を軽く掻く。
「帰る場所があるなら帰ればいい」
「行きたいところがあるなら行け」
「…………」
「俺が買ったのは、ここから出すためだ」
それだけ言う。
まるで、本当にそれだけのことだったかのように。
エルフしばらく何も言わなかった。
ジジはまた背を向ける。
「待って」
「……まだ何かあんのかよ」
少し面倒そうな声になっていた。
その反応に僅かに苛立ちながらも、尋ねる。
「名前」
「俺の?」
「他に誰がいるの」
「ジジ」
「……ジジ?」
「ジジ・ガルシア」
その名が聞こえた瞬間だった。
近くを歩いていた冒険者が足を止めた。
「……今、ジジ・ガルシアって言ったか?」
別の男も振り返る。
「まさか」
「オリハルコンの?」
「六ヶ国で一人しかいないっていう……?」
小さなざわめきが、市場の一角に広がっていく。
エルフは周囲を見る。
そして、再びジジを見る。
当の本人は、まったく気にしていなかった。
噂されている人物が自分だという自覚すら
ないような顔で、見返している。
「で、お前は?」
「……エレーン」
「そう」
ジジは一度頷いた。
「じゃあな、エレーン」
今度こそ歩き出す。
エレーンは、その背中を見つめた。
自由。
そう言われても、何をすればいいのか分からない。
十五年間。
誰かに買われ、誰かの命令に従い、
必要がなくなればまた売られた。
今さら突然、
好きに生きろ。
そう言われても。
「……待って」
ジジの肩が落ちた。
ゆっくり振り返る。
「今度は何」
エレーンは少しだけ顎を上げた。
「私も行く」
「なんで」
「あなたが信用できない」
「…………は?」
ジジは露骨に変な顔をした。
「信用できないやつについてくんの?」
「だから監視する」
「意味分かんねぇ」
「私にも分からない」
「じゃあ来んなよ」
「嫌」
「……めんどくさ」
ジジはそう呟いて、再び歩き出した。
「ねぇ、待て!」
エレーンがその後を追う。
追い払う気なら、いくらでもできたはずだった。
けれどジジは何も言わなかった。
こうして。
六ヶ国で唯一、
オリハルコンの称号を持つ人間の男は出会った。
十五年間、他人に所有され続けたエルフと。
ジジまだ知らない。
止まっていた人生の歯車が動き出したことを。
そして――
エレーンはまだ知らない。
ジジ・ガルシアが十五年間、
一度も忘れたことのない名前を。
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お読みいただきありがとうございます。
くおんあづきです。
初執筆のため、慣れないところがあり読みづらい箇所等あるかと思います。
かなり長編になっていますので最後までお付き合いいただけると嬉しいです。




