『冒険者ギルドでの嘲笑』
朝の光が差し込む。
迅は見知らぬ森の中で目を覚まし、夜の恐怖を引きずったまま立ち上がった。
「……まず、状況整理だ」
腰の短剣と小さな革袋。手には何もない。
空には二つの月が浮かび、鳥とも獣ともつかない鳴き声が木々の奥から響いてくる。
あの白い空間――転生。
選んでしまったスキル、【レベルドロップ】。
どう考えても、強いとは思えない。
「……とりあえず、街を探さないと」
森を抜けるまでに、何度も息を殺した。
道端でうずくまるスライムや狼のような魔物を見つけては、木陰に身を潜める。
心臓が跳ねる。ひとりぼっちで、頼れるものもない。
――今度こそ、守れる人間になりたい。
その決意だけが、迅の背を押していた。
森を抜けると、小さな街が見えてきた。
木造の家並み、石畳の道。行き交う人々は、みな剣や杖を腰に下げ、どこか勇ましい。
「……異世界、か」
息を整え、街の門をくぐる。
門番の兵士は無愛想に「ギルドならあっちだ」とだけ指を差した。
案内された先――木製の看板に刻まれた紋章には《冒険者ギルド》の文字。
扉を押し開けると、酒場のようなざわめきが一気に耳に押し寄せた。
武装した男や女、亜人の姿。筋骨隆々の戦士もいれば、長いローブの魔法使いもいる。
圧倒的な“場違い感”が、迅の胸を締めつけた。
「……ここが、冒険者ギルド」
カウンターには、明るい栗色の髪を二つに結んだ若い受付嬢が立っていた。
ぱっちりとした目元と柔らかな声――このギルドの中では、唯一優しそうな存在だった。
「こんにちは。冒険者登録ですか?」
「あ、はい。お願いします」
「はい、ではこちらにお名前と……お持ちのスキルを書いてくださいね」
差し出された用紙とペンを受け取り、迅は一瞬ためらった。
【レベルドロップ】
このスキル名を書く瞬間、胸がずきりと痛む。
(……隠したって、どうせバレる)
覚悟を決めて、記入欄にしっかりと書き込む。
そのとき――隣のカウンターで依頼を受けていた冒険者が、横目で用紙をのぞき込んだ。
「……あ? “レベルドロップ”? ぷっ……マジかよ」
聞こえるように吹き出す声。
周囲の冒険者がざわざわと顔を向け始める。
「おい聞いたか? “自分のレベルを下げる”スキルだってよ」
「本当にそんなやついたのか。ありえねぇ、クズスキルじゃん」
「死にに来たのか? 坊や」
ざわめきは嘲笑に変わり、酒場のような空間が一瞬で冷たくなる。
「……」
迅は用紙をぎゅっと握りしめた。
返す言葉が見つからない。ただ、胸の奥が熱くなる。
「ちょっと、やめてください!」
受付嬢がきっぱりと声を上げた。
その優しい顔に似合わず、芯のある声だった。
「ここは冒険者ギルドです。誰でも登録する権利があります。スキルで笑うなんて、最低ですよ」
「へっ、悪ぃ悪ぃ。……ま、せいぜい頑張れよ、“レベルドロップ”くん」
冒険者は鼻で笑いながら去っていった。
周囲からまだくすくすと笑い声が上がる中、受付嬢は迅の目をまっすぐ見て微笑んだ。
「……気にしなくていいですよ。強さは、スキルだけじゃありませんから」
その言葉が、不思議と心に残った。
迅は静かにうなずき、登録を終える。
受付嬢が手渡してきたのは、薄い銀色のカードだった。
冒険者カード。名前とスキル、ランク、レベルが刻まれている。
【名前:迅】
【レベル:1】
【スキル:レベルドロップ】
【ランク:F】
「……Fランクか」
「ええ。最初はみんなそうです。でも、ここから上げていけばいいんです。ゆっくりで、いいんですよ」
優しい声が、ほんの少しだけ心を軽くした。
「……ありがとうございます」
掲示板には、無数の依頼書が貼られている。
だが受付嬢が差し出したのは一番端の紙切れ――“初心者用”と書かれた、しょぼくれた依頼だった。
【依頼内容:森の外れのゴブリン討伐(1体)】
【報酬:銅貨5枚】
「……ゴブリン……」
「最初はみんな、ここからですよ。焦らなくていいです」
受付嬢は柔らかく微笑む。
周囲からはまだ笑い声が聞こえる。
だけど、彼女の声だけはまっすぐ迅の胸に届いていた。
ギルドを出ると、昼の光がまぶしかった。
通りの人々は忙しなく行き交い、誰も“最弱の冒険者”など気にも留めない。
「……チートなんて、俺にはなかった」
それでも――。
あの日、あの少女を守るために立ち止まらなかった自分。
あのときの“決意”だけは、本物だった。
「俺は、生きる。絶対に……」
森の方角に目を向ける。
心臓が少しだけ、強く鳴った。
誰も期待しない。誰も信じてくれない。
それでも、自分だけは信じてやらなきゃいけない。




