最終話 ひろがる世界、私たちのカタチ
「星一さん! そこはもっと、こう、ガッと腰を入れて拭くんだよ!」
「あ、はい! こうですか、大和さん!?」
「おう、筋がいいな! よし、次はベランダの窓拭きだ!」
週末、香織さんと星一さんの真新しい新居。
リビングに足を踏み入れた私と香織さんの目に飛び込んできたのは、なぜか先輩風を吹かせまくって掃除の指導をしている大和と、それに「はい!」と真面目に応えている星一さんの姿だった。
「ちょっと大和、人の家に来て何勝手に仕切ってんのよ」
香織さんが呆れたように腰に手を当てる。
「仕切ってねえよ。星一さんが『換気扇の掃除のコツがわからない』って言うから、俺が直伝の技を教えてやってるんだ。なあ、星一さん!」
「はい! 大和さんのスクラブ洗剤の使い方のレクチャー、めちゃくちゃ勉強になります!」
眼鏡の奥の目をキラキラ輝かせる星一さんを見て、私と香織さんは同時にクスッと笑ってしまった。
大和は、結婚式で星一さんと「男の約束」を交わして以来、彼のことをすっかり「義理の可愛い弟」認定したらしい。星一さんの方も、裏表がなくて頼りになる大和を「アニキ」と慕い、今ではすっかり男二人の奇妙な師弟関係が築かれていた。
「相変わらずね、あのゴリラは」
香織さんがキッチンでサラダを盛り付けながら呟く。
「でも、星一さんも楽しそうよ。大和、面倒見だけは本当に良いから」
私は買ってきたピザの箱を開けながら答えた。
「本当にね。……実はさ、私、結婚して大和とあんまり連絡取らなくなった時、ちょっとだけ寂しかったんだ」
香織さんは、トマトを切りながら少し照れくさそうに笑った。
「あいつ、私の結婚式で新郎の親より大号泣したくせに、終わったら急にスンッて引くんだもん。あ、やっぱり大和にも結衣さんとの大切な生活があるし、私はもう用済みかなーって」
「大和、そんなこと考えてなかったわよ」
私はコーヒーメーカーのスイッチを入れながら言った。
「あいつね、『もう香織には星一さんがいるから、俺の出番はない。幸せになったあいつの邪魔をしちゃ悪いだろ』って、真面目な顔して言ってたの。寂しいから引いたんじゃなくて、香織さんの幸せを誰よりも願ってるからこそ、兄貴として一歩引いたんだよ」
香織さんの包丁を持つ手が、ピタリと止まった。
彼女は一瞬、驚いたように目を見開いた後、窓の外で大和に「そこ、拭き残し!」と怒られている星一さんを見つめ、それから本当に愛おしそうな顔でふにゃりと笑った。
「……あいつ、本当にバカだけど、最高にいい奴だわ」
「ふふ、でしょ? 私の自慢の旦那様なんだから」
私たちは顔を見合わせ、またいつものように笑い合った。
半年前、大和の「香織最優先ライフ」にモヤモヤしていた頃の私が今の私を見たら、きっと腰を抜かすだろう。
既婚男性の幼馴染という、一歩間違えればドロドロの修羅場になりかねない関係。でも、私たちは誰一人として傷つくことなく、今、こうして四人で笑っている。
「よし! 掃除完了! ピザ食おうぜ、ピザ!」
ベランダから汗を拭き拭き戻ってきた大和が、嬉しそうにテーブルへと突進してきた。
「大和さん、僕、コーラ持ってきますね!」
星一さんもすっかり馴染んで、テキパキとグラスを並べる。
四人でテーブルを囲み、「乾杯!」とグラスを合わせる。
焼きたてのテリヤキチキンピザを頬張りながら、大和と星一さんは楽しそうに趣味のDIYや仕事の話で盛り上がり、私と香織さんは最近ハマっているドラマの話で盛り上がる。
その賑やかな空間を見渡しながら、私はふと思った。
世間には、誰かの愛を奪い合ったり、独占しようとする関係がたくさんある。
『私とあの女、どっちが大事なの?』
そうやって相手を縛り付け、自分のためだけのものにしようとする。
でも、大和の愛は、最初からそんな狭い場所にはなかったのだ。
四人の笑い声が部屋いっぱいに広がる。
この人の優しさは、一人のためだけにあるものじゃなかった。
だから私は、あの日、奪い合うことをやめられた。
大和のデカすぎる愛を中心に、私たちの関係は、どんどん「広がって」いったのだ。
「あ、結衣! 口元にマヨネーズ付いてるぞ」
大和が、ティッシュを取って私の口元を優しく拭いてくれる。
「あ、ありがとう」
「おい大和! 結衣さんにばっかり甘えてないで、私にポテト取りなさいよ!」
「香織、お前は自分で取れ! 手が付いてるだろ!」
「星一くん、見てこのゴリラ! 結婚してから私への扱いが雑すぎる!」
「あはは、大和さん、僕が取りますから」
賑やかで、騒がしくて、愛おしい時間が流れていく。
私は、隣で笑っている大和の手のひらに、そっと自分の手を重ねた。大和は少し驚いた顔をして、それから私の手を力強く握り返してくれた。
窓の外には、満天の星空が広がっている。
私たちの未来もきっと、この夜空みたいに、どこまでも広がり続けていくのだろう。
胸の奥で、確かな温かさを感じながら、私は心の中で静かに、この物語の結びとなる言葉を紡いでいた。
大切な人を大切にする人は、その人の大切な人も大切にできる。
だからきっと、私たちは友達になれた。
(第5話・最終回・了)




